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十一

貴郎(あなた)はもうすぐ死んでしまいますの。こう云ったら(おどろ)くかしら、でも真実(ほんとう)なんですわ。もうすぐ、というのはそう近い未来というわけでもなければ、そう遠い未来というわけでもないんですが…

「でも、巨細(つぶさ)(いつ)かと云うことまでは申上(もうしあ)げられませんの。車輌(くるま)()かれたり、湯浴(ゆあみ)で溺れたり、といった具合(ふう)に、どうやって死んでしまうかもお(おし)不可(できま)せん。でも真実(ほんとう)なんです。真実(ほんとう)なんです。近いうちにあなたは昇天されます。

「あゝ、(いえ)(あたくし)直接(てずから)殺害(あや)めることは御座(ござ)いませんわ、そこはご安心くださいましね。(あたくし)にはあなたを殺害(あや)める(つもり)も、況してやそんな膂力(ちから)も無いんですから。でも確乎(たしか)なことなんですわ、何故(どうして)かについては御話(おはなし)致します。

「それは私が未来から()たからなんですの。勿論(もちろん)(しん)じていただけるとはおもっておりません。でも真実(ほんとう)のことなんですわ。あなたが死んでしまうというくらい、真実(ほんとう)なんですわ。

「えゝ、とても(しん)じられるものではありますまい。(わか)っていますとも、あなたの述懐(おっしゃ)りたいことは。あゝ、そう*(ばく)しようとはおくんなまし。(あたくし)(ただ)貴郎(あなた)()っておいてほしかっただけなんですの。

(あたくし)はあなたに運命の模造品を信仰してほしくはなかったんです。貴郎(あなた)まで貴郎(あなた)の擬態をする必要はございませんわ…

「あゝ、こんな(あたくし)をあなたはどうおもっておいでなのか、(あたくし)にはその目を(とお)していたく伝わっております。(わか)っておりますとも。あゝ、(いえ)(わか)ってはいないのですけれども、()ってはいましてよ。女は何もわかってはいなくても(すべ)てを()っております。

(あたくし)を疑っておいでなんでしょう。そうですとも、(あたくし)ですら、今の自分の姿というものを(おもいみ)ましても、けだし可笑(おか)しゅう御座(ござ)いますわ。それでも(あたくし)はこうする他なかったものですのに……

「あゝ、貴郎(あなた)がお気になさることは一個(ひとつ)もありませんのよ。それに、ご覧なさいまし、この月魄(つき)

月魄(つき)をご覧になすって!(あたくし)を見ないでくださいまし!歔欷(きょき)のために無様(みにく)く歪んだこの(かお)を視ないでおくんなまし!

「あゝ!この貌と較べて何と美しいことでしょう、昼を焼き払ってしまったかのように*耿々(こうこう)とたたずむさまは!月の美しさをご存知で?

「まあ、そんな顔をなさらないで。(あたくし)は正気でしてよ、正気でしてよ。何故と云うに、(あたくし)は誓いましたもの。今のように、たとえこうなると識っていても、(あたくし)に有りっ丈の疑義(うたが)いを()てられても構わない、(じっ)と耐えてみせます、と。たとえ茨の道でもどうぞ(つつし)んでお(した)い申し上げます、と。

「いえ、今のはお忘れ下さいまし。非礼極まりないものでありましょう。(あたくし)貴郎(あなた)を視ますれば、こうなることなど百も承知、(わか)り得ないはずもなかったんですから。辛抱よ、ええ、辛抱。

(あたくし)貴郎(あなた)から死を奪ってはいけないんですものね。それはどうしてもなりませんの。悲しいことだけれども、星の恵みに甘んじてはいけないんです。花が(じっ)(すわ)り、風に揺らぎ、それでも月の光に微笑み返すのは、それが一番美しい愛と知って居るからですわ。そうに違いありません。

嗚呼(ああ)(あたくし)も花になれたらどんなに嬉しいことか、どんなに(しあわ)せなことか。でも、別に()いんです。誰に何を云われても、どれだけ後ろ指を指されても、振向(ふりむ)かない、そう決めましたし、それで()いんだと信じておりますわ。(あたくし)に許されるのはただ(しかばね)()った貴郎(あなた)との思い出を愛でるだけ。その久遠に耽ることのなんと(はれやか)な響きでしょう。今となっては呼名(なまえ)さえ思い出してはくれないこの(あたくし)が!

「あゝ!いえ、呼名(なまえ)などなくても…名も無き花であっても()いんです。その綻びを(ちら)と見た頂くだけでも十分満たされるものもございましょう……

「こうしているとどうでしょう。貴郎(あなた)色合(いろあい)残香(かおり)までもが聴こえてきそうです。貴郎(あなた)(あたくし)の想いなど知りようもないでしょうね。貴郎(あなた)ったらいつも独りで、(あたくし)どもの日暮(ひぐらし)なんぞ空虚(うつ)けた御飯事(おままごと)にも均等(ひとし)いのでしょうね。*料簡深い貴郎(あなた)のことですわ、(きっと)私のことも憐憫(あわれ)可乙女(えおとめ)とでもお想いなのでしょうね。(ただ)の狂言娘とも見誤らず、あゝ、それとも酔いの悪い無垢な女とお考えになるのでしょうか。私に身勝手な同情など抱くこともなく、滔々とした想いを注いでくれるのでしょうか。あゝ!これこそ身勝手と云うものでありましょうね。

「これは自惚れでありましょうか。私がこうして口吻を洩らすことを不躾(はしたな)いと、そうお想いになるのでしょうか。でも私はこう云う生き方しか知りませんの。あなたが独りの生き方しか知らないのと同じですわ。そう考えると、(あたくし)ども、似た者同士のようにも思えてきませんこと?御互(おたが)一緒(おんな)花圃(はなばたけ)で隣り合い、同じ天地(あめつち)の恵みを享け、一本道(まっすぐ)に生きる華のようじゃございませんか」

*駁する…他人の言論を非難攻撃すること

*耿々…光の明るい様

*料簡深い…考え深い

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