第百三十八話 最後の確認
後ろ髪を引かれている姉様をどうにか屋敷の応接間まで引っ張り込む。外の音が聞こえないからなのか、張っていた気が少し解れた。
「ねぇさまぁ…」
「アステア、本当にどうしたの?大丈夫?」
思わず抱きしめれば、ちゃんと受け止めてくれた姉様に泣きそうになった。落ち着いて考えてみれば、私の行動は決してあってはならないもの。だけど咄嗟に動いてしまった今、私が感じているのは酷く深い安堵だった。
「良かった、本当に良かった…生きてて、良かった…」
口から出る言葉を止める事ができない。姉様は、ただ何も言わずに私を抱きしめてくれていた。
「怪我、ホントにしてないよね…?」
姉様の首が掴まれてしまったシーンが頭を過ぎる。不安になって聞けば、「してないわよ」と、ちょっと笑われてしまった。
「それに、私が怪我をしたらお兄様が黙っていないわ」
さも当たり前みたいに言われて、そりゃそうか、と私も笑う。確かにあのシスコン兄様ならルカリオとかリリアの事なんて放って、すぐ医務室に駆け込むはずだ。
「……うん、わかった。ごめんね、いきなり変な事…」
「アステアの事だから、きっと何か理由があるんでしょう?」
そう聞かれて、頷くか迷った。大好きな姉様だし、聞かれたらなんでも話してしまいそうになるけど、もし夢の事を言ったら変に思われるかもしれない。そうじゃなくても、少し困った顔をされるかもしれない。
それが、怖い。
「大丈夫よ、何も聞かないわ」
顔を上げれば、優しい目をした姉様が微笑んでいた。
まるで硝子細工を触るみたいに優しい手つきで頭を撫でられて、どうにか耐えていた涙腺が壊れる。姉様の手が暖かい事に、姉様の笑顔が憎しみで染まっていない事に、涙が止まらなくなった。
「あり、がと…」
ぎゅうっと子供のように抱きつくと、やっぱり姉様は、優しく受け止めてくれた。
───
兄様と姉様は純粋に私に会いにきてくれた、らしい。今回は、後日ちゃんとしたお詫びをするという事で二人にはすぐ帰ってもらった。
そして今、私の目の前にはクレイグが立っている。
「ルカリオ様とリリア王女殿下はクレイグが連れてきたんだよね」
少し非難めいた視線を送れば、クレイグは平気な顔をして「はい」と答えた。私が姉様を連れ出してしまった後、その場を納めてくれたのはクレイグだというから感謝はしてる。けど、それ以上に今は聞かないといけない事があるんだ。
「なんで、リリア王女殿下を姉様と会わせたの?」
クレイグなら姉様達がいたという事だって、私がリリアと姉様を会わせたくない事だって知っていたはずだ。正直、クレイグがこんな事をするとは思っていなかったから、ショックが大きかったりする。
「気づかなかった…という言い訳は通用しそうにありませんね」
いつもの笑みでそんな事を言うクレイグに、「言うつもりもないでしょ」と言えば、「もちろんです」と即答された。
「はぐらかさないでっ」
「はぐらかしているのはどちらでしょう、アステア様」
クレイグが、私の言葉を遮るなんて初めてなんじゃないか。驚きすぎて目を見開けば、クレイグは静かに語り始める。
「どんなに全てを曝け出していても、どんなに笑顔の人間でも、誰にも言う事のできない、もしくは誰にも立ち入る事のできない場所があるという事は心得ております。もちろん、アステア様にもあるという事は重々承知の上。これまで何も聞かず、何も言わず動いて参りました。それは今も昔も、これからも変わる事はないと信じていただきたい」
「………うん」
「…ですが彼女の事に関して、私はアステア様の内にある領域に踏み込まなければいけないと、思わざるを得ないのです」
彼女、それが誰を指しているのか、なんとなくわかった。クレイグの言葉は静かに私の中に落ちてきて、とても聞きやすくて、「うん」と静かに頷く。
「アステア様、貴女は何を隠しておられるのですか?」
私がまどろっこしい事が嫌いだって、よくわかってる。いつもの笑顔なんて隠して真っ直ぐに私の目を見つめるんだから、お手上げかもしれない。
クレイグは今まで一度だって私の言う事に踏み込んでは来なかった。それは踏み込む意味がないと知っていたからだ。逆を言えば、意味があれば踏み込んでくると言う事。だから、きっと意味があるんだね。
「だったら確信をちょうだい、クレイグ。私が全部言えるくらいの」
大丈夫かどうか、最後の確認。正直クレイグだったら転生の事を話しても「そうなのですか」くらいの反応で済むと思う。だけど実際問題、この体は自分のものではなくて、この世界は乙女ゲームで、私は未来を知っている。単純に話す事が多すぎなんだ。
だから、私が全部話して良いと思えるくらいの事をしてね、クレイグ。
「もちろんです、アステア様」
そう言って笑顔を浮かべたクレイグに、私も「そうこなくっちゃ」と笑った。
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