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 ファーレンが会議室を出て行った後、ほどなくしてやってきた人事担当の針金天使の後に付いてトランは広大な施設内を廻る。一周する頃には既に数時間が経過していた。

 一階に戻り建物の外へ出る。僅かに傾いた日の下、白いドーム型の外観を眺めながら向かった先は同じ敷地内に在るWSPの別館だ。天使で溢れた施設内を針金天使に連れられて順繰りに見て廻る。

 二千名も収容可能という講堂棟。

 大きな窓から大量の光が注ぐ明るい食堂。

 紙やインク、ホコリの匂いが漂う図書室。

 冷暖房完備の寮、談話室。設備の整ったトレーニングルーム。ただっ広い風呂場。

(警中を思い出すな……)

 人種や規模、空間すら違えど、雰囲気は人界のそれと同じだ。

 感慨深げに歩くトラン。

 彼の前を行く針金天使は正面を向いたまま告げる。

「クイロ警視正には今日からここで職員と居住を共にしてもらいます」

 神経質そうな声で紡いだ言葉に対し、頭を過ぎったのは数時間前に見たグレープの笑顔だった。

(結局何も報告しないで出てきちゃったな……)

 昇進が決まってから今日に至るまで、幾度告げようとした事か。チャンスは幾らでもあったのに。

 昇進が決まって、天界あっちに住む事になったんだ。

 幾度となくシミュレートしたその一言を、いざ彼女の前で口にするのは躊躇われた。

 『今度みなさんが揃った時に祝勝会をしましょう……っ』

「…………」

 別館をぐるりと廻る形で再びWSPに帰ってくる。三階建ての建物だが、高層ビルに負けぬ程背の高い中央署とは比べ物にならない程広壮な施設だった。

 清潔感のある白い施設内でも、たくさんの天使が行き交いしている。白翼を背に持つ人型の種族が働いている光景や新しい職場そのものも、何もかもが新鮮で目を見張るものばかりであったが、トランの心の中は冴えなかった。

 ファーレンは、知っているようだった。

 自分が、あの日……誓った事を。

 そして、どういう意図があったのか。人型を模しているという『天界の巨石』についても奴は口にした。

 会えば驚く――ファーレンは確かに自身にそう告げたのだ。

 もしかして……。

 トランの記憶が遡る。

 六年前に起こった大災害。当時十四歳であったトランもまた死に追いやられていた。

 でも、死ぬわけにはいかなかった。

 だって自分には守るべき存在が居たのだから――

 ――今も、それは変わらない。

 そしてその少女は……奇妙な事に酷似しているのだ。

 炎の中で見た、あの女性と。

「……、ですので、一度……ーレン警視長が、……とで、貴方をこちらに案内するように、と」

 針金天使の告げた語尾を、トランは辛うじて拾っていた。

 思考を中断して、顔を上げる。

「……え?」

「この先でお待ちです」

 そう告げると針金天使は足を止めて、体ごとトランを振り返った。

 きりっとした隙のない表情は……それこそ学校の職員室にでも居そうな感じだ。周りの職員てんしと同じような服装――白いシャツと白いスラックス。色素の薄い金髪。歳の頃は……三十代前半といったところか。身長はトランよりも数cm低く、強風が吹けば飛ばされてしまうのではないかと心配になる位に細い。面長の顔に細く開けたつり目がトランを見ている。

 同じ糸目であるニタバーニとはまるで違った印象を受けた。彼は柔和で親しみやすい雰囲気を纏っている。……その分怒ると迫力があるのだが。

 彼が指す方向に視線を移すと、巨大なドアが一つ君臨していた。

 『第一会議室』とある。

 反応の無さに苛立ったのか、針金天使が再び口を開いた。

「こちらで上官が、貴方をお待ちです」

「…………はぁ」

 針金天使に促されるままに、トランは見るからに重量感のある扉の前に立った。

 聳え立つドアの向こうに物々しい気配を感じつつ、ノックしようと片手を上げる。丁度、その時だった。

「……トランちゃん!!」

 聞き覚えのあるメゾソプラノに、目を見開いたトランは振り返った。

 しかし。そこには広い廊下と、一人直立している針金天使の困惑した表情しかない。

「…………」

 今の声は……まさか。こんな所に……?

 ……いや、居る訳がない。

 空耳、か……?

「どうかしましたか?」

「……いや、なんでも……」

 怪訝な面持ちのまま再びドアに向き直る。軽く作った拳を上げると――

「行かないで!」

 再び厳しい女性の声が耳を劈いた。

 もう、間違いはない。

 彼女とは三週間前……例の「闇医者」について追及しすぎてソッポを向かれてから、しばらく面と向かって話していない。

 随分久しぶりだが、この声は……、

「……クレープ」

「こっちよ、トランちゃん」

 呼ばれ、今度は体ごと振り返る。

 明るい廊下に視線を滑らせて、天使のそれとは違う、あの鮮やかな金髪を探すが――

「こっち」

 壁や窓に反響するメゾソプラノ。

 姿は見えぬが、声のみが確かに響く。

 ――幽体なのか。

「こっちだってば。早く!」

 切羽詰った声。

 見当を付けた方向へトランは駆け出した。

「クイロ警視正!?」

 背後で響く声を完全に無視して。




「こっち!」

 声を追いかけながら、トランは思う。

 最近、彼女は外出ばかりで、ロクに姿を見ていなかった。

 それが突然。

 しかも、こんな……天界で。

 どうして――

 どの廊下をどう進んだのか、どこの階段を降りて、どの角を曲がって来たのか、覚えていない。

 ただ、声のする方へトランは走った。

 振り返る白い衣服の天使達が向ける驚愕の顔にも構わずに、さらにその先へ。

 響く靴音。

 果たして、トランは廊下の奥――光の届かぬ暗がりにひっそりと佇んでいた細いドアの前に立った。

 錆付いた扉には『備品庫』とある。

「ソコなら誰も居ない」

 声はこの中から聞こえた。

 トランはノブを握る。

「早く!」

 急かされるままに、トランはドアを開けた。

「……トランちゃん!」

 錆付いた金属音。

 ドアの閉まる重音と、クレープが自身に抱きついてくるのとは、ほぼ同時であった。

 室内に設置されたむき出しの蛍光灯が放つ青白い灯りに照らされ視界でふわりと柔らかく揺れる、金の髪。

 華奢な身体が温かく、柔らかい――

 ……感触が、ある?

「クレープ、おまえ……」

 細い肩を掴んでやんわりと離す。

 久しぶりに直視した細面は――やはり目を見張る程綺麗で。

 見れば見るほど……彼女とそっくりだった。

 そのルビーを思わせる赤い瞳も、細く形の良い顎も。白磁のような、肌理の細かい肌も。

 トランの顔を見上げるクレープは半透明でもなければ、浮いてもいなかった。

 それどころか、

「グレープちゃんの身体、なのか? それ……」

 トランは微かな違和感を口にした。

 グレープの体を拝借する時クレープは、それまでグレープが着ていた地味カジュアルな服をいつも自分好みに着崩していた。生地を体にフィットさせつつ露出度を上げるよう所々ボタンを開けたりファスナーを下げたりして鏡の前でバランスをとっていた。元に戻った時半泣きになりながらグレープが服を正している様子を何度も見ている。しかし今はどうだ。白いシャツと黒いぴったりとしたパンツという一見シンプルな服装だが生地は上質で仕立てが良い。シャツに施された刺繍といい体のラインが出る造りといい、控えめなグレープが選びそうな衣類ではない。

 そして、それ以上に……なんというか、匂いが、グレープのものとは明らかに異なった。

 問われて、クレープが首を横に振る。

「トランちゃんに話していないコトが、たくさんある」

 浮かべた儚げな笑みに、トランは確信した。

 何か。自分達の周りで、決してよくないことが起こっている、と。

「とりあえず、昇進おめでとうトランちゃん」

「どうした」

「…………」

「何か、あったのか?」

「……トランちゃん」

 クレープは一旦言葉をきると、俯いて足元を見る。

 同じようにトランも視点を移動させた。

 実体の彼女は……なんと裸足だ。

 見るからに冷たそうなコンクリートの床に白くて小さな足がぺたりと着いている。

「って、おまえ何やって……ほら、これの上に乗れ。冷たいだろ」

 言ってトランが鞄と共に手にしていたコートを剥き出しのコンクリートの上に敷くが、クレープはまたも首を振って拒否した。

「……相変わらずね。トランちゃん」

 足元に屈んでいたトランを憂いを帯びた光が見下ろす。

 覇気のない口調。普段とは違う彼女の様子を案じてトランは再び口を開こうとした。

「心配してくれて、アリガト。……でもね」

 遮るクレープの瞳に、一転して厳しい赤の光が灯る。

 彼女は見た事もないような冷酷な表情を浮かべて足元のトランを直視した。

「…………クレープ?」

「お願いがあるの、トランちゃん」

 腰を上げたトランを真っ直ぐに見上げる赤。

「この先、何が起こっても、もう二度と」

 金の髪の少女は別人のように落ち着いた声で、どこか予言じみた言葉を告げた。

「『炎帝』を使わないで」

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