第百十七話 最低限の事すら
「ようこそいらっしゃいました。リリア王女殿下、ルカリオ・サリンジャー様」
笑顔に徹し、目の前の二人を出迎える。花の咲いた様な笑みを見せてくれたのはリリアで、丁寧な所作でこちらまで歩いてきたのはもちろんルカリオだった。
「お久しぶりです!またお会いできるなんて!」
ルカリオの隣を抜けて私の手を取るリリアに少し目を見開く。ギュッと握られた手に思わず視線を集中させてしまうと、ルカリオがゴホンっと咳払いをして見せた。
「リリア姫、先に改めてご挨拶を」
公爵家の子息とあって礼儀には厳しいはずなのに、ここまで優しく注意するのはルカリオの性格ゆえか。ルカリオの言葉を聞いて慌てて私から離れたリリアは、申し訳なさそうに深く頭を下げた。
「リリアちゃん!頭も下げちゃダメだって!」
「え!?あ、ご、ごめんなさい…!」
深く頭を下げる行為は、時に服従や敗北という事を意味する場合がある。深く下げられた事で首の筋が見え、自分はこの首を差し出す覚悟があるという事になってしまうのだ。さすがにこれにはルカリオも焦ったのか、リリアを姫と呼ぶ事さえ忘れている様子だった。
「大丈夫ですよ。こちらにお座りください」
「ごめんなさいっ」
「リリアちゃん、謝るのもダメだって…」
どうにか二人を一人掛け用のソファに座らせ、私も座る。リリアは注意された事で少し萎縮してしまったらしく、不安そうに私の方をチラッと見上げた。
「リリア王女殿下とは久しぶりにお会いしますね」
「あ、は、はい!」
「それと…サリンジャー公爵家の…」
「よければルカリオとお呼びください。妖精と謳われている第二皇女殿下にお会いできて光栄です」
ニコッと笑いかけられ、「うん?」と首を傾げる。何、妖精って。
「帝国の天使と呼ばれる第一皇女殿下の事は肖像画を見ただけでしたので、こうして美しいと名高いカタルシアの姫君にお会いできるとは!嬉しい限りです」
あっ、はい。そういやルカリオってあれだった。
「もし宜しければ今度二人でお茶でもどうでしょう!」
極度の女好き!!
クリフィードとは真逆で、貴族としての仕事などには真面目だけど、女関係となるとやたら甘い言葉を囁く女誑しになるんだ。初対面の姫相手にお茶って…こりゃ相当だな。アルベルトの友人として良いシーンが多かったから忘れてた。そうだ、元々女好きって設定だったよね、ルカリオって。
とりあえずルカリオの誘いはそれとなく断っておこう。
「そんな事より、お二人はどうしてカタルシアへ?お二人が来る事を昨日聞いたばかりでして把握できていないんです」
本人に聞くなんて事はとても非常識だと理解しているけど、誰もちゃんと教えてくれないのが悪い。一か八かで聞いてみれば、案外ルカリオは普通に答えてくれた。
「カタルシアの国民は誇り高く優しい気質を持っていますから。何より皇帝陛下のカリスマ性はアルバにまで噂が届くほどです。純粋に一度来てみたかった…こうして足を運べるなんて夢の様です」
女好きとはいえ、根っこは家の事を一番に考えている仕事人間だ。こうして他国にまで学びに来る事自体に疑問はない。でも、なんでそれにリリアまで…。
視線をリリアの方へ移せば、リリアは「あ、えっと…」と口籠ってしまって、代わりにルカリオが答える。
「姫が第二皇女殿下と知り合いだと国王陛下が知っていまして、行くのならぜひ一緒にと」
上手く答えられないリリアを庇う様に言葉を並べたルカリオの目を見据える。すると小さな揺れが見えて、それが嘘だと、なんとなく思った。
そもそも娘に一切の興味を抱いていないらしいあのアーロンって男が、わざわざ娘を公爵家の子息に頼むわけがない。放り投げられた、の間違いじゃないのか?ルカリオはアルベルトの友人でもあるから、アルベルトの妹であるリリアの事を預けられては連れて来ざるを得なかったのかもしれない。
「……そうですか…あぁ、そうだ、皇帝陛下が今日の晩食へお二人を招待されているのですがどうされますか?」
「!よろしいのですか!?」
「もちろん。ぜひお話を聞かせて欲しいとの事です」
父様と会うというのは大半の貴族にとって極度の緊張を招くものなんだけど、どうやらルカリオは楽しみらしい。キラキラした瞳が子どもっぽくて自然と笑みを作れば、何か思い出したのか、ルカリオの表情が曇った。
「食事のマナーはまだ…だったよね…?」
本当に、本当に小さな声で囁かれた言葉に、目を見開かずにはいられない。コクリと頷くリリアは本当に申し訳なさそうで、私の米神がピクッと反応してしまった。
あの男、まさか姫っていう立場にいる娘に食事のマナーすら教えてなかったのか!?勉強を教えてないのはまだマシだったって事か?え、だって食事だよ?確かに貴族や王族のマナーっていうのは覚える事多いけど、それでも最低限の事は知っているはずだ。皇帝から誘われているのに、断るより失礼な事はない。
だけど、ルカリオが躊躇うって事は…。
「申し訳ありません。大変心苦しいのですが、今回は…」
あの気に入らないアルバの国王は、最低限の事すら教えていなかったらしい。
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