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4

 トランは走り続けていた。

 クレープと別れ、職員達の静止を振り切りWSP内部を出る時にはもう、クビを覚悟していた。

 それでもいい。

 養父のためにと思って生きてきた。

 かつての恩人のように……そう生きてきた。

 『炎帝』をくれた彼女のために。生きなければならないと、そうやってここまで来た。

 誰かの言うように、この命は紛い物で。この存在は偽物で。だからこそ、これからは自分のためにではなく、誰かのために在り続けようと――

 ――そんなものは……詭弁だ。

 だって、それならば何故。

 自分はあんなにも昇進を拒んでいた?

 リチウム達を逮捕しなかったんだ。

 グレープと。

 彼女の笑顔と離れたくないと。

 側にいたいと。そう願ってしまったんだ。


 白が降る町。シンと張り詰めた冷たい空気を裂いて全力疾走する。いつもとは違った足音が、己の激しい鼓動と息遣いと共に夜の街に反響する。

 ザッザッザッザッ……!

 雪が薄っすらと積もった道路。大柄の人とぶつかり激しくよろけて転びそうになる。

 大地を踏みしめなんとか堪えた。「どこ見てンだ!!」背後から聞こえてきた怒鳴り声に、奥歯がギリっと鳴る。

 ――過去とあのコと、どっちが大事なの!?

 己の中で何かが弾け飛んだ。

 走った。

 ひたすら走り続けた。

 本当に、そのとおりだと思った。

 地位や名誉なんかクソくらえだ。

 そんなもの、自分は欲しくない。

 そんなもののために自分は今、生きているわけではない。

 後悔を繰り返す為に、ここに居るのでは、決してない。

 そうだ。繰り返すまいと、あれほど誓ったのに。

 息せき切って冷たい闇を突き進み、たった一人で駆け抜ける。

 やがて、ホームが見えてきた。

 と。

 マンションの十一階から、恐ろしい程莫大な魔力と蒼い光が噴出された。

「……グレープちゃん……っ」

 トランはさらにスピードを上げ――今、マンションの入口に手をかけた。




「なんでここ(ホーム)が判った」

 玄関で立ち尽くしていたグレープの細腕を掴むと、リチウムは乱暴に自身の背後に引き寄せた。

 このホームには何重ものバリアーが張り巡らされており、多種多様のセキュリティ装置――悪戯めいたかわいらしい仕掛けから極悪非道なトラップまで――が、生みの親たるリタルの手によって至る所に設置されている。

 どのような魔力を行使しようと総てを突破するには相当な困難を要する。況して初めて訪れる者が、巧妙に仕掛けられたそれらを全て看破し無傷で最奥に到達する事は不可能に等しい。

 勿論住民票等も偽造してある。インターネットに要する魔力は暗号化されており、電話に用いられる魔力にだって解析出来ぬ様透明化処理が施されている。リチウム達がここに住んでいる事を知り得る者が居るとすれば、それはここに住んでいる自分達か、自分達が招きいれた者だけ――のはずだった。

 鋭い青の眼光に、ファーレンが笑んだ。

「さて。何故でしょう。察しのいい貴方なら簡単に想像出来るとは思いますが……まぁ、こういう訳です」

 言いながら、ファーレンは玄関から一歩。身を引いた。

 彼の後ろに立っていたのは――

「リタル!」

「リタルさんっ」

 黄緑色の髪の少女だった。

「…………」

 共有廊下で立ち尽くした少女はリチウムとグレープを視界に入れても微動だにしない。

 人形のような無心の表情。暗く濁った双眼はもはやビー玉だ。

「…………ファーレン、てめぇ」

 ファーレンは魔力で生体を操る。まさに今リタルがその状態なのだと一目で看破したリチウムははっきりと瞳に敵意を宿した。

「お待ちください。その前に一つ貴方に確認したい事があるのですが」

 殺気を全身に浴びせられた本人は、しかし涼しい顔で白い衣から何かを取り出す。

 手にしたそれをリチウム達に掲げて見せた。

「…………!」

「それは……っ」

 硬直した二人が瞳を大きく見開いた。

 廊下の明かりをその身に受けて光り輝くソレは黄緑色の石だ。

「ええ。リタルさんの持ち物です。『魔眼』、でしたっけね。貴方方が呼ぶ名の通りこの魔石は、魔眼の力を持つ魔族が絶命した後に結晶化した魔力の塊です。この魔力を持っていた……『彼女』ですがね。私とも少し縁がありまして。と言いますか、彼女はちょっとした知り合いなんですよ。そんな訳で、リチウム。貴方にお尋ねしたいのですが。リタルさんはいつから魔眼これを持っていたのでしょうか。彼女の外見から察するに、どうもここ最近ではないように思えるのですが。彼女を引き取った貴方なら当然、理解して……」

「リタルに返せ!!」

 遮るように、リチウムが吼えた。

「――それは……ソイツのだ」

 銀髪の男は全身に怒りを纏っている。硬く握り締めた拳は微かに震え、射るような視線がファーレンを貫いていた。目が合った瞬間、誰もが等しく自分の最期を覚える、そんな肉食獣染みた光を携えて。

 男の絶大な怒りの様を満足げに眺める金の瞳。たっぷりと間を開けると、薄笑みを浮かべたまま軽く頭を振ってみせた。

「それはできません」

「……ンだと」

「こちらにも都合と言うものがありましてね。大変申し訳ないのですがこれをリタルさんに――貴方方にお返しする訳にはいかないんですよ」

「都合だ?」

「さすがの私も驚かされました。まさか未だに我々の邪魔をしていたとは。想像だにしませんでした。彼女に関しては、既に一年前に手を打っておいたはずでしたから。いやはや。この私とした事が、完全にしてやられました。これもダヴィ様の策略でしょうか……」

「~何を訳のわかんねぇ事をごちゃごちゃと…………!」

 リチウムが吼えるのと、ファーレンに飛び掛かるのとは、ほぼ同時だった。

「言ってやがンだてめぇ!!」

 握り締めていた拳が、ファーレンの左頬目掛けて飛ぶ――

 寸前。

「…………!!」

「リチウムさん!」

 弾丸のようなリチウムの動きが、止まる。

 身体が硬直して、言う事をきかない。まるで、自分のものでないように。

 体内に在る死球の魔力でさえも、同様だった。集中――せずとも、異質な魔力が蛇のように全身を這いずり廻っているのを感知できる。

 ――これが、ファーレンの魔力か。

「……くそ……っ」

 それでもリチウムは、目の前の相手を殴り倒すべく拳に全意識を集中し続けた。

 ブルブルと激しく揺れる左腕。

「無理ですよ。貴方は、決して私には勝てません」

 目前に震える拳を突きつけられた状態で、しかし、ゆったりと笑みを浮かべたままファーレンは言い放つ。

「『死球』を操る貴方は、如何なる存在に対してもほぼ無敵でしょう。本来ならこの力ですら消されてしまうかもしれません。しかし貴方では、この私にだけは勝利する事は不可能なんです。何故ならば」

 眼前の厳しい青に、不思議な金の色が侵食してゆく――

「『貴方』はそういう風に出来ているのですから」

「…………てめ……っ」

 悔しげな眼差しを、その全身を。金の瞳が完全に捉える。間も無くリチウムの拳が完全に静止した。

 ファーレンはそこでようやく違和感を覚える。

「……ほぅ」

 いつからだろう。

 リチウムの背後に立っていたグレープが、彼女にしてみれば厳しい目つきでファーレンを見据えていた。

 その細身を仄かな青光が包み込んでいる。

 柔らかく靡く蒼髪。キュっと結ばれた唇。胸の前で両手を組んだ少女が僅かに、異質の魔力を放っていた。

「『増幅』の力ですか……。残念ながら、それは無駄ですよ。グレープさん」

「…………え?」

「この方がたは既に私の支配下にあります。故に今の貴女のか弱い光は彼らには届かない。私の魔力が絡め取り、総てを吸い尽くしてしまうでしょう」

「…………!」

 果たしてそれは真実であった。

 グレープが幾ら祈ろうと彼らの身体が動くことは無い。

 彼らの上には、邪悪な笑みを浮かべる天使が君臨していた。

「……お願いしますっ リタルさんとリチウムさんを放してくださいっ」

 それでも力を送り続けながら、懸命な鈴声が響く。

「リタルさんに……その石を返してください……っ その石は……」

 必死に訴えながら、グレープは思い出していた。

 三週間前の早朝。自分に『魔眼』を見せた時の少女は、とても穏やかで、優しい表情かおをしていた。

「その石は……きっとリタルさんにとって、とても大事なものなんです。……どんなものよりも」

 一目見ただけで、少女がいかに『魔眼』という石を大切にしているのかが判る程に。

 宝物を扱うような仕種で、彼女は『魔眼』を抱いていた。朝日に照らされたその光景はなんだか……グレープには、とても尊いものに感じたのだ。

「返して、ください」

 徐々に増してゆく青の光に浮かぶ、強い赤の輝き。

 しかし、悠然と佇んでいる天使の表情に危機感はまるでない。彼の言うとおり、この声と共に発する力では、彼の意思まりょくを止める事は出来ないのだろう。

 それでもグレープは決して諦めようとはしなかった。

 毅然とした態度で、ファーレンと対峙する。

「返せない、……と言ったら、どうしますか?」

 ファーレンの言葉に、一呼吸置いて、グレープは静かに告げる。

「あなたを、許しません」

 強まる眼光。さらに、少女の華奢な身体が発光する。

 崇高な光。が、それはどこか、晴れた日の穏やかな空を思わせる優しげな波動を含んでいる。

 健気な姿を愛しげに眺めながら、金髪の天使は弱々しく呟いた。

「それは……少し、困りますね」

 グレープを見て、少しだけ苦笑する。

 一瞬見せたその瞳は、グレープが今まで見てきた金の髪の天使のソレと少しも違わぬ物だった。

 グレープは、少しだけ表情を緩める。

「……何故?」

「…………」

「……どうして、こんなことを」

 その言葉に、ファーレンは、

「……『何故?』、ですか……」

 眼鏡をくいっと上げた。

 青の光を反射したレンズが、彼の瞳を隠してしまう。

「私にはある願いがあります。しかし、それに手を伸ばそうとすれば毎回、邪魔をする輩が現れましてね。どれほど願い、どれほど行動し、あちこちを駆け回ろうとも、それを手にする事はこれまで、叶いませんでした」

「…………願い?」

「…………な、に……言って、やがんだ……っ」

 グレープの『増幅』が届いたのか。リチウムが微かな声を振り絞る。

「リチウムさん!」

 しかしグレープの声にリチウムは振り返らなかった。その身は未だ固まったままだったのだ。

 関せず、ファーレンは話を続けた。

「ですが。つい三週間前のことです。ようやく、現状を解決する手立てが見つかったのです。それが……」

 ファーレンは、再びリチウム達の目の前に黄緑色の魔石を掲げて見せた。

「この魔石だったというわけです」

「……魔眼がどうしたってんだこら!」

 唐突に金の視線が、目前の青に移る。

「解りませんか、リチウム。人界のストーンハンターだけではない。上級天使われわれだってこれまで『人界の巨石』を探し続けていたのですよ」

「…………!」

「『巨石』と言えば莫大なる魔力を秘めた石。しかし数年前から――人界時間で言うと大体十七年前からでしょうか。その魔力は愚か、波動ですらまともに感知されなくなってしまった。人界は愚か、天界でも魔界でも、です。十七年前に何らかの事態が起こり、『人界の巨石』が失われてしまったというのならまだ理解できます。しかし人界はこの通り、未だ存続している。貴方になら解るでしょう。この不自然さを」

「人界の……巨石……?」

「聞くなグレープ!」

「無駄ですよリチウム」

 冷たい笑みを浮かべ、言い放つファーレン。

 二人の男の言葉に困惑した表情を浮かべるグレープの元へ。

 ファーレンはゆっくりと歩を進めた。

「逃げろグレープ!」

 一際険しい声に、グレープがビクッと身を震わせる。

 が、即座に首をぷるぷると振ると、向かってくるファーレンをキッと睨んだ。

「彼の言う通りです。私から逃げてみてはいかかですか? 逃げ惑う可憐で儚げな少女を追い詰める。そんな狩りを楽しむのも、また酔狂な……」

「逃げません」

「…………」

 恐怖心を打ち払い、しっかり地を踏みしめ。迫る脅威に立ち向かう少女。

「わたしは、もう逃げません。リチウムさんとリタルさんを離して下さい。……返して、ください。ファーレンさん」

 強く響く鈴声に、金髪の天使は極上の笑みを返した。

「……幾ら貴女の願いでも、それは聞けません」

 やがてグレープの目前まで来ると、天使は柔らかな金の瞳で、グレープの顔を覗き込んだ。

 怯えたように見開かれた瞳。

 白くなだらかな頬を、骨張った手が愛しげに撫でる。

 瞬間。少女の身体は天使に抱かれた。

「…………っ」

 グレープが身を震わせる。

「ファーレン! てめぇ!!」

「精々、非力な己を呪ってくださいね。リチウム」

 金の瞳は、己の腕に抱いたグレープを真っ直ぐに捉えている。

 白く長い指がグレープの輪郭をなぞった。ゆっくりと最下まで到達すると、その形の良い顎をクイっと上げる。

 完全に捕らえた淡く染まる唇が微かに言葉を紡いだ。

「……ファーレン、さん。どうして……」

「総ては貴女を守るためなのです」

 顔を近づけ、天使は囁くように少女に告げた。

「……何を言っているのか、わかりません」

 負けまいと、必死に見上げるルビーの光――その僅かな抵抗に、ファーレンは小さく笑む。

「理解出来なくても、よいのですよ。もし、この意味を知り、それでも貴女が拒否しようと、私は……」

 言ってファーレンが背後を振り返ると、

 拳を構えたままのリチウムの前――共有廊下に立ち尽くしていたリタルが、

「…………」

 ゆっくりと。両手で銀の銃を構えた。

 銃口は正面――やや上を向いている。

 濁った暗い双眼が見上げる先で、静かに、バリトンは呟いた。

「……リタル」

 リタル愛用の小型銃。その弾丸には魔石を使用しており、着弾後魔力を放つという強力な改造銃である。

 声に気づいたグレープがそちらを見遣った。

「リタルさん!?」

「…………」

 激しく震える銃口、その細腕は、抵抗の証か。

 しかし、それでも顔色一つ変えぬ少女は、正面のリチウム目掛けて――引き金を引いた。

「…………っ」

「リチウムさん!!」

 乾いた銃声とグレープの絶叫。

 が、しかし。

 パキ……ン

 破壊されたのは、リチウムの頭部を越えたさらに奥――ファーレンが掲げていた『魔眼』であった。

「……な……っ」

「…………」

 背後でガラスが割れるような音を聞いたリチウムが、頭上を見上げたグレープが、表情を変えぬリタルが。

 その場に居た全員が息を呑む。

 粉々に砕けた黄緑の魔力の結晶――欠片達が、キラキラと廊下の明かりを反射しつつ宙を舞った。

 鮮やかな煌きは、降り注ぐ雨のように天使の足元に至る。軽く綺麗な音を奏でて辺りに散った。

 ――瞬間。カケラだったものが音も無く塵と化す。

 魔石だったもの――『彼女』は、今。完全にこの世から消失した。

「……力ずくでも、実行に移しますから」

 ファーレンの冷淡な呟きと共に呪縛から解放されたリチウムとリタル。

「ファーレンてめぇ!!」

 バタンと、何かが落ちたような音。

 リタルは銃を握り締めたまま、呆然と冷たい廊下に座りこんでしまい。

 リチウムは即座に発動させた死球を纏った拳で、グレープの細背を抱くファーレンに殴りかかった。

 刹那。


 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……


 青白い光の渦。

 突如部屋の中に、グレープを中心として莫大な風が巻き起こる。

 あまりの衝撃に廊下の明かりが、室内のすべての物が、リビングの窓が、玄関のドアが。ありとあらゆるものが一瞬の内に激しい音をたてて破壊される。

「…………っ」

 膨大な魔力の前に死球は掻き消され、リチウムの身体も例外なく襲い狂う衝撃に跳ね飛ばされた。

 リタルの小さな身体も廊下の壁に叩き付けられる。

「…………なんだ…っ!?」

 辛うじて玄関の端を片手で掴むと顔面を反対の腕で防御し、その場で耐えるリチウム。それでも身体は徐々に後退してゆき――

「…………っ」

 ――それだけだった。

 風はその一瞬で治まり、真っ暗な室内に再び静けさが降りる。

 ――しかし。

 依然、猛烈な違和感は消えない。

「……これは……!」

「わかりますかリチウム。これが、以前まで人界に満ちていた『人界の巨石』の魔力。彼女本来の力です。……いや、元々満ちていた魔力が『魔眼』の魔力の消失により姿を現したというべきか」

 リチウムが再び目を開けた時。

 意識を失い崩れたグレープの身体を抱きかかえたファーレンがそこに立っていた。

「……てめぇ……っ!!」

「自身の無力を嘆き、呪いなさい。リチウム・フォルツェンド。我が目の前から――世界から、彼女ひかりを奪ったおまえの罪は重い」

 歪んだ金の瞳はあからさまな殺気を含んでいた。

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