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 あれから三日が過ぎた。

 早朝の凛とした冷気に満ちた室内に一人、少女は小さな鏡台の前に立っている。

 黄緑色の髪。エメラルドの瞳。鏡には――普段となんら変わらぬ自分が映っている。

「…………よっしゃ」

 気合いの入った表情で一言呟くと、えいやと一気に寝巻きを脱ぎ捨てた。途端に全身で一斉に起こる鳥肌達の抗議には取り合わずに素早く私服に着替える。髪を二つに分け高い位置に結い上げると、最後に。机の上に置いてあった二つのグローブに手を伸ばした。

 一つは、エメラルドの光を放つ『転位』の石。もう一つは――

「……もう、大丈夫」

 呟いた表情は――穏やか。

 グローブを嵌め、掌を動かし軽く感触を確かめてから、少女は外界へ通じる扉を開けた。

 物言わぬ室内はいつものように、颯爽と歩いてゆく彼女の背を見送りつつゆっくりと口を閉ざしてゆく。



 新たに取り付けられた扉を開け、一号室を覗く。

 普段なら、ここで「おはようございます」などと、一体何がそんなに楽しいのか明るい嬉々とした鈴声に迎えられる所だ。その内ぱたぱたとこちらへやってくる賑やかな足音が響いて――

 ――リタルはこの三日間。『日常』を耳にしていない。

「…………」

 しんと澄んだ冷たさの佇む室内。

 記憶の中の鮮やかな笑顔。欠けてしまった現実せかいの静けさに一抹の寂しさを覚え、リタルは俯いた。

 緑色の毛束が頬にかかる。

 一号室の内部――玄関や廊下、足を進めたリビングは修繕され、見たくれはすっかり元通りになっていた。薄暗い世界。その中央に置かれたソファの一つで――リチウムが寝息をたてている。

 カーテンの隙間から差し込む一筋の柔らかな日差しをはらんで僅かに反射させる銀の髪。

 溜息を吐く。すぐそこに自室があるというのに、一体、なんでこんな所で寝ているのか。

「…………」

 リタルは起こしてしまわぬ様そっと近づくと両膝をつき、ソファの端に頬杖をついた。

 穏やかな寝息を立てている、男の顔を眺める。寂光に照らされたその寝顔はまるで彫刻のようだった。形の良い輪郭。高く通った鼻筋。薄く開いた口。睫毛が……随分と長い。今は閉ざされている――切れ長の瞳。

「……リチウム」

 リタルは、既に解っていた。

 ――初めて会った日、この男が名乗った苗字は「フォルツェンド」。それは母の旧姓だ。

 母は結婚前、ストーンハント業を営んでいたという。それもただのストーンハンターではない。今自分達が行っているような、人家に押し入って禁術封石を奪う――という、立派な盗賊業だ。

 母は生前、スリルと興奮に満ち溢れたハント話の数々を自分達兄妹に自慢げに語って聞かせた。母が話す昔話はどんな絵本より楽しくて、いつの間にかリタルは自分から母に話をせがむようになった。ついには、ほぼ丸暗記してしまった昔話。覚えによるとストーンハントを行っていた時、母が名乗っていた名こそが旧姓である「フォルツェンド」だった。

 その話に出てきていた母についていたという弟子の特徴。いつだったか、もうストーンハントはやらないのかと訊いた自分に彼女は「辞める時に全部、弟子に任せた」と清々しい顔で笑っていた。

 どういう因果か知らないが、リチウムは母の元でストーンハントの手口を学んでいたのだ。


 幼い頃自分が住んでいた街はここよりさらに北に位置していた。ウィリデ地方の山々に囲まれた小さな田舎町で、名をスマラグドと言った。リタルはそこで父と母と兄と暮らしていた。

 平穏な幸せが砕けてしまったのは六年前。奪ったのはスマラグド付近で起こった大規模な山火事だった。スマラグドは炎に包まれて消えた。生き残った僅かな町人達は皆、辛い思い出に目を背けるかのように近隣の町に移住してしまい、町は復興する事もなく、現在そこにはひっそりと形跡が残っているだけだ。

 当時の記憶はとてもあやふやだ。

 炎の中、母は懸命に自分を庇っていた。気がつけば母の姿は無く、右掌には母の髪と目の色そっくりなエメラルドの色の石を握っていた。

 コレが一体何なのか。どういう事なのか、後になってから理解する。母は魔族だったのだ。

 烈火の世界で小さな自分は成す術も無く母の石を握り締めてその場に蹲っていた。苦しくて、苦しくて、その内意識を失って…………気づいたら、親戚の家の天井が広がっていた。

 兄も父もいなかった。親戚に訊いたら死んでしまったのではないかと冷たく返された。一度一人で兄達を探しにスマラグドを見に行った事がある。その際、自分と同じようにあの地獄を生き抜いた……屍のように気力の無い町人達数名と再会したのだが、誰もが二人を見ていないと力無く首を降った。自分を助け出しここまで連れてきてくれたという警官も見つけたのだが、やはり同様の反応を示すだけだった。仕方なく、リタルはそのまま親戚の家で一時を過ごした。

 しかし親戚と上手く行かなかった彼女はすぐに、ウィリデ地方の教会――孤児院に預けられる。

 その頃には、彼女の精神は絶望に染め上げられ、もう喋る事すら億劫になっていた。

 視線は下へ。表情は無に。物事に対する関心は薄く。その存在はとても希薄。



「おまえ。母ちゃん似だな」

 そんな彼女の目の前に現れたのが、リチウムだった。

 一目でわかった。初対面の男が、昔母が話していた弟子だと言う事に。

 だって、その目立つ容姿。

 青空の下。見上げた銀と青。目が覚めるような、それはなんて鮮やかなコントラストだったろう。

 その時は、意地悪な神様がもう文句を言われたくなくて、この世で唯一母を知っている人に会わせてくれたんだと思った。

 でも違っていた。

 なんてことはない。よく考えてみればわかる事だった。

 自分は"母"を持っていたのだ――

 当時もストーンハントを繰り返していたリチウムが、"珍しい魔石はは"を所持するリタルを見つけるのは時間の問題だったのだろう。

 それでも。リタルはこの出会いは母が齎したものだと信じた。

 だってその方が、何十倍も、嬉しいじゃないか。




「……リタルか」

 青い瞳がうっすらと開かれる。

 掠れた声に我に返ると、男は無造作に自分の頭に手を置いた。

 ……少しだけ驚いた。

「…………」

 この男が、自分に触れる事は珍しい。

 大きな手は、何かを確認するかのように。温もりは、強い青に秘めた解りにくい優しさ――そのままで。

 ……心配を、かけてしまったのかもしれない。

「――ごめん」

 頭に置かれた手を両手で握って下ろす。

 リチウムはそれには何も取り合わず、掴まれた手――次いで、リタルの右腕に視点を移すと一言呟いた。

「軽く、なっちまったな……」

「…………うん」

 自分も視線を落として、笑む。

 "母"を元の姿に戻したくて。

 生き返らせてあげたくて、自分はずっとその方法を探していた。

 リチウムについてストーンハントを学んだのだって……自分を引き取ってくれたこの男の手助けをしたかったのも勿論あるが……"母"を元に戻す為なんらかの手がかりを掴みたいという、目的の為だ。

 何も告げなかったのに、リチウムはそれを解っていたようだった。

 知っていて、コイツは何も言わなかった。

「でもまぁ。そのクローンみたいなおまえが、ちゃんとここに居る訳だし」

 見ていないようで、ちゃんと見てくれていたりする。……この男は、そういう奴だ。

「……なにそれ。慰めてんの?」

 滲んだ涙を隠そうとそっぽを向く。

「まさか」

 リチウムが身を起こした。

 ソファがぎしっと音を立てる。包まれるような大きな気配に振り返ると。

「必要ないだろ。おまえには」

 リチウムは自分を見下ろして、嬉しそうに笑っていた。

 浮かべた笑みは、どこまでも大人っぽくて。それでいて、無邪気で。

 そんなんでドキドキしている自分は、なんて。小さいんだろうと思った。

「……早く大人になってやる」

 そんでもって。見返してやるんだ。

 早くお母さんみたいな魅力的な女になって。コイツにも、ドキドキさせてやるんだ。

 新たに胸に秘めた目標を、呟きにこめて吐き捨てた。

「なんか言ったか?」

「……なんにも。それよか、リチウム。トランは?」

「さぁ。けどアイツ、ここンところ仕事行ってねぇみてぇだし。どっかその辺にいるんじゃね? ……朝飯買いに行ったとか」

「クレープも部屋にいなかったのよ。あんた、どうやら完全回復したみたいだし。そろそろ作戦練ろうかと思ってたんだけど……」

「アタシならここにいるわよ」

 声に二人が振り返ると、一体いつからそこに居たのか。細腕を組んだクレープが仁王立ちしていた。こんな早朝から外に出ていたのかニット帽、ダウンジャケット、手袋、耳宛て等、きっちり防寒装備を施した彼女の鼻の頭が赤い。

 後ろにはビニール袋を二つ両手に下げた、いつものコート姿のトランが居る。

「リタル。もういいのか?」

 歩み寄り、リタルの顔を心配げな黒の瞳が覗き込む。

「ええ。心配かけて……」

「いいよ。っていうか、心配くらい、かけさせてくれ」

 正面で、トランは優しく笑んだ。

 ……なんとなく気恥ずかしくて、俯く。

 と、男が持つビニール袋の口から覗く白い頭に目がついた。

「……ゆき、だるま……?」

「あぁ。三日前からずっと雪が降ってただろ。外今すっげー積もってんだ。だから、な……」

 袋の一つを掲げると照れ臭そうにはにかんで、トランはリビングを出ていった。キッチンに向かったようだ。

 ……あれは、あのコへのプレゼントなんだな。きっと。

 トランも意外と気がきくじゃないか。あのコすごい喜びそう……、

「部屋に二日間篭りっぱなしだったから。てっきり今日もメソメソしてるんじゃないかって思ってた。もしそうなら、今日こそは誰に止められようと問答無用でアンタを叩き起こしに行ってたトコだったわよ」

 皮肉たっぷりのアルトがトランの背を見送っていたリタルに届く。「案外元気そーね」

 その口ぶりからすると、クレープは昨日も一昨日も私室に乱入しようとしてトランにでも止められたのだろう。

 視点を手前に移すと、防寒装備を脱いだクレープが金の髪を上で一つに纏めつつ、リタルにジト目を向けていた。

 しかし、心做しか……その瞳の奥に温かさを感じる。

「ゴ心配アリガトウ。平気よ。それよか……」

「――聞きたい事があンでしょ? アタシに」

 遮るように発せられた声。

 一転して厳しい表情に、リタルが目を見張る。

 決然とした赤い瞳は、リタルを真っ直ぐに見ていた。

「アタシもね。そろそろ限界かと思ってたの。アンタ達に打ち明ける前に、トピア(あっち)に先手取られちゃった、ってトコなんだけど」

「限界?」

「こっちの話。アンタが篭ってたこの二日間。男ドモから質問責めにあってたンだけど、アンタが出てくるまで待ってもらった。揃ってからの方が手っ取り早いし。何よりアンタ達には全員、知る権利がある」

 クレープの声に背後に目をやる。ソファに凭れたリチウムがむすっとした表情でクレープを見上げていた。

 成程。どうやら男どもはあたしを話に――グレープ奪還作戦から外そうとしていたとみえる。

 ……冗談じゃない。

「……なら話は早いわ。いい加減聞かせてもらおうじゃない。あたしたちと出会う前のあんたとグレープの話。そして」

 視点をゆっくり戻すと、腰に両手をあて踏ん反りがえる。

「あんた達が何者かって話よ。グレープの正体はさすがに想像つくけど。そもそも『巨石』ってのは一体何なわけ? あんたが見せたあの何でもあり、な反則(わざ)は一体どういうカラクリだったの?」

 見上げたクレープの顔は……僅かに眉根を寄せ、なにやら思案しているようだった。

「話してもいいケド……それより、手っ取り早い方法がある」

「てっとり早い方法って?」

「『百聞は一見にしかず』……ってトコ」

「……?」

「時間もそんなに残ってないみたいだしね。見せてあげるわよ」

「見せるって……何をだ?」

 コートを脱ぎつつ戻ってきたトランに振り返ったクレープは、

「監視者サマのお力の片鱗を、よ」

 小悪魔のような微笑みを浮かべ彼を見た。

「人界に伝わる世界フロースの歴史を、前に一度、とある人物に教えてもらった事がある。それによると五千年前に種族間条約が結ばれた後、総ての『巨石』は眠りについてしまってるデショ? 事実は違うのよ」

「違うって」

「今話せるのはこれだけ。さて、そうと決まれば早速行くとしようじゃない。そろそろ腰の重たい天界の爺ちゃん達も動いてきそうだし。街を出歩くのは危険ね。……リタル、アンタに転位してもらうわ」

「ってか。行くってどこへ」

「決まってんデショ」

 クレープは振り返った。

 凛然とした赤い瞳で困惑しきった一同の眼差しを受け止めると、優美に笑む。

「『世界で一番安全な場所』――アイオンへ、よ。そこで見せてあげる。アンタたちがこれまで『人界の巨石』だと思っていたモノの正体と。真実(フロース)を。可能な限り」

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