第百七十五話 最も強く聡い人にはお見通し
「何見てるの?」
ライアンのエスコートのおかげで小石に足を躓かせる事なく元の場所まで帰ってくると、何やらリンクが神妙な顔をしていた。視線の先を辿れば、地面を頑張って這っている一匹の虫。
「なんとなくです」
「虫好きなの?」
「いえ、でも、こうやって頑張ってるものを見るのは好きですから…」
どうやら、暇潰しにと教えたデザインを考える想像では時間を潰し切れなかったらしい。
「それに、この虫のお腹って少しだけですけど傷つきやすい魔道具をコーティングする液体の材料になるんですよね。自分で作ってみるのもありかな…」
「どんだけ魔道具脳なのよ、リンク…」
いや、職人としては良いと思うけどさ…。
何やら考え込み始めてしまったリンクの事は一旦置いといて、ライアンと話しているクレイグに視線を移す。どうやら二人は紫の薔薇について話している様だった。
「どうかした?」
「あぁ、アステア様…いえ、こちらの薔薇は誰か育てているのかとお聞きしてたところなのですよ」
「薔薇…?」
薔薇って、紫の薔薇の事だよね。クレイグも気になってたのか。
赤や白なら幾度となく目にする機会があるけど、その他の色というのは珍しい。ライアンに詳しい話を聞けば、どうやら花の管理は全て学園長が行っているそうだ。
「もちろんサポートをする庭師はいます。でも、どうしても自分の手で育てたいと言っているんです」
仕事の都合上ずっとは面倒見れないんですけどね、と少し呆れ気味に呟いたライアンだけれど、その表情は明るい。きっと学園長がこだわりを持っているこの庭園の事が、ライアンも好きなんだろう。
「そうなんですか…なら、その薔薇も?」
「はい。これには特に力を入れていて、一層美しく咲いた時には皇帝陛下に報告していたほどだったと記憶しています」
「父様に…」
そこで、なんとなく結びつく事があった。
確か父様と母様が結婚した日、カタルシアでは祝日にまでなっている結婚記念日。その日に毎年父様が母様へ贈る花束は、必ず紫の薔薇なのだ。それは母様の髪色に因んでいるからなのだと言っていて、贈られた本人である母様は毎年この上なく嬉しそうな顔で喜んでいる。理想の夫婦と国民に噂されるのも当然と言える光景が広がる日というわけだ。
「もしかしてあの花束って…」
そこで、「アステア様」とクレイグが小さく呟いた。視線を投げて返事をすれば、クレイグが最小限の動きで首を振っているのが見える。
「皇帝陛下は薔薇の事を誰にもおっしゃっておりません。おそらくは秘密にしているのかと」
耳打ちされて、確かにそうだな、と頷いた。父様は面白い事が好きで、それと同時に面白いと言う事に繋がるサプライズも好きな人だ。だから、毎年どこから現れたかもわからない美しい薔薇の花束をカッコよく渡して、母様を驚かせる事が毎年の楽しみなんだと言っていた。
でも、ある意味一番知られちゃいけない人には知られてるんだよね。
──男の人って本当に秘密が好きよね。あなたもそう思わない?アステア──
我が家…いや、カタルシア国皇族の中で最も強く聡い人にはお見通しなのだ。まぁ、喜ぶ顔は素直なものだから、相思相愛っぷりが眩しいんだけど。
「……既視感の謎は解けたし、ヨシとしましょ」
「そうされた方が賢明ですね」
お熱い夫婦の間に入っても火傷する未来しか見えないし。私は虫から興味が逸れたらしいリンクが近寄ってくるのを確認し、ライアンを正面に背筋を伸ばした。そろそろ本当に帰るとしよう。
「ライアン、丁寧な案内ありがとうございました。もしまた会う機会があれば、気軽に話しかけてくださいね」
「!…あ、ありがとうございます!光栄です!」
これは「あなたを気に入りました」と言っていると同義であり、国の姫からお墨付きをもらうと言う事は騎士にとってこの上ない誉。加えて、カタルシアの第二皇女は近衛騎士を作らないと有名だし。こうやって伝えるという事は事実上、私はライアンを気に入って後押しをする事に決めた、という意思表示でもある。人の多いところで言わないと意味がないけど、今は本人に伝わっていれば良いか。
将来ライアンの主人になる人とは、ある程度仲良くしなくちゃいけなくなったけど、まぁライアンが選んだ人なら良い人だろうし。私は丁寧に対応してくれる人が好きだからね、全力でライアンの後ろ盾になろうじゃないか。
「本当にありがとうございます。あ、最後にもう一度ヴィ先生と会われますか?」
「いえ、それは大丈夫で………ん?ヴィ先生?」
って、誰?
首を傾げると、ライアンは「ヴィはデーヴィド・ボールドウィン学園長の愛称なんです」と答えてくれた。いや、あれ?なんか聞き覚えが…。
──本当、陛下とヴィは私に隠し事ができた事がないのに可愛いものよね──
「あぁ!」
「!?」
思わず上がった声を塞ぎ込む様に口を抑える。けど、時すでに遅し。ライアンが驚いた様に目を見開いていた。あ、いや、ごめん…。
でも、そっか。そういう事か、どこかデーヴィドの名前に聞き覚えがあると思ったら、時々母様の話に出てきた「ヴィ」の事だったのか!
「だ、第二皇女殿下?」
驚いた様子で見つめてくるライアンに安心できる様に笑いかけながら、私は美しく笑っている母様を頭の中で思い浮かべていた。
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