六
私は小径を通行り、参道らしき、やや豁けた通路へ抜た。木組の階は既に*普請から永いのか、殆ど砂礫に埋れて居た。
後方を瞰下ろすと、手前から颯と樹々が山裾まで流れ、疎に明滅する街が、遠く視められる。樹立に糊附けられた月露が温泉の如く散れ、*坐らにして、汀に尽きる波浪のように燦爛とした。光輝の騒擾きは蛇腹の如く紆り、時折闇を泛べた。*黒洞々と屈める闇、悧巧に綰える闇、こう謂ったものが壮に吼えるのを聴いた。光は闇に脅かされて居たのである。
俄と私は、この月露の花圃が月魄自身によって掻消されるような想いに駆られた。光彩陸離と輝けるのは仮の容で、月が閑と呼掛けると、それは大急ぎで胡蝶の群に変貌し、忽ち飛翔ってしまうのではないであろうか。生餌で拐引かされるようではなかろうか、と考え悚然した。
急ごう、そう想った。
頂までの前途に、私は*真砂ほどの秋を視た。四辺は幾重にも謐り、暗闇のため判然とはしないものの、右方の絶崖からは縮れた*岩茸の*緞帳が覘かれ、左方の青草の豊饒には*竜胆や*吾亦紅らしき輪郭も納って居る。私は夥多い許りに隠匿んで居るであろう蜻蛉や蟷螂を空想て、熟と見戍った。
点綴される巌陰は蟲たちの馴染なのであろうか。今は*車前の掌で、宛然小休止をするように、僅な時間を偸んで翅でも息ませて居るのであろうか。否、夜半ともなれば彼等も寝静って居よう。それとも近頃の蝉がそうであるように、電灯に煽られ、依然覚醒て居る徒輩も在ろうか。しかし、この深山には常夜灯など有りはしないのだから、逡巡えるだけ徒であり、可笑て居たが、不思議とその絵姿は、明朗としてきたのである。と云うのも、倖いにして、在るかどうか判然としないものを仰ぐ心持は満足りて具って居た。私はそう云う人種である。
*普請…工事
*坐ら…その場で
*黒洞々…くろぐろと
*真砂…ここではたくさんのという意味
*岩茸…深山の岩面生じ、地衣体は葉状で円形
*緞帳…厚地織物で製したとばり
*竜胆…リンドウ科の多年草。山野に自生し、古くから観賞
*吾亦紅…バラ科の多年草。山野に自生し高さ六十~九十センチメートル
*車前…オオバコ科の多年草。アジア各地に広く分布。踏まれても強く、原野路傍に普通の雑草