八
それは小鳥の啼音を戴き、*一瞥の裡に*哀韻を響せる、華奢で美しい女であった。薄らと*白粉でも塗って居るかのように相貌は真鍮に光り、鼻梁は微と蒼く翳の射した容子であるのにも拘わらず、*毫も幻めいては居らず、憂鬱そうに納る豊頰の間に窄められた吻は宛然蜜柑の果肉のようですらあった。
*袷や羽織に帯留と、登攀の恰好とは率然に信じ難い服装ではあったものの、暗夜のために*染絣やら絞染やらは判然としなかった。随って記憶にも余不残ず、記いて居る今ではどんな銘や柄であったか悉忘却れてしまい、恂に着物を装飾って居たのか訝しいと想う程である。と云うのも、そう謂った服装を差置いて、私の興味を故ら惹いたものがあった。
それは眸である。*烏羽に生揃った睫毛が胡蝶の翅の如く熄まり、それを敷衍げるかのように明眸が円に調って居る。私は幽遠い谿底でも覗込むかのように*鯱鉾張り、女の眸の裡に、*十重二十重の喘ぎに取縋られた痕のようなものを視た。それは視る人の確信を鈍化せ、狼狽がせる、不思議な作用を持って居た。確かに私はあのとき、視て居ると云うよりも遥に視られて居り、蛇に睨まれた蛙のように、*因循に居竦まる他なかったろう。
水晶を光が透いても、雨粒にはそれが許されないのと恰度同じで、私の視線は遁るように虚空へ辷落ちるのであった。女は秋らしく、厚着とも薄着とも云えなかったが、裸は綽々く想像された。それは大理石の*白皙を容赦なく研削あげ、危い均衡の上に咲く不安の薔薇に違いない。
こう記くと、私のことを狂人かのように思われるかもしれないが、汎そ美人の定義とはこう云うものではなかろうか。
*一瞥…ちらっと見ること
*哀韻…哀れな響き
*白粉…化粧に用いる白い粉
*毫も…少しも
*袷に羽織に帯留…袷は裏地つきの着物、羽織は長着の上におおい着る、襟を折った短い衣、帯留は女の帯の上をおさえ結ぶ帯締め。
*染絣やら絞染…それぞれ染文様のこと
*烏羽…黒く青みのある艶やかな色
*十重二十重…幾重にも多く重なる様
*因循…決断力に欠け、ぐずぐずするさま
*白皙…肌の色が白いこと




