十二
私はマキナのことを狂人と呼び倣わそうとはしなかった。雪霰のごとく頻繁る弁を泰然と*凪いだ心地で聴くことが能たからである。と云うのも彼女の饒舌りはどこか折目整しく*畳々れて居たのだ。孰を酌んでも取返しの即かないものはなく、安全性の確保され、緩慢とした油断が瀰漫って居た。浜辺で挫折する浪のように、言葉は*潮騒でしかなく、性は遥と彼岸に在った。言葉はマキナの口を飛出した途端に全く別の獨立した存在へ変貌った。*憂身を俏すこと顕著しく、矮躯な容は露にされ、熱情に悖る狂言の罪禍は全て言説自身が背負って、それ以外の、愛嬌や艶姿は万て肉体が背負って居た。換言ば、マキナと弁は女という観念を分有して居るかのようであり、彌澄めていった。聊かも屈託の視せぬ吻や眸は蜻蛉の恋のように空中に停って視え、それが却って憐憫の色を准えた。
こう云うのを天稟と称ぶのであろうか。恰も*潮垂れる牡丹のようであり、それは仔細に接吻を糊附けられていた。
故か、私は落着いて*咀嚼できたのだ。それどころか、熱心に謹聴ろうとすらして居た。それは時計の針が心臓の鼓動へ渝り、刻一刻と昂り、速度を深めてゆくようであった。
兎角マキナは変貌を遂げていた。恰度月魄が時間の揺曳の途中に*朧を冠ったように。朧は月魄へ襤褸巾を縫附け、霞立つ雲際からは光の帯が静々と溢れ、官能を撫上げた。光芒は*緞帳の如く羽搏き、末端はマキナへ接した。
マキナの景は石畳の間を縫って絶崖を飛越え、そのまま月影へ連綿って居るのではなかろうか。朧は*月華に掲げられた切絵で、マキナはそこへ月光を照射いた倒影ではあるまいか。
マキナが理性から遠退くに隨れ、私の理性は冴返り、私の理性が愈々冴返る都度にマキナは理性から遠退いた。
やはり、私は泰然と聴いて居た。浮世離れした調べが通過ぎ、よそよそしい、冷淡で、他人行儀な心の展示品を見て居る心持であった。景品が載せられた*俎上を、唯眺めるだけで、手を伸すことを不識い、無垢な少年のような茫乎とした心地であった。そのためか、*反駁の是非は粉飾れた。
*凪ぐ…おだやかになる
*畳々る…かさなりあってつらなる
*潮騒…潮のさしてくる時、波が音を立てること
*憂身を俏す…身の痩せるほど物事に熱中する
*潮垂れる…悲嘆に沈む
*咀嚼…物事や文章の意味をよく考えて味わうこと
*緞帳…厚地織物で製した帳
*月華…月光
*俎上…まないたの上
*反駁…他人の意見に反対し、その日を論じ攻撃すること




