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 電話が鳴り響いていた。

 洗い物をしていたグレープが水を止めると、いそいそと廊下の受話器を取る。

 その後は予想外に談笑が続いた。テレビを眺めていたリチウムはなんとなく気になって、その場で密かに聞き耳を立てる。

 最初は帰りを知らせるリタルか、WSPからマメに近況を知らせるトランかと思った。

 だが、グレープの話し振りからして、どうもそうではないらしい。

 コロコロと鳴る楽しげな鈴の音から、どうやら知り合いらしい事は把握できた。

「…………」

 嫌な予感がして、リチウムは重い腰を上げた。

「グレープ」

 名を呼べば、無邪気な笑顔で振り返る蒼い髪の少女。

 廊下をそちらへ歩きながらリチウムは眉を潜めて言う。

「リチウムさ……」

「変われ」

 唐突に告げられ……その不穏な空気に、困惑の色を滲ませるルビーの双眼。躊躇したような仕種の後、グレープは素直にリチウムに受話器を渡す。

「何か用か」

『おや。これはこれは。リチウムではないですか』

 電話の主は果たして、予想通りの男だった。

 よく通る透明感のある音が受話器から漏れる。

「…………んだよ、ンな夜中にかけてきやがって。迷惑なんだよ」

『お二人だけの愉しい時間のお邪魔をしてしまったのでしたら謝りますよ』

 普段から人をおちょくるような物言いをするファーレンは今夜、一段と声を弾ませていた。どうやら彼はご機嫌らしい。

「なんだ。なんかあったのか? どうせまた新発売の洗剤でも試して――」

 面倒だと言わんばかりに顔を歪ませそこまで言いかけてから、リチウムは背後に忍び寄ってきた黒い違和感に口を閉ざす。

 何かが、妙だった。

 どうして、奴は。

 自分達がこの家に今二人きりだと言う事を知っているのだろうか。

「…………リタルをどうした」

 受話器を持ち直し、怒りを抑えつつ声を上げれば、

『……相変わらず、呑みこみが早いことです』

 一拍置いて、溜息交じりの返答がきた。

 背後で硬直するグレープの気配を気に留めながら、

『彼女が夜道を一人で歩いていたので声をかけたのですよ。最近は物騒ですからね。特にかわいらしい容姿の女の子は危険でしょう? そこで私が丁寧にホームまで送って差し上げようと申し出た訳です。……別に。貴方の大切な「預かり物」に手を出す気は朦朧ないですよ』

 神経を逆撫でるような……どこかねっとりとした音に対し、理性を失わないよう全力で努める。声を荒げようと相手にはなんの効果も無い――むしろ喜ばせる一因になってしまう事を解っていたからだ。

「嘘八百並べやがって……」

『おや。これも見抜かれてしまいましたか』

 楽しげな口ぶり。意図せず、右の拳が震える。

「リタルを出せ」

『ああ。そうしてあげたいのはヤマヤマなんですがね。彼女、先程から一言も言葉を発しないんですよ』

「…………」

『あのおしゃべりな彼女が、です。珍しいでしょう? 私も心配しているのですが……』

「なにやった」

『…………』

「おまえ。リタルになにをした」

『…………ふ』

 受話器の向こうで、唐突にファーレンが声を上げて笑った。それはリチウムが未だかつて耳にしたこともない類の、愉悦に満ちた笑い声だった。

『さぁ何をしたんでしょうね。泣き叫んで慈悲を乞う彼女を惨たらしい地獄へ突き落としたのかもしれません。愛らしい肢体を散々弄った後で首と手足をもいだのかもしれません。ひょっとしたら、彼女の断末魔をBGMにエメラルドに輝く綺麗な瞳を刳り貫いて私室に飾っているのかもしれませんよ』

 早口で一気に捲くし立てる。この状況が滑稽で堪らない。可笑しくて死にそうだ――そんな、あまりにも狂気じみた笑い声が延々と続く。突然の相手の豹変ぶりに驚いたリチウムは瞳を見開いたまま立ち尽くしていた。滾々と湧き上がる様々な感情を差し置いて、脳裏に一際色濃く君臨する単語。それは、

 ――狂気。

 と、背後から右の拳に触れられて、我に返る。

 振り返ると、不安げに眉根を寄せた細面がそこにあった。大きな目が心配そうに自分を見上げている。

 「大丈夫だ」と頷いてみせるとグレープは少しだけ表情を緩めた。

「……真面目に答えろ。リタルに何をした」

 奇怪な声(あいて)に向き直り、努めて静かに声を吐くと。

『――おや。意外ですね。てっきり発狂するかと思いましたが。まだ冷静でいられますか……』

 ようやく奇矯な音を止めたファーレンは、至極つまらなさそうな声を上げる。

『……手元に"彼女"がいるから、ですか?』

「…………は?」

 不愉快な色を滲ませた物言いに、困惑の表情を浮かべるリチウム。

 ファーレンはそれには答えず、さらに暗い声を上げた。

『いい加減、返してもらいますよ。元々、ソレは私のモノなのですから』

「何を訳のわかんねぇ事を言って……っ」

 リチウムが声を荒らげ――かけた時だった。

 遮るように、インターホンの軽快な音が廊下に鳴り響いた。

「……! きっとリタルさんです……っ」

 背後に居たグレープが弾かれるように玄関へと駆け出した。

 きっと、不安で居ても立ってもいられなかったのだろう。

「……って、おい……っ」

 慌てたリチウムが制止の声を上げるが、伸ばした手は一歩届かなかった。

 細い腕がノブへと伸び、勢いよくドアを開けて――グレープは、正面に立っていた人物の瞳を直視する。

「こんばんは。グレープさん」

 そこには背の高い金髪の天使が、神々しい微笑を携えて立っていた。

「……ファーレン、さん」

「てめぇ……!」

 呆然と、その名を呟くグレープ。

 奥で吼えるリチウムをあざ笑うかのような笑みで一見したファーレンは、手にしていた携帯電話を切った後すぐ側にあるグレープの戸惑いに満ちた顔を見つめる。

「申し訳ありません。邪魔者のおかげで随分と遅くなってしまいました」

 それは、見た事の無い程柔らかな――優しく緩んだ金の光だった。

「グレープさん。……貴女を、お迎えに上がりました」

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