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二十八

私は明晰に死を思い描き、灯油を(さが)した。確か満々と注いだ樽一斗が(くら)の裡に保管されてはいなかったか。

焼身自殺。

野蛮で粗略な四文字が今ではなんと甘美な響きを持つことか。心裡(こころ)隅々(くまぐま)まで透徹(すきとお)翠嵐(すいらん)もここまで(ほがらか)ではあるまい。

私はこの一夜(ひとよ)で何度も繰返(くりかえ)繰返(くりかえ)(じぶん)の爪先が、関節が、内蔵が、肉と云う肉が(すべ)てが焼け、焦げ、そして糜爛(ただれ)れる容子(すがた)を妄想した。まず、(はやめ)買貯(かいだ)めた灯油を容器(タンク)ごと庭先まで持込(もちこ)み、幾分(いくら)(ばか)(すく)い、驟雨(ゆうだち)の如く(さっ)(かぶ)る。そして(しとど)水気(すいき)を吸った毛髪(あたま)から眉を通過(とお)り、眼瞼(まぶた)沈込(しずみこ)む。眼球(めんたま)へは(しみ)るのであろうか。俄作(にわかづく)りの疚痛(いたみ)は眼薬がそうであるように、体の調律と(ほとん)不渝(かわら)ないのだから(おそ)れることはあるまい。鼻孔(はな)雲丹(うに)でも突込(つっこ)んだかのような激痛を(ともな)うのであろうが、金木犀(きんもくせい)の海に溺れたとでも憂慮(かんが)えたら()い。

首筋を這う血管が私の生を(つな)いで居るのならば、肌身を流れる灯油は死を(つな)いで居るのであろうか。

やがて装飾(いふく)はつーんと刺す匂いで充満され、玉裳(たまも)のように(ずっしり)と身の(つま)った死装束(しにしょうぞく)へ転生する。灯油で(みた)されることで初めて(てん)の心地になり、冥護(みょうご)跫音(あしおと)すらその残余(なごり)を感じることはない。私は漸く玲瓏(れいろう)とした輪郭を(つか)むことが叶う。

そうして火を点ける。火はたちどころに全身へ広がることだろう。毛髪は炭化し繊細(かぼそ)く折れる。生身(からだ)(よろ)皮膚(じはだ)宛然(さながら)歯切(はぎれ)()鶏肉(とりにく)のように焼上(やきあ)がり、(ふっ)とした(りきみ)で快く弾け、勢いよく血飛沫(ちしぶき)(とも)真紅(まっか)な肉が覗かれることだろう。血潮は宝石の嵐のように(きらめき)を放ち、奥深いところで溶岩が動揺(ぐらつ)いたように命の結晶が湧出(わきで)る。激痛が(はし)り、たとい壊死を免れた皮膚(ぶぶん)であろうとそこには水泡(みなわ)立顕(たちあらわ)れ、黄色から茶褐色、黒色へ変化し、角膜は盲に濁り、間抜(まぬけ)に舌を出すだろう。私は咄嗟に老朽して瀝青(ぺんき)の剥げた鉄柱を聯想した。

未遂を恐れた私は(ふたたび)心の裡を点検した。必要なものは灯油を数から数十(リットル)、着火装置もしくは燐寸(マッチ)、他に何かあろうか。(たった)これだけであろうか。何か過不足はなかろうか。未遂で終わってはならない。それは最も(おそろ)しい結末だ。

(もがり)の儀式を執行(とりおこな)うように、(つつし)んで遂行せねばならぬ。

私は最後の荷積をしようと思った。

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