第百七十六話 母様である
前半視点なしです。
「あらあら、少しゆっくりしている間に子供達の状況が随分変わったのね」
楽しげに声を弾ませる女を見て、後ろに控えていたメイドは小さく溜息を溢した。
「お体に触ります」
「平気よ。昨日も陛下と一緒に来客のお相手をしていたし、少し疲れているだけだから」
「皇帝陛下から、体を休めて欲しいとのお言葉があります」
「それを言うんだったら無意味に顔を見せにくる貴族をなんとかしてほしいわね」
「皇帝陛下に仰ってください」
「言ったわよ。でも、どうにもできない事なんだって言われちゃったわ」
昔の刺はどこへ消えたのかしらね、とやはり楽しそうに笑う女に対し、メイドは無表情で予め用意していた肌触りの良い毛布を女の肩にかけた。いくら言っても女が寝室へ戻るとは思っていなかったのだろう。
案の定、「よくわかってるじゃない」と微笑した女に「光栄です」と返して、メイドはまた一歩後ろに下がり控える。
「可愛い顔してるんだから笑いなさいな」
「………」
「うちの子のお嫁さんにでもなる?カリアーナに春がきても、きっとあの子うるさく騒ぐだろうから」
「………」
「あなたと婚約させてしまうのもアリよね」
「………」
「無言の抵抗は無駄だってわかってるのに、頑固な子」
一切口を開こうとしないメイドに呆れつつ、女は裸足で大理石の上を歩く。ペタペタと小さな可愛らしい足音とは反対に、女が歩く姿は一輪の薔薇の様に美しい。
「あぁ、そういえば、アステアは面倒なのに絡まれてるらしいわね」
ふと思い出して振り返った女は、小さく頷いて見せたメイドを一瞥し、「あの人うるさいのよ」と肩を落とす。
「フィニーティスの国王は歴を見ても穏やかな方ばかりで騎士団長もそれは同じなのに…昔、陛下が突然変異と言っていた事にも頷ける始末だわ」
「何かご対応されますか?」
「する必要はないでしょう。あの子に喧嘩を売って勝てる人間なんているわけもないだろうし」
「………」
「その、何を言ってるんだこの人、みたいな目をやめなさい。本当に母親そっくりなんだから」
「血筋なので仕方ありません」
開き直ってしまったメイドに、女は「そんなところも似てるわよ」と嬉しそうに目を細めた。
「…なんだか会いたくなってきたわね」
「はい?」
「あの子によ。カリアーナの話も聞きたいし久々に一緒にお茶でもしようかしら」
つまりは娘と一緒にお茶をしたくなったらしい。相変わらず思いつきで行動しようとする女にメイドは頭を悩ませながらも、まぁいつもの事なので「わかりました」と頷いた。
「ふふっ、楽しみだわ。どんな女の子に成長しているのかしら」
絵にする事も惜しいほど美しい笑みを浮かべた女は、自分と似ている部分の多い娘を思って、去年皇帝から贈られた紫の薔薇を軽く撫でた。
───
皆さんに一つ問題だ。我がカタルシア帝国で最も権力を握っている人物とは一体誰だろうか。
答えは簡単。
「お母様からお茶会の誘いだぁぁあああああ!?」
かんっぺきに母様である。
父様は母様に頭が上がった試しがないし、時には喧嘩をする事もあったけど、謝るのは必ず父様からで、母様が睨みをきかせればカリスマ皇帝陛下は眉をへの字にして謝り倒すのだ。よくそこまで惚れ込ませる事ができたものだと思って母様に質問してみた事もあるが、返ってきたのは「成り行きよ」と言う答えだけだった。
そのせいかなんなのか、私は母様の事を「お母様」と呼ぶ事がある。
それは敬意からもきているし、ある種母親相手に抱く恐怖心からもきているし、何より何も読めないところからくる緊張感からきているわけだ。
まぁ、その事はいったん置いといて。
イージスナイトカレッジから帰宅して、やっと一息つけると思った矢先に母様から手紙が送られてきた。
なんでも、最近めっきり会っていなかったら久々にお茶でもしようと言う事だそうだ。いや、別にそれ自体は構わないのだが、母様から誘われるなんて滅多にないから驚くばかりである。大体いつもはこっちから誘うのに…。
「これは何か裏があるな…」
絶対そうだ。そうに決まってる。そもそもフード男がうちの屋敷にいる事を母様が知らないはずはないし、こんなタイミングで呼び出すのもおかしい。だけど悲しいかな、一度だって母様の思考を読めた試しがない私は、親の言う事には逆らえないのである。
手紙の封を切って読み上げてくれたエスターが心配そうに見つめてくるのをわざと無視して、私のために紅茶を淹れているクレイグを呼んだ。
「明日って…」
「シルフィーノ騎士団長並びにブレイディ騎士団長とのお約束がございます」
おっおう…もう会うとしたら今日しかないじゃないか。このタイミングで誘ったって事は、何かフード男について話す事でもあるのかもしれないし…。
「この際、押し掛けるか…」
ガックリと肩を落としながら、私は重い腰を上げたのだった。
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