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「リチウム!!」

 緊迫した場を裂く男の声。駆け込んだトランは眼前広がる異常な光景に目を丸くした。

 この四ヶ月間。仲間と暮らした賑やかなホーム。毎日出入りした共有廊下の様子が一変していた。

 無残に拉げた一号室の玄関の扉や、見覚えの在る靴、傘の数々。玄関や廊下に設置されていた……破損し無残に形を変えた小物類などが転々と廊下に散らばっている。そして――

 一号室からは、青白い強烈な光が差していた。

 露になっていた室内に存在するのは、闇と……青白く輝く不思議な人型。室内を満たし、さらに共有廊下へと溢れ出でる濃厚な魔力に……トランはどことなく、グレープの感じを覚える。瞳を凝らすと、青白い光の中心――発光しているのはやはり、彼女だった。意識は無く、その身は今、廊下に浮かぶ金髪の天使の元にある。

 一人対峙しているのが、リチウムだ。

 彼は、自分の呼びかけに答えようとはしない。それだけ緊迫した状況だという事が見てとれる。

 驚く程すぐ側に居たリタルは足元――共有廊下の壁に背を付けた状態で、ぺたんと力なく座っていた。

 気配がしなかったのも当然だ。見た目に解る程、少女は茫然自失の状態だった。

「リタル! おい、どうしたリタル!」

 幾度呼びかけても反応すらしない。

 鮮やかな輝きを放つ双眼のエメラルドは今、完全に光を失っていた。


「……まぁ、そうなってしまうのも無理もない……事なのかもしれませんね」

 ――突如現れた、予定外の存在。全身びしょ濡れの男はどういう訳か。この真冬の最中で信じられない程薄着だった。というか、先ほど対面した時に着込んでいたスーツのジャケットを、動き辛さからか脱いでそのまま来たのだろう。水気を含んだ白いシャツ一枚に下はジャケットと同じ濃紺のスラックス。その頭には点々と大粒の冷たい白が付着している。

 その場にしゃがみ込んでリタルの小さな肩を必死に揺らし続ける背を眺めつつ、ファーレンは優雅に笑んだ。

「これまで彼女が所持していた"母親まがん"は先程、彼女自身の手によって、世界から完全に消失しました」

 ――声と共に吐き出されていた白い息が、止まる。

「残存し続けていたその魔力ですら、たった今暴風となって……その意思共々、失せてしまったのですから」

 瞳を見開いたトラン。

 淡々と告げられた事実こえを、彼が噛み砕き、完全に飲み込んでしまうまで、後数秒を要した。


「……なん……だって……!?」

 愕然と、トランは動かない少女の顔をもう一度覗き込んだ。

 ぼうっと虚空を見続ける瞳。その無の表情からはなんの感情も読み取れない。

 次いで、少女の小さな手を見る。

 左側には普段と変わらぬ――『転位』の石のついたグローブを装着している。

 だが、右側のグローブには……『魔眼』という黄緑色の石が――見当たらない。

 どこにも。

「…………!」

「驚きました。これまで、魔族と対峙した際にも怯む事無く対等に渡り合える強さと度胸を見せ続けてきた聡明な少女が、たったこれしきの事で我を失うとは。やはりリタルさんも歳相応の幼い子どもだったという訳です。私は少々、彼女を買い被りすぎていたのかもしれません」

「……リタル」

 トランは記録している。

 幼かった頃。いつもぴーぴー泣いていた弱虫の少女が母親を真似て髪を伸ばしたがっていた事を。

 愛らしい少女は大変なお母さんっ子で、よく父親が嘆いていた事を。

 その後訪れる真っ黒に塗り潰された時間を経て。

 リチウムと会った時には既に。少女はある程度立ち直っていたらしい。

 元気な少女の手にはいつも黄緑色の石を入れた小さな巾着袋があったという。

 再会したのは、半年前。

 一目で解った。

 その性格が、母親そっくりの快活さで。

 髪と目が、母親のソレと同様にエメラルドに染まってしまっていたからだ。

 それがどういう事だったのか。

 深くは考えなかった。……いや、周りに感じさせぬ程に彼女は完璧に母親と同化してみせたのである。

 その変貌っぷりが、無意識だったのか、意識的なものだったのかはわからない。

 ただあの黄緑色の石だけが変わらず彼女の一番近くに在った。

 ――なんてことだろう。

 少女の中には、幸せだった昔も、たくさんのものを失ってしまった今でも、元々の容姿や性格を変えてしまう程に"母親"で埋め尽くされていたというのに。

 再び――それもたった今。

 "母親"はまたも少女の目の前で、粉々に、砕け散ってしまったのだ。

 ――歯を食いしばり、

「…………貴様……っ」

 トランは、凶悪な笑みを浮かべる天使を振り返った。


「トラン。貴方、よいのですか? こんな所にいて。しかも、そこの愚か者と共に上司に楯突こうとしている。折角昇進させてあげたというのに、棒に降るつもりですか」

 トランは答えない。ただ、強い意志の篭った瞳でかつての上司を貫き続ける。

 体内を凄まじい速度で巡る炎の魔力は、怒りの熱で燃え盛っていた。外観から見て取れる程に。

 先ほどから身構えているリチウムにしたって、同様だ。

 彼らの様子を鼻で笑うファーレン。

 抱えている意識の無い少女の蒼い髪に、唇を這わせ、横目で彼等を見下ろした。

「……全く。把握してはいましたが、つくづく仕様も無い方々だ。歯向かおうとしたところで貴方方は、彼女は愚か、そこの子ども一人でさえ救えぬ程の無力な存在。第一。なにもかもがもう、遅いというに……」

「――ほざきやがれ……!」

 リチウムが唸る。同時に、その左手に従えたのは死球。闇よりも一段と暗い無を前に、ファーレンはあくまで上品に笑む。

「なるほど。それを私に放つ気ですか。いや、放てませんよね。大事な彼女がここに居るわけです。幾ら器用な貴方でも、彼女を残して私だけを消すなんて芸当は出来ないでしょう。しかし私に近づけば近づいた分だけ、より強力な呪縛にかかるという事を貴方は既にその身をもって理解してくれていますよね」

「…………っ」

「貴方方は無力なのです。いい加減弁えて、無理などせずに。そこで指を加えてみているといい」

 ファーレンはグレープの身体を宙に掲げた。

神聖なる少女(わがあるじ)の降臨を」

 意識の無いグレープの体から再び迸る、強い青の閃光。

「…………っ」

「なんだ……!?」

 刹那、彼等を異変が襲った。

 室内の重力が幾倍にも増したかのような、そんな重圧感が全身に圧し掛かる。

 ……空気が、とても重い。

 濃密な大気は、まるで。三週間前に足を踏み入れた魔界のそれのような――

「――ご苦労であった。ヘルファーレン」

 混乱に満ちた室内に、透き通ったアルトが降臨する。

 声に見上げたリチウムとトランの視線の先に、強大な魔力――紫の光を細身に纏った少女の姿が浮かび上がった。

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