二
吾は濃い*酩酊を相伴って瞼を醒ました。
佳い夢のあとに*味到される、影の射した水底のような*瑞験めいた余韻は無く、湿気と苔生した観念が心裡に揺曳する許であった。秋の濃い荒涼である。
舌許に溜た唾液が醗酵し、口腔を粘着かせ、渇いた眼脂が繊細く肌を刺し、冷汗が頸廻を侵し、恰も悪寒の尾を曳いて居るかのようであった。
吾は四辺を見廻し、すぐさま、裏返った世界を認めた。と云うのも、平生、夜半には極まって*几帳を閉切り、*無戸室の形相をさせて居る吾の*閨が、今日に限って、月影の白無垢に涵されて居る。その白々しさと謂ったら、*什器と云う什器が影に漱がれ、脂肪の悉くが削落とされ、そうして再び月光を享けることで初めて浄く正しい容貌を甦生らせたかのような美しさであった。そのためであろうか、色の基調を沮喪い、遠近感を沮喪い、世界は真鍮の塑像へ成変わって居たのにも拘わらず、聊かも不感症めいたものはなく、極々自然に、夜だ、と想われた。また、愕きを誘ったのは、美しさそのもの唯に在らず、それを立脚するに拠った、豁然とした翳りであり、これは太陽には真似しかねる芸当であろう。
吾の酩酊と、この豁然とした翳りとは、恰度陰画と陽画のような*聯関で対立して居た。吾は肉体の重々しい実在に押潰されようとする酩酊に沈込もうとして居り、翻って、這般*白堊の花圃は月の膏沢に預かることで、却って明晰な輪郭を彫出し、際限なく冴渡って居た。
この乳白色に耀く*嘱目の風景に、吾は希臘彫刻の幻影を視た。
*酩酊…ひどく酒に酔うこと。ここでは単に酔うの意味。
*味到…事柄の内容や情味などを十分に味わい知ること
*瑞験…めでたいしるし。
*几帳…室内に立てて隔てとし、また座側に立ててさえぎるための具。ここではカーテンのこと。
*無戸室…四面をふさいだ、出入り口のない室。
*閨…夜、寝るために設けた部屋。寝室。
*什器…日常使用の家具、道具。
*聯関…つながりかかわること。
*白堊…ここでは白壁のこと。
*嘱目…目をつけてよく見ること。