表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/29

二十三


しかし叢雲(むらくも)()れた。

暗い時の門を滑抜(すりぬ)け、月は*明星(みょうじょう)の如く燦然(さんぜん)耀(かがや)き、珠玉(まんまる)蒼褪(あおざ)めたように、完全(すっぽり)と夜に(おさま)って居た。雲隠(くもがくれ)する前と(いささ)かも身幅(みはば)不渝(かわら)ぬ容貌である。夜闇(よやみ)に高揚する様が一入(ひとしお)(みさお)を*()き、却って*炳乎(へいこ)と思い()された。光芒(こうぼう)一文字(まっすぐ)差伸(さしの)べられ、地上へ(あまね)滑落(すべりお)ちた。粒立(つぶだ)つ光の水泡(みなわ)は女を駆昇(かけのぼ)り、薄く窄められた唇は莞爾(にっこり)(とざ)され、色香の蝋を凝りかためた鼻梁が両の瞳へ(つらね)られ、白皙(はくせき)虚飾(きょしょく)輪郭(りんかく)づけられていた。

なんと呪わしい美しさだ!

まるで老いを重ねたのが女ではなく月の方であるかのようであった。余す処なく美しさの蜜を舐め、支配的な弱さに覆われた太陽の営みであり、わけても月の禁忌に見戍(みまも)られるような美しさではなかった。ただの絵画がそうであるように、女は額縁によって腐蝕から免れていただけだった。琥珀(こはく)(むし)のように額縁の裡でだけ、時間は脱獄され、瞬間は永遠となった。

珊瑚(さんご)精緻(せいち)を*琺瑯(ほうろう)()かせ、輪廻(りんね)を脱した(いや)しい*倨傲(きょごう)であった。死屍(しかばね)樹脂(じゅし)(たっぷり)(みた)し、際限(さいげん)なく時間を延長(ひきの)ばすあの*狼藉(ろうぜき)一緒(おなじ)だ。

これで月は永遠に死ねなくなった!

死ねないということは死ぬ他ないことよりも数段悲惨である。それが美しさであればなおのこと。

人間はともすれば、不死への幻想を抱くために老いを(あた)えられて居るのかもしれない、絶対に手に入らないものへの(はて)ない憧れをもつため、不死を免れているということは可能(ありう)ることではなかろうか。

人の目につくものは必ず死に絶える。指の透間(すきま)から零れ落ちるその口惜(くちお)しさの一滴(ひとしずく)まで美は*口吻(こうふん)()らす。芸術はその枝を隅々(すみずみ)まで浸透(しみわた)らせ、そうかと思うと(またた)く間にその(うしお)を引かせる。それでいて潮騒(しおさい)鞏固(きょうこ)残余(なごり)を留める。それは海嘯(つなみ)のようであろう。なんら前触(まえぶれ)なく、壮烈に去来するところに(ずい)が在り、永いこと*位催促(いざいそく)一途(きめこ)み、感情を*無心(むしん)するような芸術は見るに堪えない。

私は強い皮肉を感じた。自分の(なか)が今迄になく沸騰(いきりた)って居るのが(わか)る。(なめらか)な肌は反転(うらがえ)り、針の絨毯(じゅうたん)の如き(ささくれ)(あらわ)になり、神経を(くすぐ)一撫(ひとな)一撫(ひとな)でが絶頂へ仕向けられて居た。心臓を突刺(つきさ)して噴く血は、最高の緊張に滲む汗と寸分も違わぬ味をして居るに違いない。これが肉の(よろこ)びと云うものであろうか。

私は勃然(ふっと)思った。

『お前ほど美しく聡明な者など生きていてはならない』

明星…金星

佩く…帯びる

炳乎…光り輝く様

琺瑯…おもに鉄器など金属の素地に釉を塗って焼き、ガラス質に変えて、これで表面を覆ったもの

倨傲…おごりたかぶっていること

狼藉…乱暴

口吻を洩らす…言葉の端々に内心の思いが現れる

位催促…その場に座り込んでしつこく催促すること

無心…遠慮なく物をねだること

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ