第百七十三話 心底驚いた
………………遅い。
手入れの行き届いた花々を眺めるのは良いけど、その時間が長すぎると暇になるのは当たり前で。
リンクは魔道具のデザインとなると時間を忘れる様で暇はしていない様だけど、ライアンの帰りが遅くて気が立ち始めた私を見たクレイグが小さく笑った。
「笑うな」
「申し訳ありません。様子を見て参りましょうか?」
「………」
それでもしライアンが生徒を叱っている場面に出くわしたとして、ライアンを呼び戻すのか?そうなると、叱っていた側であるライアンは客を待たせていたという事で、立場的に考えると多少なりとも恥をかく事になるんじゃないだろうか。それはいただけない。
「もうそろそろ帰りませんと、帰宅時間が夕暮れになってしまう恐れがありますが…」
「うっ」
確かに学内からも生徒の声がチラホラと聞こえ始めている。もう授業が終わったクラスがあるのだろう。
礼儀として、ライアンに一言帰りの挨拶をしておきたいところではあるけど…。
「……わかった。でも、探しに行くのは私だけね」
「かしこまりました。ここでお待ちしております」
花を見ていたら道に迷ったとでも言い訳をしよう。ライアンだと嘘を見抜かれるかもしれないが、もし生徒を叱っていたなら話を合わせてくれるはずだろうから。
───
ライアンが向かったのは、確か小川がある方だったと思う。学校に川があるなんて驚きだが、小さな川があった方が花を育てるにも何かと便利らしい。
「小川って言っても、渡れそうにないけどね…」
ズボンならまだしも、ドレスで渡ろうとしたらどれほど濡れるか…。もしライアンが川の向こう側に行ってしまっていたら探しに行く事ができないな、と誰もいない事を良い事に思う存分肩を落とす。
川の周りは少し開けていて太陽の光が入り、けれど生き生きとした木々も伸びているから木陰もちゃんとあって心地良い場所だ。もしサボっている生徒がいたとしても、ここならサボりたくなってしまうと思う。
コロコロゴロゴロと大きさの異なる小石を踏みながら、ライアンはどこかと辺りを見渡す。すぐに見つけられると思ったけど、ちょっと安易に考えすぎたか。
一向に見つからない事にまた肩を落としつつ、少し強い太陽の日差しを避けようと木陰に入った時だった。
ガサッ──
何かが草をかき分ける音が耳に届いた。
声をかけてこないという事はこちらに気づいていないのか、それとも気づいた上で声をかけないのか。はたまた相手はライアンではないのだろうか。色々な考えが瞬時に浮かんだのは、多少なりとも体が身構えたからだ。
少し俯けていた顔を上げる。私の目に映ったのは、浮かんだ全ての考えと異なるものだった。
「………誰」
体格からして女性だろうけど、フードをかぶっていて顔が見えない。マジで誰だ。
思わず低い声で問いとも言えない言葉を吐いてしまった事を後悔しつつ、ジィッと相手を見つめる。相手はそんな私に動揺したのか、一歩足を引いてしまった。
「あ、待って…!」
万が一相手がこの学校に籍を置いている人間だと、今この状況は非常にまずい。だって、カタルシアの皇族が名も知らない相手に不躾にも「誰」と睨みをきかせたって事だよ。
………いやいやいやいや、それはまずい!
絶対君主の父様や、麗しの皇太子と呼ばれている兄様、何より「カタルシアの天使」と呼ばれている姉様の家族として名を連ねている身として、こんな嫌な噂しか立たなそうな状況は非常にまずい!
学園内じゃ噂が広まるのが早いだろうし、今まである程度猫を被ってきたのに、それが無駄になるのが一番最悪な未来だ。
どうにか引き留めようと一歩前に出る。すると私が追いかけようとしている風に見えたのか、相手が思いっきり後ずさってしまった。その勢いのまま、フードがふわりと風に吹かれる。
「えっ…」
「!!!」
心底驚いた様な顔をした相手は、すぐにフードを被り直すとすぐに走り去ってしまった。
え、今のって…。
小麦を思わせる渋い金髪に、はっきりとした目鼻立ち。一つに結ばれていた髪は見た限り長く、手入れが行き届いている様にも見えた。あれって、確実に…。
ブレアルートの悪役、ラニット!?
やっとこの驚きに頭の中が整理され始め、至った思考はまた驚きだった。なんでここにいるのか、ラニットはブレアの騎士のはずだから、じゃあここにブレアがいるのか。聞きたい事が山ほどある。もう走り去ってしまったとわかってはいるが、どうしてもこの驚きと疑問が勝ってしまって、足元に小川がある事なんて忘れて追いかけようとした瞬間。
「第二皇女殿下!お待ちください!」
少し焦った声と共に、私の腕が掴まれた。
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