表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/29

女はマキナと名告(なの)った。姓名(ほんみょう)渾名(あだな)か、将又(はたまた)源氏名(げんじな)かを闡明(あきらか)にすることは(おろ)か、その(いずれ)かと(ただ)すことすら(はばか)られた。マキナの魔性(ましょう)所為(せい)か、もしくは私の()()ずとした心持(こころ)所為(せい)か。

(おも)えば、私は女と云うものを(あまり)()らずに生立(そだ)った。(のみ)ならず、他人(ひと)昵懇(ねんご)ろに附合(つきあ)うこともなく、当今(いま)まで(すご)してきたのである。友情や恋愛は(おしなべ)間遠(まどお)であった。永遠の如き光彩(ひかり)は、青春の屏風絵(びょうぶえ)(かぶ)った仕切(しきり)の*衝立(ついたて)によって(まばら)()き、私はそれらに絶えず憧憬(あこが)れながらも、(つい)彼岸(むこう)跳超(とびこ)えようとはしなかかった。それはまるで*痘痕(あばた)刺繍(ぬいとり)()いた*緞子(どんす)が*塵芥(あくた)(にご)ってゆくかのようではなかろうか。

或いは*手遊(てすさび)、或いは*読書尚友、孤独(こどく)寄添(よりそ)ったのは悉くが屍人(しびと)であり、(なにごと)かを憂慮(かんが)えるときの物差(ものさし)は極まって、生きて居るかどうか、ではなく、死んで居るかどうか、であった。

私は随所(いたるところ)から観念としての死を抽出することが(でき)た。しかしそれを特別な才能と云うような(ところ)へは還元しなかった。そう呼倣(よびなら)わすには(あまり)にも心の中核を成して()り、*天稟(てんぴん)範疇(はんちゅう)を超えて()たからである。筋骨(すじぼね)(しみ)(ばか)りの悲哀(あわれ)は、手鞠(てまり)積木(つみき)絵描(えかき)折鶴(おりづる)と謂った、黒烟(くろけむり)に似た孤独(こどく)足併(たしあわ)せることによって(のみ)屡々(しばしば)粉飾(ごまか)された。

(ひるがえ)って、四辺(あたり)見廻(みまわ)(かぎり)(しん)とした*濡色(ぬれいろ)(そま)り、()きぬ微風(そよかぜ)歔欷(すすりなき)化粧(めか)し、彼方(かなた)(あらそ)える*(いらか)も、此方(こなた)(うか)べる天涯(よぞら)(ひとし)く*(にしき)めいた無垢に押黙(おしだま)って居る。寂寞(ひっそり)()れる(よる)にマキナの容貌(すがた)(ゆめ)残余(なごり)蝟集(あつめ)孔雀(くじゃく)荘厳(そうごん)に似て居たことだろう。

最初(はじめ)、私が(こと)()かれたのは這般(これら)外貌(とりなり)(ばか)りではなかった。(おおよそ)、次の一言(ひとこと)端緒(はじめ)とする*懸河(けんが)(べん)調和(あわさ)ったことだろう。

大変長いものであったので、(すべ)てが()って居る次第(わけ)ではないが、(はじまり)はこうであった。

貴郎(あなた)はもうすぐ死んでしまいますの」

*衝立…屏障具のひとつ。一枚の襖障子またが板障子に、移動しやすいように台をつけたもの

*痘痕…痘瘡が治った後に残る跡

*緞子…紋織物の一種

*塵芥…ごみのこと

*手遊…手に持って遊ぶこと

*読書尚友…書物を読むことによって古の賢人を友とすること

*天稟…才能のこと

*濡色…水に濡れた色

*甍…屋根の背

*錦…紋様の美しいものをたとえていう古語

*懸河の弁…早瀬の水の奔流のように、勢いよくよどみない弁舌

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ