3
グノーシス市西部の住宅街に建つ古びたマンションは老朽化が激しく、住人は数えるほどしかいない。
立地条件、眺めの良さ、住人の数の少なさ――どれも気に入ったようで、リチウムは二年前からリタルと共に最上階である十一階の三部屋を買い占めて住んでいる。
四ヶ月前、グレープ達と同居を始めた時にリタルが一同を巻き込んで大模様替え騒動を起こしたのだが、ここ三号室だけは難を逃れ昔も今も変わらぬ姿で鎮座していた。
三号室は、平たく言ってしまえば研究部屋だ。リビングにはリタルが製作した様々な石化製品がごまんと犇き合っている。リビングに面した二部屋の内、玄関側の一部屋は収集した禁術封石の保管庫として使用し、もう一つのベランダ側の部屋は空間の大多数を本が占める書庫となっている。三週間前の事件の後からリチウムは一日の大半を書庫で過ごすようになっていた。
リチウムだけではない。あの事件の後からここに住まう者は皆、行動や生活パターンなどが何かしら変化していて、ホームで顔を合わす事が少なくなった。今日も、夜の七時を廻った時点で明かりが点いているのは書庫だけだ。普段ならこの時間帯は、一号室のダイニングで夕食の支度を進めているであろうグレープと、夕食が出来るまでの間を二号室にある私室で過ごしているはずのリタルが居る。しかし今日は彼女達が通うアイオン学園で球技大会が行われていたというから、二人の姿がないのは打ち上げにでも出ているからだろうとリチウムはさほど気にしてはいない。
後の二人とはこのところ面を合わせていない気がする。一週間前、とある報告を受けて以来トランとは会っていないし、クレープも何故かホームに寄り付かなくなっていた。
生活面以外では、グレープに起きた変化が最も奇怪だ。あの事件の後から何故か、破壊魔である彼女が人並みに魔石を扱えるようになったのだ。
「……魔石のようなもん、ねぇ……」
書庫にある二台のパソコンの内、しょっちゅうフリーズする古い型の気分屋を使って、リチウムはかれこれ三週間程前から調べ物をしていた。
余談だが、もう一台のカラフルな最新型の薄いディスプレイはいつの頃からかリタルの私物と化している。理由は判らないが、他者に触れさせぬ様、細工を施す程の"お気に入り"らしい。――それでも幼気な少女の禁断の園に踏み込みたいがあまり、封印されたパソコンの使用を試みた猛者が居たとしよう。少女の仕掛けた五十六の巧妙な細工を掻い潜れる程頭のキレる奴であればそもそも、この行為を愚かと称して近づく事はしない。十中八九、事はバレる。その瞬間から、猛者はいつ来るとも判らない石化製品の大軍を率いた小さな悪魔による残虐な報復を覚悟せねばならない。後悔してももう遅い。自らの愚行が齎した恐怖に怯え慄く日々が今この瞬間から始まるのだ――なんて立体映像が、パソコンを触ろうと手をかざした直後から流れ出せば、そりゃ誰だって意欲を喪失する。というか、そもそも私物化パソコンにはパスワードが設けられている為リチウムは愚か、如何なる者も使用する事が不可能な状態となってはいる。要するにリタルはただ、人をビビらせて楽しんでいるだけなのだ。一体いつからあんな小悪魔になってしまったのだろう幼い頃は無口で大人しい天使のような外見をした守ってあげたくなる系のかわいらしい少女だったのに――
閑話休題。
三週間前――あの事件の直後からリチウムが調べていたのは、禁術封石に関する事柄だった。
かれこれ十数年ストーンハントで生計を立てているリチウム。魔石は勿論、禁術封石に関しても当然、ある程度の知識なら頭に入っている。例えば人界に膨大な数在る魔石の内、無差別に選出した数十個の石を属性別に分類し表を作ってみろと言われたら専門書無しで難無く完成させる事が出来る。師匠について廻った修行時代に、魔石の属性、その形状、色、大きさ、性質等を叩き込まれたおかげだ。尤も、魔石の名やその素性――元となる魔力を持っていた魔族の事など、さらなる詳細を求めるならば専用の機械に魔石を掛けるより他ないのだが。
だが、リチウムの持つ専門知識がストーンハンターとして優れているのかと訊かれると……実はそうでもない。世界でストーンハンターと名乗る者の大半はSHG――ストーンハンターギルドに登録している。正規のハンターはギルドでこういった専門知識等をしっかり学んだ後パーティを組む。その後もストーンハントに赴きながらさらなる知識を蓄え研究し続けているので、彼等と比べるとリチウムのそれは十人並みである。
リチウムはSHGに登録していない、野良ハンターと呼ばれる存在だ。そもそも彼の師匠が野良ハンターであったし、ギルドに入らなければならない程生活――収入に困ってはいなかったからだ。
SHGとはハンター同士の互助組合的なもので、各国に点々と建てられている施設を世界中のハンターが利用している。周辺に散らばっている魔石の最新情報(分布図、予測図等)を仕入れたり、知識や技能の伝承の場であったり。ハントに必要な最低限の装備は全てそこで調達する事が出来る。地図や探査機、武器にサバイバル用品に食糧に、エトセトラ。
ギルドには一般企業やコレクターからの依頼書も掲示されている。これらは正規ハンターにとって貴重な収入源である。技量、収入等、条件に見合った依頼を選び競い合って集め、いち早く条件に該当する魔石を必要数提出したハンターだけが依頼者から報酬を受け取る事が出来るという。シビアな環境に正規ハンターを辞める者も決して少なくはない。
一方野良ハンターはといえば、大企業に雇われた専属ハンターや、魔石店を営むハンター、ギルドや正規ハンター達を相手に魔石情報を売りつけるべくその土地専属の情報屋と化していたり、リチウムのように天使等に密売する者まで様々だ。野良ハンターは大抵、パーティを組まずに単独で行動している。大抵の者が、正規ハンターとして十分な経験を積んだ後、独立するような形で野良となった高い技量の持ち主である。リチウムのような経歴のハンターは珍しい方だ。
そんなリチウムが調べているのは各禁術封石の素性である。禁術封石と仰々しい名で呼ばれてはいるが、それ等は皆、秘める魔力が強大で危険なだけで、性質は他の魔石となんら変わりない。必ず元となる魔族がいるはずである。手始めにリチウムは、自身が持つ『死球』について調べてみる事にした。
『死球』という名はリチウムが命名したものである。というのも、さすがに気になって以前調べてみた事があるのだが当時どれほど時間をかけても、らしき資料が出てこなかったのだ。
唯一判った事と言えば、この石が相当に珍しい物だという点のみ。まず、黒色をしている魔石自体『死球』以外に見た事も聞いた事もないし、その力も、現存するどの属性にも当てはまらない。このことから『死球』は天界、人界が未だ把握していない類の魔族が所持していた魔力だった、という事になるのだろう。これが正規のハンターであれば多額の報酬と引き換えに石と資料をギルドに提出し専門機関によって実態が明らかにされるのだろうが、野良ハンターであるリチウムはそれをしなかった。ただ単に気にいった魔石を取り上げられた挙句好き勝手弄られるのが面白くなかったからだ。
初めて調べてみた時から十数年経っているとはいえ、未だにギルドに、関する新情報が公表されていない事から、今回も期待してはいなかったのだが、いざ『死球』と打ち込んで検索してみると、リチウムの予想に反してたくさんのページがヒットした。が、ルーツの書かれた記事は一切なく、目にするのは纏わる様々な噂や扱う自分の事がおもしろおかしく語られている日記ばかり。中でもリチウムの目を丸くさせたのはなんと己のファンページ。その名も"フォルツェンド一味を愛でる会"。これはどうやら、過去にリチウムにストーンハントに入られた家の住人達が集い作成したホームページのようで、それはそれは丹念に調べ上げられていた。夜闇に紛れる事でばっちり姿を隠してきたつもりだったのに様々なタッチの似顔絵が多数並び、これまでに盗んだ魔石リストや出没場所等も順を追って記してある。……しかも、大体合っている。掲示板には自分達フォルツェンド一味に対して放たれた黄色いメッセージがズラリ。なんとリタルの事まで書き込まれている。さすがに彼女の名前までは知られていないようだが、それでも身体特徴が事細やかに記載されており、リチウムは唖然とした表情でしばらく画面に見入ってしまった。
リンク先には似たようなフォルツェンド一味のファンページが多数。ふざけた噂話やら、やれどこそこのナントカ魔石がフォルツェンド様に狙われているらしいから待ち伏せよう、などと言った書き込み。さらには、我こそがリチウム・フォルツェンド様だ! などと、堂々と名を騙っている者の書き込みなんかも発見する。
――オレ様は超絶美形だから何をされても許されるんだゼ。「……まぁ、そうだよな」
――どうしてそんな引き締まった肉体をしているのかって? 答えは簡単。オレ様は毎日、とあるジムで地道に鍛えている。その賜物だゼ。「……イヤだソンナ努力家な俺様……」
――オレ様はこのところ、とある悩み事に頭を抱えて夜も眠れぬ日々を送っているゼ。「なんだ。繊細ハートか? "オレ様"よぃ」
――いつも一緒に居る子供の事か? ソイツはオレ様の大事な妹だゼ。……怪我させたらブッコロス。……と、思わず本気でブチ切れちゃいました。ゴメンヨ。「……なんだこの気色悪ぃ顔文字は」
――オレ様は最近、ワインに嵌まっちゃったりしているゼ。最近じゃ風呂に浸かりながらワイングラスを回すのが……、「…………」
「…………なんつか。俺様、ユウメイジン?」
呆れ返りながら、検索ワードを『無』として再度調べると、再び天文学的数のページがヒットする。順繰りに開いていって……とあるホームページを開いた所でリチウムの手が止まった。
掲載されているのはアイオン教会の外観。他にも教会内部や学園の写真……これはアイオン教会で作られたホームページらしかった。リチウムの目を止めたのはその中にあるコンテンツの一つ。世界の創造主である巨石――アイオン教会を含め、世界のあらゆる教会で崇められている、所謂神様だ――の行動が記された、大昔に綴られた書物の内容である。そこには太古――それも、世界の空間が三つに分かれる以前の話が書かれていた。
――創造主が創ったばかりの世界には、人々を脅かす『無』と呼ばれる漆黒の空間が存在していたという。『無』には番人がいて、人々を消し去ろうと徐々に『無』を拡大させていた。しかし偉大なる創造主はこの番人を説得する事に成功。やがて彼らは結託し、世界から『無』を消し去る事に成功した――
そのページの右端には、巨石から伸びた手と黒い人影の手が合わさっている絵が描かれた遺跡の写真もある。
もしかしたら、狼人がブツブツ言ってやがったのはこの『番人』の事かもしんねぇな……。リチウムは一ヶ月前と三週間前に対峙したそれぞれの魔族達を思い出す。魔族達が事あるごとに口にしていたのは『主』という存在だった。
大蜘蛛魔族は『死球』を『主』の結晶――『主』の魔力が魔石化したものだと言っていた。しかし、それから約一週間後に戦った狼人魔族は『死球』は『かの主』では無いと断言した。『死球』を操る事が出来るのは『かの主』のみであると。
彼らの言っていた『主』とは、ここに記された『無の番人』という存在ではないだろうか。
『死球』は、無を生む。『無の番人』と呼ばれる存在であれば無を操る事が出来るだろうから――そこまで思考を巡らせた直後。はたっと視点を宙に移動させたリチウムは、その内眉根を寄せ僅かに首を傾げた。
推論とはいえ、少し安直過ぎるだろうか。
「『主』、ねぇ……」
ボヤいて、大きく伸びをして。それから、気だるげに机に頬杖をつく。
既に薄れてしまっている記憶の中で。狼人は自分に、こう、問うた。
その『死球』を持ち、操っている俺は一体何者だ、と。
――おぼえていないの?
……さて。そう訊かれたのはいつだったか。
ページの流し読みを再開すると、その最下に『無の番人』に関連した絵画の画像があった。三、四つ横に並べられたそれらを何気なく眺めると、そこに描かれていた番人が一様に、青い光を纏っている事に気づいた。
前回の戦いの際、グレープが居た崖の上で突如発生した青光を連想する。閃いたリチウムは、すぐさま検索窓でキーボードを叩いた。
事件後。相棒のリタルは、グレープは人間ではなく魔石のようなものだと、自分に話した。
彼女は天才だ。あの歳であらゆる物事を思慮深く、且つ、的確に捉える。勝気で言いたい事をずけずけと口にするイメージの強い彼女だが、どうやらそれは照れ隠しの一種のようで、誰よりも人という存在を重く受け止め、大事にする。そんな彼女が三週間前の事件後、この部屋で告げた言葉は想像以上に重い憶測だった。
リタルがグレープという存在に疑惑を抱いたのは何も今に始まった事ではなかっただろう。恐らくずっと以前から……グレープ達と同居を始めた四ヶ月前からすでに、何かしら疑念のようなものを持っていたのかもしれない。それを自分に報告するまでの間、少女はずっと一人きりで抱えて、調べてきた。恐らくは、自身の見解を否定したい一心で。
だが――最終的にリタルが至ったのは「グレープは人間ではない」という結論だった。そこに至るまでの四ヶ月間の彼女の苦悩を思えば、吐き出された言葉は事実に最も近い推察だと言えよう。
グレープが、人間ではなく「魔石のようなもの」ならば。彼女はひょっとしたら魔石に生み出された存在なのかもしれない。
人を創る魔石、なんてものがあるのかもしれない。
だが、この三週間。幾ら調べても『人を創る魔力』、そんな力を秘めた石はどこにも存在しなかった。
ハンターが増えたとは言え、世界は広く、石にも様々な種類がある。『死球』の様にまだ知られてもいない類の魔石もあるだろう。グレープは、そういう未知の魔石の魔力が生み出した存在なのだろうか。だが。
魔石とは、人間にしか扱えない代物だ。
逆に言えば、魔石は人間が手にしなければ唯の「魔力を秘めた石」で、世界に転がっているだけの……ただの石ころなのだ。
では、その『まだ名の無い魔石』を手に取ったのは誰か。
その石を使ってグレープを産んだのは一体誰か。
一体どんな目的で彼女を――
――いいや、そんな事はどうでもいい話で。
グレープが、例えば、リタルや自分が想像するとおりの存在だったとしても、彼女は今のまま自分達と、平和に暮らしてゆけるのか。確信する為の何かを求めて、リチウムはこの数日間、書物やパソコンと格闘を続けていた。
そしてこの時――『青い魔石』を検索したリチウムは、『人界の巨石』と呼ばれるソレが青く光る石であったという伝承を得る。
その名は、天界・人界・魔界、各空間にそれぞれ在るとされる世界の創造主の内の一つ。
三つの巨石の中でも、人界に繁栄を齎すと言われる石を指している。
「人界の……巨石、か」
ここでリチウムは、奇妙な感覚に囚われた。
『人界の巨石』。それはリチウムにとっては、かつて師匠が自分に託した"最後の探し物"でもあった。
リチウムが弟子(になった覚えはさんさらなかったが)として師匠に付くようになってから一年と少し経った頃。とある理由で師匠はストーンハント業を引退せざるをえなくなった。
名を継いだ自分に、別れの言葉の代わりに告げたのが『人界の巨石』を必ず探し出せ、と凄みを利かせたその一言。
自分の前から去り行く途中、幾度も振り返っては、発見次第自分を探して報告するように、と念を押す。それはそれは偉そうな口調で。
『人界の巨石』にさして興味も無ければ、この横柄な物言いにムカついたリチウムはその名を頭に留めておく事こそすれ、本格的に探し出そうとはしなかった。『天界の巨石』なる石が実在しているこの世界に存在しているのは確かだろうが、気配が一向に掴めない『人界の巨石』はギルドでも「幻の石」と謳われており、追い求めるハンターは五万といる。わざわざ自分が探さなくたって、その内誰かが発見するだろうともリチウムは思っていた。
それから長い年月が経ち、そんな記憶もすっかり色褪せてしまった――一ヶ月前の事件の際。ファーレンが口にした単語こそがそれだった。尤も、あの時彼が自分に告げたのは『人界の巨石』ではなく、『魔界の巨石』の目覚めについて、だったが。
「それが、ここでお出ましってか……」
目前のスクリーンに。
そして脳裏に。この単語が君臨している。
「……俺様、シショーに呪われてンのかも」
ボソっと呟くと、自嘲地味な笑みを浮かべる。
ふと、いつかファーレンが口にしていた事を思い出す。
『人界の巨石』は、未だ発見されていないらしい。
「…………」
あるひとつの推測が彼の脳裏に過ぎる。その時。
玄関の方から、エレベータの扉が開く鈍重な音を、リチウムは微かに耳にした。