第百三十七話 嫌な記憶が、蘇る
姫が少女に笑顔を向け、少女も笑いかける。なんて素敵な姿だろうか。なんて素敵な空気が流れているんだろうか。
けれど、一人の皇子が話しかけた途端に、少女の表情が曇った。
『アステアも少しすればひょっこり顔を出してくるんじゃないか?きっとお前を見つけた瞬間に飛びついてくるぞ』
『さすがにアステアもお客様の前でそんな事はしませんよ』
『わからないじゃないか。それくらい、お前はアステアに愛されてるからなぁ』
皇子が微笑を浮かべれば、姫は嬉しそうに、くすぐったそうに『そうかしら…』と言葉を溢す。
少女は静かにその会話を聴き終え、そうして『皇女様』と声をかけた。
『貴女は、アステア様に愛されてるんですか?』
弧を描く口元とは反対に、その瞳に熱はなかった。背筋が凍ってしまいそうなほどなのに、姫は気づかずに笑顔で答える。
『そうであれば、嬉しいわね』
少女の顔が、黒く塗り潰される。その瞬間、少女の手は姫に伸びて、姫の首元を強く掴んでいた。
───
「───ッ…っ…!…はっ、は…」
背中が湿っていて身体中から冷や汗が流れているのだと自覚する。眠っている間に息をしていなかったのかと勘違いするほどに荒く繰り返される呼吸のせいで頭がクラクラして、立てた膝を暖かく包んでいる布団に顔を埋めた。
何、今の…。
あれは確かに、姉様とリリアだった。それに、皇子は兄様…だったよね。
姉様が死ぬ夢から始まって、サーレが蹲って泣いてる夢、知らない男が出てくる夢、今回は姉様とリリアと兄様の夢なんて…。
「不吉が過ぎるよ…」
何より、もしあの少女が本当にリリアなら、あの「黒」はなんだったの?
背筋が凍ってしまうくらいの真っ黒。あやふやな夢で見たものとは思えないくらい鮮明に私の体を凍らせてしまった。
クレイグの言う通り、もしアステアに予知夢の能力が備わっているとしたら、これは将来起こる出来事って事になる。なぜリリアの顔が黒く塗り潰されたかなんてわからないけど、もしそうなら阻止した方が良い。
冷や汗もだんだんと収まって、埋めていた頭をあげれば、大きく開いた窓から気持ちの良い風が舞い込んできた。
そういえば、姉様とリリアが座ってたベンチ、見覚えあるような、ないような…?
どこだっけ、どっかで見た事あるんだよなぁ…。
「姫さん!!!!」
「!?」
いきなり窓の方から飛び込んできた声に驚いて、一旦思考が止まる。バクバクと鳴る心臓を抑えて窓の外を覗き込めば、真下に見慣れたヨルの姿があった。
「姫さん!裏庭で客と姫さんの上二人が会ってるぜ!」
客?上二人?言っている意味がよくわからずに首を傾げれば、ヨルは「アルバの!!」と付け加えた。
「!!」
そうか、あのベンチって裏庭の!……って、事は、ん?待て待て、あれ?姉様とリリアが遭遇って事…?
「ヨル!!今すぐそこに連れてってください!!!」
勢いよく窓の枠に足をかければ、驚いた様子のヨルが反射で両手を広げた。ヨルが跨っている黒馬には申し訳ないけど、ちょっと無茶させてもらうよ。
「ぃよいしょぉおおおおおおお!!」
「このアホ姫がぁああああ!!!」
───
ヨルにナイスキャッチをしてもらい、なんとか馬の背中に跨がる事ができた。
「死ぬかと思った…」
「ナイスですヨル、なのでアホ姫は許します!」
「アホと言わずになんつうんだよ」
はぁ、と溜息をつかれてしまい、居た堪れない気持ちで「あはは」と笑って見せる。まぁ、窓から飛び降りたのは一応反省するよ、一応ね。
それからヨルの黒馬が屋敷の裏へ向かってくれて、あっという間に裏庭の入り口についた。
「ヨルは?」
「俺が行ってもどうしようもねぇだろ」
早く行け、と言わんばかりに手を振るヨルに見送られ、駆け足で姉様達のところへ向かう。そこまで広くない庭なので、走れば数十秒もしないうちに姉様達の姿が見えた。そして、揃っているメンバーに目を見開く。
ヒロインと、攻略対象と、悪役。
赤毛はルカリオだろうけど、ルカリオだって攻略対象で。ルカリオとクロードがリリアの両側に立っていて、それを、姉様が見てて。
「あ、え…?」
嫌な記憶が、蘇る。
兄様が姉様に剣を向けて、リリアが庇われて、それでルカリオの場所には、私が、アステアが立っていて。
塞ぐ事のできない口から荒い息が繰り返され、肩が上下に大きく動く。自分でも自覚できるくらい視線が色んなところに飛んでいってしまって、落ち着こうとしてもできるはずがなかった。
「やっぱり調子が悪いのかしら。こっちで一緒に…」
───ッ!!!ダメッ!!!!
「姉様!!!」
リリアへ伸ばされた手が止まって、姉様の瞳が私を映し出す。手招きしようとしていたんだろうその綺麗な手を取って駆け寄れば、姉様は驚いて目を丸めていた。
「姉様!怪我は!?」
「あ、アステア?どうしたの?私は怪我なんてしてないわよ?」
「ホント…?どこも怪我してない?何もされてない?」
思わず姉様の首元を確認し、なんの跡もない事に心底ほっとする。それから、「大丈夫よ」と、私の様子がおかしいと察した姉様に背中を撫でられて、膝から崩れ落ちそうになるくらい安心した。
お読みくださりありがとうございました。




