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「…………」

 目を見開く。と、そこには闇が広がっていた。

 闇以外の何物もない。闇の中心に、グレーの……石で出来た台座がポツンとあり、そこに少女は寝かされていた。

 身を起こすと上に掛けられていた白く大きな布がずり落ちる。

 少女は裸体だった。

「…………ここは」

 胸元まで引き上げて、生地に負けぬほど白い透明感のある肌を隠した蒼い髪の少女は、二、三瞬いた。

 広がる真闇は、どこか穏やかで。懐かしさを覚える。

「目覚めたか」

 いつの間にか。正面に少女が立っていた。地まで真っ直ぐに伸びた紫色の艶やかな髪。一際濃い紫のゆったりしたローブに身を包んでおり、裾――大きく裂かれた正面から白い脚線美がすらりと伸びていた。

 赤い瞳には混沌が広がっている。しかし、この深い闇の中でソレは吸い込まれてしまいそうな程印象的な輝きを秘めていた。

「…………」

 目の前の少女は、どこかで見た覚えのある容貌だった。

 ……思い出せない。

 記憶は、ぼやけてとても曖昧だった。

 それでも僅かに思い浮かべる事の出来る人物、景色達。それが……ここには無い。何一つも。それが妙に、心許無い。

 紫の少女はさらさらとした髪を地に擦りながら、蒼い髪の少女が座る台座まで歩み寄った。

「…………あの、ここは……」

「ここは、魔界の深部だ」

「……魔界?」

「ああ。直ぐそこに、昔『無』が広がっていた空間がある。おまえには馴染み深かろう」

「……あの」

 紫の少女の言葉に首を傾げつつも、蒼の髪の少女は口を開いた。

「リチウムさんたちは……」

 鈴声に、しかし紫の髪の少女は僅かに眉を潜めた。

「りち、うむ?」

「はい。リチウムさんです」

「……なんだ、それは」

「…………え?」

「そんなモノはいない」

 大きな瞳を見開く。

「……そんなはずは……。わたしがお世話になっている人です」

「知らぬ」

 即答に、蒼の髪の少女の抱く不安はさらに強大になった。

「では、リタルさんは?」

「…………」

「トランさんも……そう、クレープさんも……っ」

「グレープ」

 遮るように、紫の少女はその名を呼んだ。

 弾かれたように彼女を見上げるグレープ。

「ならば答えてみろ。その者達とは、どうやって知り合ったのだ」

「それは……」

 すぐさま語ろうと、グレープは口を開いた。

 そう、彼らと……リチウムと出会ったのは……。

 ――どれぐらい、前だったか。

「…………っ」

 記憶を巡らせる。一瞬にして、絶望が脳裏を真っ黒に染め上げた。

 思い出せない。

 出会った覚えが――ない。

「…………」

「では。その者達とはどういう間柄だったのだ」

 少女に問われ、今度こそ答えようと、必死に記憶を起こす。

 微かに、微かに、余韻が過ぎる。

 だが、それだけだった。

「…………」

 何故だろう。

 確かに頭の中に何かがある。

 だが、輪郭がぼやけてしまって掴めない。奥から引きずり出せない。

 しかもその"何か"に映る自分に……覚えが無い。

 それは『記憶』で、体験している事のはずなのに実感が伴わないのだ。まるで――

「夢でも見ていたのか……」

「…………!」

 グレープは大きく身体を震わせると、呆然と紫の髪の少女を見た。

 紫の髪の少女は、相変わらず無表情だった。

「私が知っている事を話してやろう。おまえはグレープ。私の片割れだ。おまえは、ある事件の後。ずっとここで眠りについていた」

「…………。ずっと……?」

「そうだ。四年の間、おまえはここで眠り続けていた。そして、ようやく。今目覚めた」

「…………」

 ぼうっとする頭に、彼女の声が入っていかない。

 上手く、言葉を理解する事が出来ない。

 俯いて、頭の中で少女の言葉を反復させる。

 ずっと、ここに居た……?

 やがて、グレープは闇を振り返った。

 何も無い。

 だが、確かに。どこか懐かしさを覚える――

「大方。おまえは夢でも見ていたのだろう」

「そんな……はずは……」

 呆然と呟きながら、それでもグレープがかぶりを振った。

「ないです…。わたしは、グノーシスの教会で……シスター、を、していて……」

 だって掴み所が無くても、実感が湧かなくても。こんなに鮮やかなのに。

「毎日。楽しくて……それがとても嬉しくて」

 決して夢なんかじゃない。

 居たのだ。確かに。彼らは。ずっと。

「…………」

 いつか。

 手を握った。

 骨張った……とても大きな手。

 何よりもその温もりだけははっきりと、今でも確かに覚えている。

 霞む輪郭。

 自分の周りに、自分の側に居て……笑って、くれて――

「グレープ」

 頭を抱えて項垂れてしまったグレープに、紫の少女は声をかける。いやいやをするように首を振った。声を拒否するように――熱病に浮かされたようにグレープは叫び続ける。 

「――そんな、そんなはず、ないです……っ だって、リチウムさんは……リチウムさんが……っ」

「グレープ」

 背後から響いてきた――透明感のある男の声に、ハッとグレープはそちらを振り返った。

「…………」

 そこに――果たして男は居た。

 腰まである長髪。均整の取れた顔立ち。切れ長の瞳。

「グレープ。目覚められたのですね」

 男は歩み寄ると、笑顔を浮かべて、グレープの手を握った。

「…………」

 骨張った、大きな……男の人の手。

 ……あたたかい。

「…………」

「おまえは、夢と現実を履き違えてはいないか?」

 呆然と男の顔を見上げるグレープの背に、紫の少女は告げた。

「おまえが人界で人間として暮らしていた、などと言う記憶があるのだとすれば。それは総て夢なのだ。おまえは我が分身。それ以上でもそれ以外でも。まして、人間だという事もない。おまえが持っている記憶。それらは総て夢の中の出来事だ。故にあやふやなのだ」

「…………」

 夢……。

 ……ゼンブ、ユメ……?

 あの不安も?

 あのあざやかな世界も?

 あの。

 強い、青の光も…………。

「トピア様。無理もありません。長い間、彼女は眠り続けていたのですから……ねぇ。グレープ」

 隣に腰掛け、俯いたグレープの細い肩を抱き寄せて男は優しく声をかけた。

 大きな手はただ優しくあり、まるで子どもをあやすように背を撫でる。

 声に見上げたグレープは、男の顔をもう一度視界に入れる。

「…………」

 その整った顔立ちには、確かに見覚えがある。

 愛しげに自分を見つめる、切れ長の瞳から覗く……金…………。

「…………」

「……もう一度言う。グレープ。おまえは、人間などではない。『人界の監視者』だ。もうずっと、この男と――ファーレンと長い時を過ごしていたではないか」

「…………」

「おまえが持っている人間としての記憶。それは、総て夢だ。故に、あやふやなのだ」

「…………ゆめ……」

 力なく呟くと、グレープは再び俯いてしまった。

 そんな彼女に、優しく接するファーレン。

 彼女達を見下ろすトピアの瞳には相変わらず混沌が広がっていた。

 だが、そこに。一筋の光が灯っていた事に、しかしグレープは気づかなかった。


[終]

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