漆
呆気に取られて、俺に謝るコトすら忘れたようなさざなみに、
「事態が錯綜しているみたいだから、ちゃんとコイツから話を聞いて、後で話すよ」
とだけ言い置いて、俺は浩平の話を聞くコトにした。今日は自主休講だ、コンチクショウ。
今は、浩平と七見の住むボロアパートに来ている。七見はいないのか尋ねたが、どうやら病院に入院しているらしい。いよいよどうなっているのかが掴めなくなってきた。
「悪いね……何か僕の知らない間に、事態が凄く混乱しちゃってるみたいだ。予想外だったよ。ごめんね、コー太」
そんな風に浩平は言う。
「ごめんねじゃねーよ……ホントいい加減、あのお姉様に何とか首輪を付けてくれ……やり辛くって敵わん」
「その件についてだけど、もう先倉さんには全部事情を話しちゃっていいと思う」
「全部の事情って、今回の件の全容は俺にもわかってねーぞ」
「ああ、今回の件じゃなくて、七見姉さんが吐いている嘘の方だよ」
「あー、アレか。アレにしたって、初めはさざなみを牽制するっていうかさ。つまり、お前に誰か恋人を作らせたくはない、っていう意図として分からなくもないが」
「そこからまずおかしいと僕は思うんだけれどね……」
「まあ、七見は常軌を逸したブラコンだから、仕方ない」
「仕方ないで済ませられる僕の立場って……」
「っていうか、世間的にはあの姉の行動を抑制しようとか全然しない時点で、十分お前もシスコンだと思うワケだが」
「どうかな?」
「本人には自覚なしってか。とにかくじゃあ、さざなみには、上丘七見はホントは上高地七見っていう名前で、浩平の実の姉だってちゃんと話すぞ」
「そうしたら気持ち悪がられて、先倉さんに離れられちゃうんじゃないかな……姉さん可哀想」
「そこでこれまで嘘を吐いていたさざなみに対しての謝罪じゃなくて、実の姉の心配が浮かんでしまうお前の頭だ、可哀想なのは」
「そうかな?」
「その無表情で首を傾げるヤツやめてくれるかな……」
「うん、いいよ。仕方ないなあ、やめたげる」
「…………」
なんかウンザリしてきた。
「まあ、とにかく軽く状況の整理だ。七見はさざなみには、『私は浩平の姉です』っていう真実ではなく、『私は浩平の恋人です』という虚偽を伝えていた。コレはさざなみを牽制するため――お前に近づけないためだ」
「そうだね。それにしても、先倉さんって信じやすいよね。学生証の確認もしないとは……」
「息をするように嘘を吐くお前らとは違うんだよ!! それに安心しろ。多分この嘘がバレても、さざなみは七見の友達を辞めねーよ」
「へえ、人が良いね。偽善者かな?」
「お前……ぶん殴っていいか?」
「イヤだ」
「アイツのコトももうちょっと考えてやってくれよ、マジで。今日なんか二人に疑いを掛けたコトで、俺の方が責められちまったよ」
「ふうん……姉さんって外面いいんだね。外面がいい姉さんを独り占めするなんて、許せないなあ」
「お前のシスコンっぷりは!! ホントにもう!!!!」
「だからさっさとホントのコト教えてあげてよ」
「……はいはい」
「まあ、実際僕達と付き合い始めるには、まず僕達が付き合いにくいどころか近付きがたい存在であるコト――つまりは嘘吐きであるコトを知らないと話にならない」
「その性根を直して欲しいんだけれどな」
「ムリだね」
「端的だな」
「そりゃあそうだよ」
「まあ、俺もお前の性根を叩き直すには殺すくらいしか方法がないとは思ってはいるから。で? そろそろ経緯を話せよ」
「うーん。そうだねえ……僕もよくわかっていないところもあるから、途中で一回姉さんに電話を入れて確認を取るけれど、取り合えず分かるところまでは話そう」
「さっさとしろ」
「まず僕が小説を書き始めたコトに端を発する。『幽霊』っていうタイトルの小説なんだけれどね。その話は主人公が、夜毎に『死んじゃえ』って幽霊に言われるみたいな話なんだ。で、その幽霊が主人公の妄想なのか、それともホントにスピリチュアルな感じで存在するのか、不確定なままで話が進んでいく。それで、そこに出てくる主人公と幽霊のモデルが、ぶっちゃけた話、僕と姉さんなんだよね」
「お前、なんなの? お前の姉をモデルにした幽霊に、毎晩死んじゃえって言われる、お前をモデルにした主人公とか、その話を読んで誰が楽しいの?」
「僕」
「あ、そう……もうお前のそのキチガイシスコンっぷりについてはどうでもいいや。それで?」
「それでその作品のオチで、主人公は幽霊に取り憑かれて、自殺すんの」
「あ、大体話のオチも読めた」
「そう? この作品を姉さんが読んじゃったんだよね……それでさ、姉さんはその作品の主人公のモデルが、僕だって気付いたみたい。主人公の自称は俺にしてみたんだけれど」
「それくらいの小細工をあの姉が看破できないはずがないだろうが……」
「それはそうだけど。それで、姉さんはその主人公に言い寄る幽霊に嫉妬しちゃったみたいなんだよね」
「はあ?」
「幽霊が自分をモデルにしているコトは看破出来なかったのかな? よく分からないんだけれど、とにかくなんか幽霊ごっこを始めちゃって……」
「うーん……」
「正確には、なんだろう、僕もその全容が正確に理解出来ていないんだけれど、僕にお姉ちゃん扱いどころか恋人扱いすらしてもらえない……ストーカーとか幽霊扱いされる女みたいな、演技かな……?」
「それもうわかんねえな」
「うん……そこら辺の複雑な事情は、正直、姉さんにしかわからない部分だと思う」
「ともあれ、ごっこ遊びならそれで終わるだけだろ? 内向きに閉じただけで終わるはずだろ?」
「まあ、姉さんがおかしいコトに議論の余地はないと思うんだけれど、今回はちょっと同情の余地もなくはないかな」
「そうなのか?」
「そもそも、その幽霊ごっこに引っ張られて、結構ねえ、病みキャラになっちゃったんだよね」
「それについては、俺もさざなみ越しに聞いていなくもない。っていうか、フォローがさ~……お前な、さざなみの中でお前の評価だだ下がりしてるぞ?」
「そうなの?」
「そうだよ。何かこう暴言を吐いてきたりだとか、全然大切にしてくれないだとか……」
「まあそういう演技だしね」
「実際にしたのかお前?!」
「そういうプレイだからね」
「『演技』とか『プレイ』とか言っておけば、それができる人間性の問題をクリアできると思ってるの?」
「思ってないよ。僕も姉さんもおかしいよね、はいはい」
「ダウナーだなあ……」
「ダウナーにもなるさ、こんな人生だとね」
ふう、やれやれ、と浩平は手を広げた。何かホントいちいち仕草に腹が立つんですけど。
「それでね、ホントにやれやれなのはここからだよ」
「どうなったんだ?」
「まずね、僕が隣の部屋の美人OLに食事に誘われちゃったんだ」
浩平が壁を指差しながら言った。
「お前の隣の部屋って、おっかない明らかにヤクザっぽいオッサンじゃなかったの?」
「それは左隣」
浩平の指の方向から言って、それでは右隣が美人OLの部屋というコトなんだろう。
「なんでこのボロアパートにはそんな豊富な人材が揃ってるんだよ……」
「分からない。姉さんが引力でも発しているんじゃない? なんか似た者は『引き寄せの法則』みたいな感じでさ、引き寄せられるんじゃない?」
「まあ、このアパートにお前の姉以上の変人はいないだろうけれど……」
「でも、右隣のOL美女もなかなかの変人だったよ」
「へえ……でもお前の姉とは勝負にならないだろ」
「そりゃそうだけれど。OLさんは何かね……ちょっと記憶障害というか、何かがあるんじゃないかな……この部屋に住んでいるのを、僕だけだと思っているんだよね」
「何それ怖ッ!? だって、七見ってずっとこの部屋に住んでいたんだろ?」
「そうだね、ブツブツと不平不満を零しながらね。でも、姉さんはその女性に一回も挨拶されたコトがないらしい。僕は毎朝されているんだけれど」
「単なる男好きでは?」
「うーん、どうなんだろう。気に入られちゃった感はあるけれど、アレだけ美人なら引く手数多だと思うけれどな」
「どれだけ美人なんだよ……」
「食事に一緒に行ったところによると、今、二十四歳で、中小企業でありながら堅実な仕事選びをしていると……」
「なんで食事行っちゃってるんだよ?!」
「え、ダメだったかな?」
「お前、人の気持ちに鈍感過ぎだろ……」
「うんまあ、ダメだったんだろうね。僕が愛しているのは姉さんだけなんだから、逆に言えば何とも思っていない女性といくら食事に行ったって、心の浮気にはならないと思ったんだけどな」
「サラッと重度のシスコン発言だな……」
「まあいいじゃない。兎にも角にも、それが姉さんの逆鱗に触れてしまって、それから病み病みだよ。ホントにね、心中自殺とか自殺未遂をしかねない感じになっていったんだよね」
「大問題じゃねーか」
「そんな姉さんにトドメを刺すように犯罪者が来てさ」
「犯罪者?」
「警察を名乗っていたけれど、全然そうとは思えない黒ずくめで、怪しい呪符とかが貼り付けられたコートを着た女性が突然日曜日の昼間にやって来たんだ」
「意味が分からないんだが」
「僕にも分からないから大丈夫だよ。とにかくその人が、突然やってきて玄関のドアを半ばぶっ壊して僕を壁に叩きつけて土足で上がり込んで姉さんを一発思い切りぶん殴って、去っていったの」
「え……普通にヤバくない?!」
「ヤバいよ。警察に通報したし、事情聴取も受けたけれど、事件に今のところ何の進展もないみたいね……」
「マジかよ……」
「それから姉さん、打撲で入院したんだ。幸い、生命に別状があるとかじゃなかったんだけれど、内臓のダメージとか、骨の骨折とかがあって、数ヵ月入院だよ……ここからは多分推測だけれど、それで追い詰められちゃったんだ、姉さん」
「つまり?」
「だからさ、僕と親友の浩平の恋人――僕と先倉さんの関係を牽制するような姉なんだよ? それが数ヵ月、家でも大学でも僕と会えないってなったらどうなると思う?」
「壊れるなぁ」
「そういうコト。僕と姉さんの心中自殺の噂を流したのは、病院の暇さ加減で頭がおかしくなった姉さんで間違いない。ちょっと今、電話して確認を取ってみるね」
そう言って、浩平はスマートフォンを取り出してみる。
「ああ、姉さん? え? 電話の向こうに誰かの気配がする? 女じゃないのかって? 心配し過ぎだって……コー太だって。今二人で家で……え? 禁断の関係を二人が持たないとも限らないって?」
俺は噴き出した。
「ありえないよ……ありえないから心配しないでよ。僕が愛しているのは姉さんだけだから。ホントさ。それでちょっと教えて欲しいコトがあるんだけれど……報酬はキスでいいよね? 今度は――ベロを入れてあげる」
「……………………」
「ねえ、心中自殺の噂を流したのって姉さんでしょ? ……うん、うん。あ、そっちもか――そうか……。いいよ、事態の収拾は僕がしてあげる。後、コー太と先倉さんも手伝ってくれるさ。人が良いからね」
「おいおま、」
「友達は大事にしなくちゃダメだよ? 姉さん……そういう繋がりを、これからはもっと大切にしていこうね」
浩平は電話を切った。
「……ふん。まずお前が俺を大切にしやがれ」
「善処します」
「まずその棒読みとサラリーマン用語から辞めようか」
「検討します」
「……殴っていい?」
「ダメ」
ふぅう……と、浩平は伸びをし、息を吐く。
「何一段落したみたいな体勢を取っているんだよ」
「まあ、説明は大体終わったでしょ?」
「なんか電話でのやり取りを聞いていて、普段からキスはしていそうな感じがしたんだけれど、そこは突っ込んでいいの?」
「いいよ。してるよ」
「へえ、そうですか、はあ……」
「なんだよ、聞いたのは君だろ?」
「そうだけどさ……で、大学以外にも心中自殺情報って流れているのか?」
「ああ。そのことならあんま気にしなくていいよ。伯母――僕達の母親の姉は、近親相姦には理解がなくてさ」
「なくて当たり前だし、お前の親もないだろ。だから仕送り額が少ないんだろうが。勘当されないだけマシ」
「そんなコト言うのか、君は。まあとにかく、疎遠になるまでは僕の家とも行き来があった伯母に、ずっと嫌がらせをしてきたあの人に、母親の振りをして姉さんが電話を掛けたらしいんだよね。大丈夫、そっちはちゃんと僕が片を付けるよ」
「ホントか? 意趣返しみたいな感じで、ずっと教えないままでいるとかしないのか?」
「姉さんと二人で行って、目の前でキスでもしてくるよ。それで全部片がつくだろ?」
「ある意味男らしいよ、お前……」
「僕はありとあらゆる意味で男らしいのさ」
さてと、と言って浩平は、コピー用紙をホチキスでまとめた小冊子を手に取った。
「なんだそれ?」
「今回の騒動の大本の原因とも言える『幽霊』の原稿」
「……ああ」
「こうやって色々コトが終わって思うのは、ベタだけれど、こういうコトだね」
「なんだよ?」
「幽霊がいるかいないか? そんなコトは問題じゃない。実在している人間の方が、実在している分よっぽど怖い」
「そりゃあ至言だ」
「その至言を呟くためだけの物語だったとすれば、こんな徒労もないけれどね」
「まあいいじゃねーか。そろそろ出ようぜ」
そう言って二人で、俺達は部屋を出た。
さあてそろそろ――『幽霊』の後片付けを、しなくちゃな。