屍
亡海屍子は当代きっての霊媒師であり、同時に世界最強の陰陽師である。だからこそ、他の全ての説明を置き去りにする。彼女は最強であり、最高である。以上。
ちなみに決めゼリフは、その現場の全ての仕事をスタイリッシュに片付けた後での、
「私のコトは、しかばネコと呼ぶといい」
というクールな一言であるらしい。
最近、亡海の心を捉えている一件がある。どんな現場においても一瞬の除霊を可能とする最強の霊媒師であるから、常に彼女が数十の仕事を抱えているのは当然のコトだ。しかしながら、その一件は亡海をして介入を躊躇うモノであり、しかもそもそも仕事として依頼されたモノでもない。
(……この暗黒の瘴気――ヘタに刺激するのはよくないだろう、やるとしたら一撃でやらなければ意味がない)
『やる時は一撃で』。それが亡海の仕事の流儀である。
亡海は数週間に渡って、その案件の現場であるボロアパートを監視していた。初めは廃墟だと思ったのだが、どうやら違うようだった。億ションを所有する亡海としては、人間が住んでいるのが信じられないくらいの住宅環境なのだが……。
問題の一室の床下に侵入したり、深夜に部屋に侵入したりしてみたモノの、なかなか悪霊と行き会えない。
悪霊がいない時のその家は、悪い場を形成すらしていない。問題は悪霊にこそあるのだろう――いや、ネットリとしたあの気配は、もしかして生霊、か? どれだけ深い闇を背負えば、アレだけの怨念を背負えるのか、亡海をして理解不能だった。
しかし、いつまでも手をこまねいているワケにはいかない。
これ以上放っておけば、問題はもはや手をつけられないくらいに肥大化してしまいかねない。極論、コレが遠因となり、蝶の羽ばたきが遠くの国で台風を起こすという『バタフライエフェクト』のように、東京が滅ぶかもしれなかった。
日曜日の日中、悪霊の気配が問題の一室の中でしたため、亡海はとうとう部屋に踏み込むコトにした。
ドアを思い切りバンと叩きつけるように開く。
なんだか蝶番が外れたような音がしたが、元々廃墟と同レベルなので私は何にも悪くはない、と彼女は思った。
「逮捕する!!」
あ、セリフを間違えたけれど、別に全然問題ないはずだ。部屋に踏み込んだ時に、生涯で一度くらい言ってみたいセリフを、この時に言わずして何とする。亡海は何も悪くなかった。
「え、ちょっと、あなた、誰ですか――まさか警察? なんで??」
ワケが分からないコトをボソボソと言っている、この部屋の住人であるらしい若い男を、グーで殴り飛ばし、壁に叩きつけてから(まあ、五月蝿いのは黙ってろ)、亡海は土足で廊下に上がり込んだ(廃墟だし別に問題ない)。
亡海は廊下をズンズンと突き進み、リビングに辿り着く。
――そこに害悪がいた。
コレは悪霊でも生霊でもないのか? 人間?? ありえないありえないありえない。
亡海がこれまでの退治してきた様々な悪霊を、軽々と越える存在だった。
霊視を可能とする亡海の眼は、その存在のオーラを可視化する。
その人間(?)のオーラは、真っ黒な毒々しい、何もかもが腐ったような、何もかもを腐敗させるような、そんな粘質の空気として感じられた。
亡海は一瞬、逃げたいような心に駆られた。
しかし、逃げるワケにはいかない。ここで亡海が逃げたら、東京が滅びるのだ。
「お前ほど害悪なる存在は見たコトがない!! 悪霊でも生霊でもない――お前は人間にして化物だ! 生まれ持っての悪だ!!」
自暴自棄に叫びつつ、彼女は右拳に彼女に憑いている最強の霊魂《黒死魔刻》を霊媒した。続けて、一符、二符、三符と霊的攻撃力を増加させる霊符を右拳に貼り付ける。ムシャムシャと霊符に込められた中級霊を咀嚼する超上級霊《黒死魔刻》が、その禍々しい外見を更に肥大される。その筋骨隆々とした体躯、鋼のような漆黒の肌、爛々と輝く黄色の瞳、血のように赤く燃え上がる頭髪、荒々しい腰布、闇に溶けるような大振りの大剣が、この場で見えているのは亡海だけだ。
亡海は害悪に向かって突進し、引いた右ストレートをぶち込んだ。
同時に《黒死魔刻》も大剣を最上段に構え、害悪に叩き込んだ。
「お前なんて害悪は、死んでろ」
その一撃で決まったはずだ。もうもうと立ち込める瘴気から、害悪がどうなったかはわからないが、しかしもう一撃は一撃だ。一撃を決めたからこれ以上、亡海の出る幕はない。逃げよう。
「アンタは何やってんの!!」
背後からやってきた激昂しているらしい若い男の肩をポンと叩きながら、
「私のコトは、しかばネコと呼んでもいいんだよ?」
と一応決めゼリフを言ってみるも、
「はあ!? 意味わかんない、僕、今から警察呼ぶよ!!」
怒鳴られてしまった。
そういえば私、しかばネコって一度も呼ばれたコトもなければ、友達もいない……というしょっぱい現実から全力で逃げるように、亡海はその場から脱走した。
「今回の敵ばかりは……倒し切れたかわからない」
それは実質的に、彼女の初めての敗走だった。