二十三
しかし叢雲は霽れた。
暗い時の門を滑抜け、月は*明星の如く燦然と耀き、珠玉に蒼褪めたように、完全と夜に納って居た。雲隠する前と聊かも身幅の不渝ぬ容貌である。夜闇に高揚する様が一入に操を*佩き、却って*炳乎と思い倣された。光芒は一文字差伸べられ、地上へ遍く滑落ちた。粒立つ光の水泡は女を駆昇り、薄く窄められた唇は莞爾と閉され、色香の蝋を凝りかためた鼻梁が両の瞳へ聯られ、白皙の虚飾に輪郭づけられていた。
なんと呪わしい美しさだ!
まるで老いを重ねたのが女ではなく月の方であるかのようであった。余す処なく美しさの蜜を舐め、支配的な弱さに覆われた太陽の営みであり、わけても月の禁忌に見戍られるような美しさではなかった。ただの絵画がそうであるように、女は額縁によって腐蝕から免れていただけだった。琥珀の蟲のように額縁の裡でだけ、時間は脱獄され、瞬間は永遠となった。
珊瑚の精緻を*琺瑯に曳かせ、輪廻を脱した賤しい*倨傲であった。死屍を樹脂で満と充し、際限なく時間を延長ばすあの*狼藉と一緒だ。
これで月は永遠に死ねなくなった!
死ねないということは死ぬ他ないことよりも数段悲惨である。それが美しさであればなおのこと。
人間はともすれば、不死への幻想を抱くために老いを賦えられて居るのかもしれない、絶対に手に入らないものへの涯ない憧れをもつため、不死を免れているということは可能ることではなかろうか。
人の目につくものは必ず死に絶える。指の透間から零れ落ちるその口惜しさの一滴まで美は*口吻を洩らす。芸術はその枝を隅々まで浸透らせ、そうかと思うと瞬く間にその潮を引かせる。それでいて潮騒は鞏固に残余を留める。それは海嘯のようであろう。なんら前触なく、壮烈に去来するところに髄が在り、永いこと*位催促を一途み、感情を*無心するような芸術は見るに堪えない。
私は強い皮肉を感じた。自分の裡が今迄になく沸騰って居るのが判る。滑な肌は反転り、針の絨毯の如き棘が露になり、神経を擽る一撫で一撫でが絶頂へ仕向けられて居た。心臓を突刺して噴く血は、最高の緊張に滲む汗と寸分も違わぬ味をして居るに違いない。これが肉の怡びと云うものであろうか。
私は勃然思った。
『お前ほど美しく聡明な者など生きていてはならない』
明星…金星
佩く…帯びる
炳乎…光り輝く様
琺瑯…おもに鉄器など金属の素地に釉を塗って焼き、ガラス質に変えて、これで表面を覆ったもの
倨傲…おごりたかぶっていること
狼藉…乱暴
口吻を洩らす…言葉の端々に内心の思いが現れる
位催促…その場に座り込んでしつこく催促すること
無心…遠慮なく物をねだること




