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 この世界――フロースには現在、三つの空間がある。

 天使が存在を許された地、天界。

 人間が存在を許された地、人界。

 魔族が存在を許された地、魔界。

 三つの空間は同じ世界に存在しながらも完全なる異空間に存在する。住んでいる者達の毛色も違えば、空間内に広がる光景も様々。時間の流れは……魔界がどうなっているのかは未だ不明だが、少なくとも天界と人界とでは大きく異なる。

 しかし、空間同士は密接に干渉しあっている。その為か、各空間の地形は等しく、自然災害などは同一地域で同時に発生するという。

 『転位』等の空間操作に属する魔力――中でも移動型の能力を持つ者であれば異空間を自由に行き来する事が可能ではあるが、数千年前に種族間で結ばれた条約が現在もなお、これを禁じていた。

 が、一箇所だけ。条約にも守られた"例外"が存在している。

 それがWSPと呼ばれる機関である。

 WSPとは、人界にある総ての警察組織を統率する最高機関であると同時に天界の統治機構でもある。種族間条約の発効後、人界と協力体制をとった天界が、人界での魔石収集の本拠地に国際警視庁を選定した事を機に天界に設立された。組織に所属する天使を業務上警察官とし、警察制度に則り制定した階級を個人のレベルに応じて与えている。故に人界の警察組織に所属する人間はWSPを「警察庁」または「本庁」、その長――天界の中でも最高権力者に当たる天使を「警察庁長官」と呼ぶ。

 WSPには天使だけではなく人間も数名所属している。かつて国際警視庁に勤務していた当時の彼らの階級は警視正以上であった。そこでの実績を認められ人事部により選抜、警察庁長官によって任免されたという彼らは、何れ劣らぬ優秀な人材ばかりだ。

 国際警視庁とは、人界に元々在った警察組織の本部――即ち人界にある総ての警察組織を統括、指揮している警察署である。別名、中央署とも呼ばれている。ちなみに人界からWSPへ行くには国際警視庁の最上階にある転移装置を使わなければならない。そもそも、装置の設置を容易にする為に、国際警視庁があるグノーシス市と同地点に位置する天界の土地に建てられたという。設立後に国際警視庁が機関に吸収される形となり、今の状態に落ち着いたと言う訳だ。

 トランは警察中央学校を出ている。

 警察中央学校とは国際警視庁――中央署直轄の、警察実務における最高教育機関だ。

 定められている身体基準を満たし、相応な学力を持つ者のみが通う事が出来る難関校で、国際警察官の資格を取得する為に必要な知識、技能、指導能力、管理能力を修得させる為の授業を行っている。

 警中卒と言うだけでエリート組として扱われ、中でも在学中に試験を受け国際警察官の資格を得た――所謂キャリアと呼ばれる有資格者は幹部候補とも呼ばれる。資格を持たないノンキャリアの者と比べると待遇の差が激しく、昇進の速度から給与の額まで、なにもかもが優遇されるという。

 中央署に所属しているトランもまた国際警察官キャリアと呼ばれる刑事だ。階級は……数週間前までは、警部であった。

 頑なに昇進を断り続けてきたトランは、しかし三週間前の魔族侵入事件後、問答無用で警視正に昇任してしまった。警察官の階級では警部の上に当たる警視を飛び越えて、警視正へ。これは三週間前の彼の功績を讃えた異例中の異例とされるスピード出世である。

 事件で負傷し数日の後に復帰を果たしたトランは、事を知るや否や上に掛け合った。実際に三週間前の事件を解決に導いたのはトランではなく、ほとんどリチウム達フォルツェンド一味による功績だった。真実を訴える事は勿論、警察官でありながら『炎帝』と呼ばれる禁術封石を隠し持ち使用していた自身の扱いが「昇進」なんて間違っていると抗議を続けたが、中央署署長――国際警視庁の警視総監であるトランの養父ダニエル・クイロは上(WSP)の決定だとこれを突っぱね、さらには本来の功績者であるリチウム達の存在を抹消し捏造した事実を世間に公表してしまった。おかげでトランは本日からWSP所属の国際警察官となってしまった。

 ダニエル・クイロにしてみれば、養子であるトランの出世は願ったり叶ったりの状況だったであろうと周囲は密かに噂する。何せトランはこれまで幾度と無く持ち上がる昇進の話を断り続けてきたのだから。

 本来なら優秀な成績を修め、実績を重ねてきた彼は、中央署でももっと上位の……幹部クラスの位置に居てもおかしくはなかったのである。


 WSPは天界にある機関だ。

 人界と天界では時間の流れが異なっている。WSPの施設内に入ったトランは早速二空間の時刻を受信出来るという腕時計を支給された。

 一時間程施設内で説明を受けた後、許可を得たトランは休憩時間を利用して人界に戻りリタルの試合を観戦していた。

 携帯で呼び出されて天界に向かう途中でトランは早速腕時計を操作してみた。時計に表示されていた人界時間が、小さなボタンを押す事で受信した天界時間に切り替わる。

 ――いざ直面した時差げんじつにトランは思わず溜息をついた。

 人界のアイオン教会で三十分を費やした彼が戻ってきた天界ではまだ五分しか経っていなかったのである。

 しかも二つの空間の時差はまちまちだそうで、例えば人界で一定の時間を二度過ごした際その時差を比べると、双方の間隔は等しくない事が多いという。

 しかし全体的に見るとどうやら時が経つ程に広がる傾向にあるそうで……一日でこれなら果たして一週間後、一ヵ月後にはどうなってしまうのだろうとトランは不安を覚えた。

 思わず、変わらぬ姿の自分の目の前に大人になってしまったリタルが現れる場面を想像してしまう。いつものように腰に片手を当てたリタルは、喧々囂々捲し立てながらもう片方の手で構えたドライバーの先を自分の鼻先に突きつけてくる。そこへリタルの背後からグレープが顔を出し…………徐々に形作られてゆく熟女グレープ(妄想)を、首を振り慌てて脳内から消去する。考えたくもない。

 戻ってきたトランが通されたのは第三会議室。外観や内装同様、白を基調とした施設内の一室はただっ広い空間だった。三十分前――天界時間では五分前だが――まで、自分にWSPの施設について簡単に説明してくれた、ひょろっと針金のように細長く、肩までの直毛を垂らした神経質そうな天使の姿は既にここには無く、現在室内にはトラン一人。手が空き次第ここへ迎えに来てくれるという例の針金天使を待つように言われ、トランはしばらくの間、何の飾り気もない無機質な空間に所在無く立っていた。

 一向に針金天使の来る気配は無い。仕方なく、部屋の中央に長方形に並べられた長机と上等な椅子――その一脚に腰掛けたトランは手にした資料を流し読みしつつ、いつしか物思いに耽っていた。

 現在WSPに勤めている人間は全員天界に移り住んでいるという。

 時差の激しい二つの空間。行き来する分は構わないそうだが感覚が大いに狂ってしまうし、なにより天界に住む職員と比べて早く歳を取り過ぎてしまう。トランも例外なく職員用に宛がわれたマンションの一部屋に移り住む様勧められた。……というよりか、ほぼ強制である。

 現在トランはリチウムのホームに居候している身である。WSP側――針金天使も予め身辺調査を終えていたのか、特に話してもいないのにその件を指摘してきた。WSP所属の者が魔石法違反の犯罪者のホームに身を寄せるのは如何なものか――周囲の職員てんしと同様に白いスーツに身を包んだ針金天使はこう告げて居住区域の様子が記されたパンフレットをトランに差し出した。

「随分戸惑われているようですね。……まぁ、無理も無い」

 己の気配しか存在しなかった室内に、突然降ってきた聞き覚えの在る声。トランは機敏な動作で席を立つと声の主を振り返り敬礼する。

 いつの間に侵入したのか。知り合いそっくりの天使――トランの直属の上司に当たるファーレンが、室内に設けられた二つのドアの内の一つに背を付け、腕を組んでこちらを見ていた。

「私に関しては、別に普段どおりの接し方で構いませんよトラン。ただ、貴方の身分が変化したというだけの事ですから」

「……では、一つ。上官にお伺いしたい事があるのですが」

 言動とは裏腹に、黒い双眼は射抜くように白い衣の上官を見る。

「なんでしょう」

「先の事件の後処理の件です。事実の捏造、世間への公表……自分の昇進。自分は総監に、総ては貴方の指示だと伺いました」

 ファーレンはニヤニヤと笑みを張り付かせたまま、トランの様子を愉しむように眺めていた。

「ええ。そのとおりです。私が彼にお願いしました。……お上の命を受けて」

「オカミ? 長官……ではないですね。WSPここの創立者ですか?」

 トランが怪訝そうに眉を潜めた。

 先程流し読みしていたパンフレットに名前だけが記載してあった。確か創立者は……トピアという人物である。

 トランの言葉にファーレンは満足げに頷いてみせる。

「施設の創立者であると同時にあの方は、この天界を統べる聖なる存在でもあります。……貴方には『天界の巨石』とお伝えした方がわかりやすいのかもしれませんね」

「……『巨石』?」

 聞き覚えの在る単語に、黒眼は困惑の色を滲ませた。

 『巨石』とは歴史にある、この世界フロースの創造神である。

 当初、巨石は一つであったが、……確か、五千年程前に種族間条約が結ばれ空間が三つに分けられたのと同時に巨石も三つに分かれたそうだ。

 『天界の巨石』

 『人界の巨石』

 『魔界の巨石』

 三つに分かれた創造神は各空間に散らばりそれぞれの地に繁栄を齎したという。

 人界に住む種族――人間であるトランにとっては一番馴染み深いはずの『人界の巨石』はしかし、数千年が経った今でも行方が知れずストーンハンター達が躍起になって探し続けているそうだ。

「渡された資料には人物名が記載されていましたが……」

 当然浮かんだ疑問に、しかしファーレンは答えない。

 無言のまま、付けていた背を離すと靴音を響かせてゆっくりとトランに歩み寄った。

 悠然とした仕種。口元にはいつもの笑みを張り付かせている。

「……あの?」

 真意がわからずに、トランが声をかけると、

「我等天使の神、『天界の巨石』は人型をとるのですよ」

 言葉尻と共に、靴音が止む。

 ついには目前まで来た百八十八センチの金の瞳が、百七十九センチのトランを見下ろした。

 神々しい輝きを放つ金髪。背を包む豊かな純白の羽。透明感のある皮膚。そこに在るのは、作り物のように整った存在だった。夢の世界から生まれ出でたようなそれは全身を非現実に彩られて……それでも確かに実在している。まさに完璧と称するに相応しい美貌だった。

 しかし。同じ顔でありながら、その在り方はリチウム・フォルツェンドとは異なる。完璧過ぎる程整った外見から滲み出る、隠し切れない――混沌。トランは改めて、この存在から底知れぬ何かを感じとった。この男はどこか異常だ。

 やがて不思議な色彩が、異様な威圧感に戸惑いを露にした黒い瞳へと迫る。

「『巨石』に愛される存在である貴方も、近い内にお会いできるでしょう。……きっと。驚きますよ」

 耳元で囁かれる甘い余韻を残す声に、トランは眩む。

「……なにを」

 左方よりねっとりとした視線が思考に絡みつく。徐々に内部に侵入してくるそれを拒むようにトランは僅かに目を細めた。

「なにを……、言って」

 頬を流れる一筋の汗。正面を向いたまま辛うじてそう返す。ファーレンは僅かな抵抗をあざ笑うかのように、白い手をトランの肩に乗せる。

「貴方はお上の命でここに配属された。お上は貴方を所望している。総ては貴方の持つカケラが導いている事です。突然彼等から引き離されて不服なのは理解出来ますが、それで私を恨むのは見当違いも甚だしい」

 紡ぐ音が蛇のようにトランの全身を這いずり、その思考ごと硬直させる。

「貴方はこのまま運命という渦にただ身を任せていればいい。形はどうあれ貴方はいずれ、望むものを手にする事が出来るでしょうから。第一、その方が楽でしょう? 後の事は私に任せておけばよい」

「……何を、企んでいる?」

 搾り出すように上げた問いに、金が怪しく歪んだ。

 肩に置かれた手が、やがてトランの身体を撫でる様に下がる。

 金は、間近に在る男の顔を正面から捉えた。

「企む? ……とんでもない。私はただ、お上の愛する可愛い貴方に道を指し示しているだけですよ」

 不気味に上がる口角。

 そして――声は囁くように告げた。

「尤も。貴方は決めたはず。……いや、決めていたはずです。まがい物の生――カケラを手にしたその時から。既に」

 ――それは、彼女の笑顔のおかげで忘れかけていた過去。逃避していた現実だった。

 金は笑む。

 それを口にすれば簡単に自身が揺らぐ事を、知ってか。知らずか。

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