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 窓際の席で、冷たくなったホットミルクのカップを両手で包んだまま、リタルはある人物を待っていた。

 中央署裏の寂れた喫茶店アマデウスに入ってからすでに二時間は経過している。

 時刻は十時を廻ろうとしていた。

 アマデウスは禁術封石の密売時にリチウムがファーレンと落ち合う場所だ。小さな喫茶店は昼から深夜まで営業しており、慇懃無礼な店長が一人で接客をしている。店内は埃っぽく照明も暗い。置いてあるテーブルや椅子もガタガタで年季が入っている。よく言えば雰囲気のあるアンティーク調な、悪く言えば到底流行りそうにない店。リタルも何度か同席した事はあるが、単独で入るのは初めての事だった。こうして一人所在無く腰掛けているのは、なんだか少し居た堪れない。座っているだけで随分とくたびれてしまった。

 店内の客はリタルの他に、しがないサラリーマン風の男が二、三人。こんなところでこんな時間まで一体彼等は何をしているのだろう。リタルには想像もつかなければ特に想像したくもない。

 鱗状の汚れの付いた窓の外に視線を向けた。

「…………あ」

 思わず声を上げてしまう。

 外にはチラチラと小さな白が舞っていた。

 花びらを連想させるそれは、無論桜などではない。――雪だ。

 真っ暗な闇に白が舞い降りる様を、やっぱり古臭い外灯のささやかな灯りが照らし出していた。

 幻想的な風景に思わず、あの子なら赤い目を大きく見開いてはしゃぎ出すんだろうな、と想像してしまう。

 蒼色の髪の彼女は身なりは大人で……ちょっと悔しいくらいに美人なクセに、中身はてんで子どもの単純回路をしていた。

 自分と対極に位置する存在である。

 まぁ普通の、自分程の歳の子どもであれば、雪を目にした時点で彼女同様、喜びを露に元気よく外を駆け回るだろう。積もったら雪だるまを作ったり、雪ウサギや雪合戦……そんな楽しげな想像に思いを馳せるに違いない。

 しかし。そんな感情はこの胸のどこにも、欠片だって芽生えなかった。

 冷めている、と自分でも思う。自分は子どもらしくない。

 ……いや。意図してそういう部分を捨ててきた。

 これまで、早く大人にならなければならないと随分躍起になって……ようやくここまできたのだ。

「…………」

 雪の舞う夜を前に、振り返ってみる。果たしてそれは、いつからだっただろう。

 突如。無遠慮な鈴……いや、鐘の音がした。新たな客の来店を知らせる、耳を劈くような音である。その瞬間、場違いな程清浄な空気が狭い店内に流れ込んだような気がしてリタルは顔を上げた。

 コツコツと、こちらを目指して直進する足音が響く。

 知り合いとそっくりの造りに眼鏡をかけた天使――ファーレンはいつもの慇懃無礼な笑みと白衣を靡かせて少女に歩み寄った。

「まさか、貴女の方から私に会いに来てくださるとは」




「……で。お話とは?」

 出された湯気立つコーヒーカップに口をつける事なく、目の前に座った金の瞳は眼鏡の奥からリタルの顔を捉えていた。

 端正な眉目。真っ直ぐ通った鼻筋。こうしてマジマジと見てみると、顔の造形はリチウムのそれだが、醸し出す雰囲気がまるで別人であった。

 大きく異なるのが、その瞳。リチウムの青の双瞳は見る者を強く惹きつける。不安を払い、奮い立たせる何かを放つ。だが、この男はどうだ。全身から漂う神聖な雰囲気とは相反する何かがそこには共存している……気がする。

 白皙の中心に浮かぶ金の光に吸い込まれそうになるものの、そこに抱くのは不安だけだ。

 どこか、禍々しい。

「……トランの事だけど」

 咳払いをしてから声を上げた。

 金に呑まれそうになるのをリタルは発声することで防ぎ、同時に、ぼうっとしていた意識を無理やり起こす。

 心なしか、ファーレンが笑んだ気がする。

 ……気にしない。コイツのペースに合わせたが最後、からかわれて終わりだ。

 まず、トランの石について。

 彼の持つ石『炎帝』は、世間で騒がれている通り、本当に天石なのか、と。

「おや? リチウムから何も聞いていないのですか?」

 訊けば大袈裟に、ファーレンはそんな事を口にした。

「リチウム? なんで?」

 ファーレンを刺すように見上げる。

「一ヶ月前でしたか。蜘蛛魔族の事件の際、その件に関して彼に告げた事があるのですよ」

「…………」

 ……初耳だ。

 リチウムの奴、なんで黙ってた……?

 思案するリタル。その様子に笑みつつ、ファーレンは話を続ける。

「『炎帝』。あれは最強の炎の使い手でした」

「……天石、なのね。やっぱり」

「その様子を見ると、既に貴女はご存知だったみたいですね。いつ気づかれたのですか? あれが天石であると」

「あたしの知り合いにね。魔石マニアがいるのよ

 尤もネットで知り合った奴だから顔も見た事も無いけど。と、小さく付け足しておく事をリタルは忘れない。

「石に関してならなんでも知っている。今までに発見された魔石は勿論、天石や、未だ発見されていない魔石についても訊けば答えてくれる。どうやって情報を得ているのかはしらないけれど、金さえ払えば細部に至るまで詳しく説明してくれるわ。ま、石専門の情報屋……ってところかしらね」

「それはそれは。マークしがいのある人物ですね」

 人界に在る石の情報や、各地の警察部隊によって回収された魔石は総て天界――WSPに集められている。今回人界で報道された『炎帝』は例外にしろ、通常天石に関する情報は内部に厳重な緘口令が敷かれている為、人界ではほとんど把握出来ていないのが現状だ。リタルの言う情報屋が実在しているとなればそれはWSP内に勤める人物――あるいはその関係者から情報を買っている人物が存在する、という事になるのだが……。

「あんただって禁術封石買い取りしてるでしょ。人の事言えないじゃない」

 間髪入れず言い放ち、金髪の美形をジト目で睨みつつリタルはホットミルク――ホットとはもう言えないが――を一口。

「それについては口外しない約束では」

 言葉とは裏腹にさして困った様子も見られないニコヤカな天使に、冷ややかな目を向けつつこちらも不自然な微笑を返す。

「さて、どうだったかしらね。話戻すけど。トランと会ったばかりの頃、その情報屋に炎帝について訊いてみた訳。炎を出して自在に操る、色は赤、形状は極小……てな具合に、特徴を並べて」

「その人物は、なんと?」

「訊いた数日後に、その特徴の石は魔石の類にない、と。こう返したのよ」

「…………ほう」

「単純に炎を出す石なら魔石にも実在するらしいわ。でも、その類の魔石は炎を出したが最後、術者本人も大火傷を負うそうよ」

「それは、まぁそうでしょう。なにせ炎ですから。操ろうとするならば相応の対策を練る必要がありますね。例えば耐火のグローブを着けるとか」

「でしょう? あたしも疑問だったのよ。トランは炎を素手で振るう。それどころか炎を身に纏ったりもする。物を燃やさない炎だって出せる。情報屋曰く、そんなデタラメな……そもそも温度の無い炎なんて『炎』じゃないでしょう。そういった幻影のような――でも対象物をキチンと燃やす事も可能、なんて便利なものを生み出す火系の魔石は無いそうよ。だけど、最後に奴はこう返してきたの」

「『炎帝』、ですか」

 ファーレンの言葉に、リタルは俯く。

「そう。天石ならば一つだけ該当する石が在るって。でも有り得ないってソイツは言ってたわ」

「何故」

「何故って……あんたも知ってるでしょう? 天石は随分昔からその総てを天界で保管しているって言うじゃない」

 きっぱりと言い放つと腕を組むリタル。

 だが、それに対してファーレンはより神妙な面持ちで彼女を見つめた。

「……実はですね。魔族侵入事件の前日に、上に言われて保管庫を点検した天使が居るんですよ。保管されているはずの『炎帝』の有無を確認する為に」

「…………」

「ありませんでした。他の天石は総て揃っているというのに、『炎帝』だけ忽然と消失していまして」

「…………それって、まさかトランが」

「人間が盗み出す事は先ず考えられません」

 リタルの不安げな眼差しに、ファーレンがきっぱりと否定してみせる。

「人間は愚か、天使さえも侵入不可能な程頑丈な造りをしていますから、保管庫は。どのような魔石を使おうと外部の者があの部屋から天石を盗み出す事は不可能です」

「……そうね。トラン自身からも『もらった』としか聞いてないし。あいつが顔色を微塵も変えずに嘘を吐く事が出来る、とは到底思えないし。……なら内部者が」

「トランに渡したと言うのですか? 天石を? 何故」

「……う」

「ましてや『炎帝』なんて曰く付きの天石……確かに値はつくでしょうが、盗った所で誰も欲しがりませんよ」

「曰く付き?」

「そうです。あの石は出来損ない――いえ、不完全です」

 訝しげに問うリタルに断言するファーレン。

「それってどういう……」

 訊き返すも、ファーレンは黙り込んでしまった。深刻な面持ち。金はテーブルを通してどこか遠くを睨んでいる。構わずに、リタルは口を開いた。

 天石は総て天界が保管しているはずだ。だとすると、トランが所持しているのはやはり誰かが仕組んだ事じゃないのか。その可能性は。

 そもそも『炎帝』とは一体、どんな類の魔力を秘めているのか。

 その魔力で宙に浮いたり、傷を治したりする事は可能か。

 畳み掛けるも、しかしファーレンは答えない。金の瞳はテーブルに視線を落としたまま動こうとはしなかった。

 こんな調子では、他の事柄について訊き出そうにも切り出すのは何時いつになる事やら……溜息をついて、仕方なくリタルは窓の外に目をやる。

 外灯に照らされた白の粒は大きくなって、徐々に勢いを増してきていた。

 この分では、明日は本当に積もるかもしれない。グレープは益々はしゃぎだす事だろう。今夜の内から雪ダルマだとか、雪ウサギだとか言い出すに違いない。

 ……何か細工を施してやろうか。

 そうすればあの子も、少しは元気が戻るだろうか……。

「ところで最近、グレープさんはお元気ですか?」

 まるで頭の中を覗かれたような、絶妙のタイミングでその質問は降ってきた。

 ギクっとしてリタルはそちらを見遣る。

 一体いつの間に。この男は視線を自分に戻していたんだろう。

 目前の男にどことなく異様な気配を感じて、リタルが全身を硬直させた。

 彼女の様子にニヤリと笑んだファーレンは言葉を続ける。

「私に的を絞った素晴らしい貴女です。残念ながら天石『炎帝フェニックス』についてこれ以上をお話しする事は出来ませんが。代わりに貴女方の知り得ていない貴重な情報についてお話ししましょう」

「って。今、あんた。なんて……?」

「私がWSPの人間である事はご存知ですよね。そもそも、WSPという機関を貴女は理解していますか?」

 愉しげに語り出した相手に、リタルは内心舌打ちした。こういう時のコイツには関わらない方がいい。コイツのペースに翻弄されて終わりだからだ。しかし……。

 今までの経験が告げていた。

 それだけでは終わらない。

 何か、嫌な感じがする。

「WSPは、天界のお偉いさん方が運営している組織。人界に在る魔石を探し出す為と、それを口実にいつでも堂々と人界に渡る事が出来るよう設けられた機関でしょ」

 内心の不安を漏らさぬ様努めて、リタルはさばさばとした口調で答える。

「さすがですねリタルさん。人界にはどうも、WSP=警察の親玉、といったイメージが行き渡っているようですが……そこまで把握していらっしゃるとは」

 満足げに笑むファーレン。

「私はこれでも、貴女方の住むこのグノーシス周辺を任されたWSP所属の警察官です。階級は警視長。……まぁこれら肩書きは所詮私に関する表向きの情報に他ならないのですが……」

「あんた個人の話なんて、別に聞きたくな……」

「……私が本当は『天界の巨石』の直属配下で、彼女の命により裏で『人界の巨石』を探していた、と言ったら……少しは興味を抱いてもらえますか?」

 『人界の巨石』という単語に、再びリタルの身体が大きく反応する。

 そう、リタルは既に知っていたのである。

 『増幅』の力を秘めた青い輝きを持つ『人界の巨石』の事を。

 それこそが次に尋ねようとしていた事柄でもあった。

 ……だが……。

「どうやら今夜は退屈しない夜になりそうですね」

 金の瞳の奥に宿る禍々しい輝きが増してゆく。

 ――自分はひょっとして、地雷を踏んでしまったのではないだろうか。

 動けないリタル。見開いたエメラルドに、ファーレンは悠然と語ってみせる。

 これまでの、事件の経緯を。

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