第百三十六話 何色かなんてわからなかった
リリア視点です。
アステア様の執事さんに連れられて来たのは、一度来た事のある庭だった。
確かアステア様の従者さんと会ったんだっけ。避けられちゃったけど、今度はアステア様に会えると良いな。
「それにしても、綺麗だなぁ…」
唯一私だけのために用意された白薔薇の庭は、冷たくて寂しい場所。お父様は一切近寄ってもくれないし、お兄様だって最近は王太子としての公務が忙しいから来てはくれない。アステア様が来た事で美しく見えたのも束の間で、アルバにいる時はずっとあそこで蹲ってばかりだった。
だけど、ここはなんて素敵なんだろう。アステア様のいるところはこんなにも色とりどりの花が咲いていて、小鳥の可愛らしい鳴き声が聞こえていて、こんなにも暖かい。最初に来た時は誰もいなくて寂しい場所だと思ってしまったけど、勘違いだったに違いないと確信できた。
前を歩いていた執事さんが立ち止まり、私とルカリオ様に道を譲る。この先にアステア様がいるのかな。
高鳴る胸を押さえて先を進めば、横から聞こえて来たのは、執事さんの声だった。
「ご機嫌麗しくございます、クロード皇太子殿下、カリアーナ第一皇女殿下」
「えっ」
執事さんが頭を下げている先には、言葉通り二人がいたけれど。私の視線は一人だけに向いていた。
「アステアに可愛らしいお客様かしら。それとも、私達のお客様?」
指に留まっていた蝶が逃げてしまった事で少し悲しげな表情を浮かべていた、綺麗な人。私とルカリオ様に気付いて微笑んだ顔は、アステア様とよく似ていた。庭の中心にいて、まるで包まれてるみたいに穏やかなところにいる。
この人が、お姫様の大事な人…。
心の中にドロッとした黒い何かが溜まる。私が何も言わないからなのか首を傾げているけれど、その仕草によって肩にかかっていた髪がさらさらと流れて太陽に照らされて、その美しさに息を飲んだ。私とは、住む世界の違う人だと思った。
「?……リリアちゃん?」
綺麗な赤い髪が視界の中に入って、やっと「あっ…」と声が出た。
「ご、ごめんなさい…」
「?」
ルカリオ様を挟んでアステア様の大事な人に見られていると思うと、体が焼けているような感覚になった。それと同時に、血の気を引かれているように感じて、気持ちが悪い。
「おいルカリオ、大丈夫なのか?」
「初めて外国へ来たからなのか体調を崩しやすいみたいなんだよ」
「そうなのか?なら、いきなり緊張させて悪い事をしたかもな…」
「いやいや……それより、そちらにいるのは帝国の天使と謳われる姫君では!」
「ルカリオ、お前カリアーナまで口説いたらどうなるかわかってるよな?」
ルカリオ様が狼狽えながらも笑っていて、皇太子様が綺麗な笑顔でルカリオ様に近づいて、アステア様の大事な人は楽しげに笑っている。みんな笑ってる。笑ってるのに、私だけが取り残されたみたいに固まってしまっていた。
みんなが、私とは違う世界の人のように思えて、上手く息ができないの…。
歪む視界の中で、私の様子がおかしいと思ったのか、アステア様の大事な人が私を見つめる。
「やっぱり調子が悪いのかしら。こっちで一緒に…」
けれど、その言葉が続く事はなかった。
「姉様!!!」
その場の和やかな空気に一線を引くような声。綺麗だけどどこか焦りの色が見えるその声は、間違いなく、焦がれていたお姫様。
だけど。
「姉様!怪我は!?」
「あ、アステア?どうしたの?私は怪我なんてしてないわよ?」
「ホント…?どこも怪我してない?何もされてない?」
その優しい声は、暖かい瞳は、一度もこちらに向く事はなかった。固まっていた体が、震え出す。胸の奥にポタリポタリと溜まっていた黒い何かが渦巻いて、頭の中が黒く塗りつぶされたような気がした。
「ずるい…」
ずるくてずるくて仕方ない。きっとあの人はアステア様の家族に生まれたから特別なんだ、アステア様と会ったのが私よりずっと先だったから特別なんだ、なのに、それだけなのに、私が一番欲しいものを手に入れてる。
「姉様、あっち行こう」
「貴女にはお客様が来てるわよ?」
「ッ…姉様とが良いの。ね?お願い」
あぁ、やっぱり、ずるい。
アステア様に手を引かれて座っていたベンチから立ち上がり、真っ白な髪を揺らしながら歩く姿は天使の羽のようだと思った。アステア様と並べば天使が戯れている絵画のようで、笑い声一つ一つが祝福の鐘の代わり。
ずるい、ずるいよ、私だってそこに、お姫様の隣に…。
胸の中に広がった黒い何かは、いつの間にか私の体全身に広がっていた。その中には嫉妬の赤も、憂鬱の青もあったけど、結局全部が混ざって、混ざった色が何色かなんてわからなかった。
ただわかったのは、この黒いドロドロはきっとあの人を見たせいなんだ、って事だけだった。
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