二十五
私は刺すだけで可い。刺すことで黒牌倒しに女の死が導出かれる。
あとはこの寸鉄が血の匂を嗅当てる鮫の如く、一撃の裡に葬ることだろう。一点を狙い、真白な意志で迸る鋭頭は実に見事な軌跡を描くことだろう。
*籠手がなければ面もない。胴もなければ垂もない。しかし竹刀にはない光輝を持って居た。
鋭い殺意が鋼鉄の光に包まれ鋒は鮫の鼻先のように燦ついていた。それは一直線に人肌温い装束を貫き、弾力に富んだ皮膚を刺し、鮮な肉を剔るに相違ない。鳴響く演舞の一齣に過ぎないが、決して欠けてはならない。この一閃にはそれほどの*奥旨があるのだ。
私は月を背向にして腰を勾欄に任け、やや*億劫げに首を身動した。月華は質量を持ったように肩から背中へ覆掛り、真白な月魄の羽根が生えたように身は重くなった。しかしそれも無理からぬことであろう。何故ならば、この名月は私の犯行を*目睹するただ一個の傍観者なのだから。その聊かも揺るがぬ事実は背中を透して霽と胸に落着いた。
太陽が善の立会人ならば、悪の立会人となるのは、やはり月しかいない。
俄かに樹々が鳴った。色白に尽れる枝葉が木管楽器のように囁いた。怯臆に戦慄く女は騒擾の*彩絵を招び、桜のような崩壊が予兆された。私の貌は月のために暗黒めいて居ることだろう。女にとってなんら表情を物色うことの許さぬ闇が唐突に現れる状はさぞ恐しかろう。
女は腰掛から動転てこちらへ駆寄った。私は死の花嫁を迎える心地であった。この機を逃す道理はなかった。
私の精神は*蹲踞のように構えた。構えと云ってもそれは舞踏の断面を切抜いた瞬間で、すぐにその高く迫上がった潮は崩れた。
私は体ごと打ち付ける気で奔った。
抜身を晒し時からあらゆる瞬間は深い聯関の許に水銀のごとく合一いた。そこには僅許りも魂の空白はなかった。
果たしてそれは成された。
*籠手、面、胴、垂…いずれも剣道着
*奥旨…学問や宗教などの奥深い意味
*目睹…目撃
*彩絵…濃淡をほどこした絵
*蹲踞…剣道などでつま先立ちで深く腰を下ろし、膝を開いて上体を正した姿勢




