セイケンのてんし
目が覚めるとオレは知らない部屋のベッドで寝ていた。
「う、んん?」
窓から光が差し込み、鳥の鳴き声が聞こえる……時間的にはたぶん、6時前後ってところだと思う。
「ここは……どこだ?」
とりあえず体を起こして周りを確認してみる。部屋の雰囲気から察するに若い、というかたぶん、高校生くらいの女の子部屋なんじゃないかと思う。うちの学校のセーラー服が壁にかけられているからだ。それにしてもこの部屋、なんだか覚えがある……えっと、誰だっけ。
「おはよー、ゆうちゃん」
「は? え、真子!? どうしてここに? 何で一緒に寝てるんだよ!」
声をかけられ、初めて隣で寝ていた真子を発見する。何故か頬は上気していて、とろけそうな瞳でオレを見ていた。
「昨日は激しかったよ、ゆうちゃん。ほんと、激しすぎて血が止まらなかったもの。初めてだったものね」
「は、はああああああああああああ!?」
「責任、とってよね」
「ハジメテ? セキニン?」
真子は顔を真っ赤にしてうつむくと、オレに背中を見せて横になる。その背中というのも、思わず吸い付きたくなるようなみずみずしい白い素肌で……というか、上は何も着てないみたいだった。
「ちょ、何でお前服着てないんだよ!」
と、横を向いた真子の体をさすろうとして、オレもまた服を着ていないことに気付く。いや、服どころか下着も付けてない。
――上も下も、だ。
『昨日は激しかったよ』っていうさっきの真子のセリフを思い出し、オレはしばし硬直した。血が出たって? 初めてって?
「真子……オレ……お前と……ここで……寝たの、か?」
「うん」
即答だった。
「まだ、痛いよ……これってきっと2、3日は痛いままなんだろうね」
血の気が引いていくのが自分でも解る。
「え、えっと……なんていったらいいのか……その、ごめん?」
「ぷ! くくくくく!!」
急に真子は笑い出して、オレのほうに顔を向けた。小悪魔のように可愛い真子が無邪気に笑っている。
「な、何だよ? 笑うとこじゃないだろ、ここ」
「ごめんごめん。ちょっと冗談が過ぎたね。ゆうちゃんは昨日、スーパー銭湯で鼻血出しすぎて気絶しちゃったんだよ。初めての女湯に興奮して、激しく鼻血ブーだったわけなのです。覚えてる?」
「え、あ。そういえば、そうだっけ……」
「気絶したゆうちゃんをここまで運んで、介抱してたら私も眠くなっちゃって。でね。ゆうちゃんの寝顔可愛いから、一緒に寝ちゃえー! っていう結論に至ったわけなのですよこれが」
「そ、そうか……迷惑かけたな」
血が止まらなかったってのは、鼻血のことかよ。初めてって、女湯のことかよ。つーか、鼻血で気絶ってかっこ悪すぎるだろ、オレ。
「ていうかお前。何でオレ、全裸なんだよ! 脱がす必要、あったのか?」
「あー、脱がしたかったからってのもあったけど、服が鼻血まみれだったからね。正直、パジャマか何か着せてあげたかったんだけど、全身筋肉痛でね。私も帰りついたときには疲労困憊でそのままベッドインしちゃって。いたた……あ、さっきの痛いっていうのは、筋肉痛のことだからね。またエロいこと考えてたんじゃないの、ゆうちゃん?」
「そうですね。そうでしょうね……」
真子によるとオレはスーパー銭湯で気を失って、ここに連れ込まれたらしい。さらに、親父たちがオレと添い寝しようとするのを阻止するために、真子が自分の部屋に連れてきてくれたとのことだった。
「だいたいゆうちゃんさ。私たち、女の子同士だよ? そういうことは物理的にできないでしょ?」
「う。確かにそうだな……」
真子はベッドから抜け出すと大きな伸びをした。窓から差し込む光が逆行になってよくは見えなかったが、残念なことにちゃんとパンツをはいていた。
「さて、と。お着替えお着替え。ゆうちゃん、お風呂沸かしてあるから、入ってきなよ」
「ん、ああ……」
「おりゃ!」
「むお!?」
真子はあっという間に制服に着替えると、オレに何か放り投げてくる。顔面にクリティカルヒットしたそれを顔からはがすと、薄青い花模様のシルク生地だった。
「こ、これって、まさか!」
「うん、私のパンツだよ」
視界が歪んだような気がする。あ、やば。また鼻血出そう……。
「着替え用の下着、持ってきてないでしょ? だから私のあげる。胸のサイズも同じだったし。ゆうちゃんのパンツ、鼻血でグロいことになってるからね」
「あ、ああ」
真子のパンツ……。確かに昨日一昨日と、女物のパンツをはいてはいたけど、あれはあくまで女のオレの持ち物だったわけで、特に何も感じなかった。けど、なあ。
「まあぶっちゃけ、ゆうちゃんの家隣だから、私がゆうちゃんの下着取りに行ってもいいんだけどね。でも昨日の夜、お兄さんがくまさんパンツ持って玄関でハアハア言ってたから、近寄りたくないんだ」
「ああ、それは激しく同意する。むしろ、息の根止めてやってくれ。よければ手を貸すぞ」
キモすぎるぞ、兄貴。近隣住民に通報とかされてないだろうな?
「まあ、そういうわけなんで。あ、これブラね。付け方はもうちゃんと覚えてるよね?」
「うん。なんとかな。じゃ、行ってくるよ」
「いってらー」
真子からブラを受け取り、部屋を出る。
「真子の家、久しぶりだな……」
二階にある真子の部屋から階段を下り、風呂場に向かう。途中、廊下で誰かに出会うことはなかった。それもそう、この家に住んでいるのは真子1人なのだから。
「ふー。生き返るぜ」
湯船につかりながら、自分の体を見る。当然ながらそこにあるのは、少女の体。
すべすべの白い素肌にシルクのような黒髪は、雑に扱うと簡単で痛んでしまいそうだ。ムダ毛もちゃんと処理されていて、日々手入れをしていたんだろうなと思う。
肌と髪の手入れにかかる時間を考えると、美少女も楽ではない。着ていく服や髪型を考えるのは楽しいかもしれないけど。
「何でこうなったんだろうな……」
女になって三日目の朝。まだぜんぜんこの体に慣れていない。最初こそ違和感だらけだったけど、少しはその違和感も薄らいできているが……。
今までなかった物があるし、今まであった物がないのだから、当然といえば当然だ。木野もきっとオレと同じ感想だろうな。
「オレも、少しはこの体で楽しんでみるか……」
くよくよしていてもしようがない。木野を見習って、女にしかできないことをやってみるのもいいかもしれない。でも、女にしかできないことっていうと、何だろう?
恋愛、とか? いや、ないな。男と恋愛とかありえねー。じゃあ、オシャレとか? めんどくさそうだ。あるいは……そうだ! カラオケだ。この声ならアイドルの歌とか似合いそう。女性声優の歌うアニメの主題歌とか!
「ま、いいか。とにかく今日も学校なんだ。一日無事に終わることを祈ろう」
湯船から出て、髪を洗い体の汚れを落とすともう一度湯船につかり、風呂を出た。
「……ちょっと抵抗、あるな」
真子の下着を目の前に少し逡巡する。ていうか、女同士で下着の貸し借りとか普通するもんなのだろうか。
「真子のパンツをオレがはく……」
ちゃんと洗濯されているとはいえ……むむ。妙に意識してしまう。
とはいえ、今選択肢はこれしかないわけだ。女性用下着が嫌だといっても、トランクスはくわけにはいかんしな。女の子のスカートの下がトランクスとか、世間が許してもオレが許さない。
「ゆうちゃん。時間ないから早く着替えちゃって。制服は私のスペア貸してあげるから!」
「あ、ああ」
考えている間もなく真子にせかされ、上下の下着を身に付けるオレ。
「髪、私がやってあげるね。そこ座って」
脱衣所でイスに座らされ、真子に髪を整えてもらう。
鏡に写る真子の顔は、どこか楽しそうで嬉しそうだった。
「私ね、妹がいたらこんな風に髪いじってみたかったんだ」
手際よくドライヤーを動かし、長い髪にブラシを丁寧にかけてくれる。
「知ってる? 私のお母さんも、ゆうちゃんのお母さんの髪、こんな風にいじってたんだって」
「そっか」
「私たちのお母さん。姉と妹みたいな関係だったんだよ。すっごく仲がよくて……私、お母さん達がうらやましかったんだ。けど、ゆうちゃんとこはみんな男の子だから。でも、ようやく夢がかなった感じ」
「それはけっこうなことで」
鼻歌まじりにオレの髪にブラシをかける真子は、確かに優しいお姉さんという感じで、鏡に映るオレは姉に髪を整えてもらう妹のようだった。
この光景だけ切り取って知らない人が見れば、オレ達は姉妹に見えるかもしれない。
「そうだなあ。キレイな黒髪だから、このままロングでもいいけど……編みこんでみる? リボンとかアクセサリーも付けてみようよ? ゆうちゃん、もっとかわいくなると思うよ?」
「いいよ。めんどくさい」
「ええー、やろうよー! 絶対かわいいって!」
真子は不服そうな顔をしているが、時間が押している。男なら最悪ドライヤーなんか使わずに生乾きのままで放置でオーケーだったが、この長い髪は手入れに時間がかかる。
「そのうちな。それより、急ぐんだろ?」
「おっと、そうだったね! 木野さんのことも気になるし、少し早めに学校行こう」
もろもろの支度をすませると、オレと真子は学校へ向かった。朝飯は途中のコンビニで調達し、第二図書室で食べるつもりだ。
「どれにすっかな……」
コンビニの棚に並ぶ菓子パンとにらめっこするオレ。
いつもならがっつり系の、ウインナーの挟んであるやつとか、カツサンドにするところなのだが、どうにも食指が動かない。
「これにするか」
結局オレが手にしたのは、ホイップクリームパンと豆乳だけだった。
食べる量自体が減っているのは自覚していたが、食べたい物も変化している。嗜好が体の影響を受けているのかもしれない。
そう、変化している。オレは少しずつ変わっている。それが少し怖い気がした。
小さな変化ではあるけれど、このままいくとオレはオレでなくなってしまい……いつか、完全にこの世界のオレ。すなわち、女のオレそのものになってしまうのではないか。
もしかしたらそれは当然であり、必然なのかもしれない。女の体に男のオレの意識が入っていること自体、イレギュラーなのだから。つじつま合わせのために、世界がバランスを取ろうとしてる気がするんだ。
「って、考えすぎだろオレ」
レジを通して外に出ると、深く息を吸い込む。
「たかがクリームパンを選んだだけで、何でそこまで不安になるんだよ」
考えるのはよそう。オレは変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。そもそも、変わる前に男の体に戻るかもしれない。
そうだ。元に戻ればこんな不安も一気に消える。
「ゆうちゃん。どうしたの?」
コンビニの駐車場でペットボトルに口をつけていた真子がとてとてとやってきて、オレに抱きついてくる。
「どこか痛いの? あ、もしかして……」
「いや、大丈夫。ちょっと考え事してただけだから」
「そっか。ならいいんだけど。あ、木野さんだ!」
真子の視線の先に、おどおどした様子のワイルドなイケメンがいた。木野闘士である。
木野はオレ達を見つけると、両手を振りながら歩いてくる。あれはかわいい女の子がやれば絵になるが、むっさい男がやると精神的なダメージがある。つまるところ、朝一で嫌なもん見ちまったって感じだ。
「よう、調子はどうだ?」
「参ったわ……男の子の体ってどうしてこう……すぐにムラムラするのかしら」
「は?」
木野はなにやら前かがみになって、恥ずかしそうに体をくねらせた。
「朝起きたら……その。アームストロング砲が……オメガブラスターになっていたの」
「ああ、朝だからな」
つーか、かっこいいなオメガブラスター。木野のアレはある意味最終兵器な感じがする。
「そ、それで。本棚にあったエッチな本を見ると、自分を止められなくて……あたし、最低だわ」
そういや男の時だと毎日エロいこと考えてたな、オレ。女になった今もそうだけど。
「いやいや、気にするな。男なら当然だ。朝起きたらたいていみんなヤルぞ」
「そ、そうなの? 春賀さんも?」
「ああ、エロ本片手にこう……」
「ちょっと、ゆうちゃん!」
真子が恥ずかしそうにオレの袖を引っ張ってきた。
よくよく周を見ると、通勤途中のリーマンがニヤニヤした顔でオレを見ている。
「ってお前。こんな道の真ん中でナニ言わせるんだよ。とにかく、こっち来い!」
「ちょっと、あたしをどこへ連れ込む気!? へんなことしないでよ!」
「しねーよ! お前がしそうで怖いわ!」
木野の腕を引っ張り、第二図書室へ連行する。
「ほんとさー。男の子のあたしって、信じられないくらい部屋が汚いのよ!」
開口一番、木野は昨日自分に起こったことを聞いてもいないのにしゃべり始めた。
「ふーん。そうなんだ。それで?」
オレと真子は朝食を口にしながらそれを適当に聞き流す。
「床が見えないくらい物が散乱してるし、ほこりだらけだし、エッチな本もDVDもいっぱい出てくるし……フィギュアとか漫画とか、あたしが興味ない物ばっかりそろえてるし、お金の無駄遣いよ!」
「まあ、男はそんなもんだって」
「でも、昨日読んだ……ラノベ? だっけ。とある魔術のインテックスとか、ストライキブラッドとか、ソードアーツオンラインとか、面白かったけど……」
そう言った木野の顔はどことなく、寝不足気味のように見えた。
「結局、徹夜しちゃったわよ。何なのよもう! 面白すぎるわ、ラノベって。どうして今まで読まなかったのかしら、あたしのバカバカ!」
木野は自分の頭をぽかぽか殴った。言わずもがな、きもい。
「ああ、男はたいてい中二異能バトルとか大好きだからな。オレもその3冊持ってたぞ。同じレーベルで、ボッケーノとかもおススメだ。あとは、普通科高校の劣等生とか」
「それならさっき電車の中で全巻読んだわ。あたし的にはアニメの声優がイメージと違うから、コレジャナイ感がすごいのよね」
「ごめん。私、その話題についていけない……」
お前、絶対昨日寝てないだろ。ていうか、ビッチ→オタクって一日ですごい変化だな。
「いろいろショックなこともあったけど……でも。やっぱりいいわ、男の子って。そっちはどうなの?」
「いや、どうかな……オレは女になりたくてなったわけじゃないし。今のところ、不便しか感じないよ。まあ、ファッションとか女のほうが選択肢多そうだけど。男じゃスカートはけないもんな」
「そうよねー。男は逆にファッションにそこまでお金かけなくてもいいし、少しくらい不潔にしてても文句言われないもんねえ」
まあ、オレもそこまでファッションにこだわるほうじゃなかったから、服とかよくわからん。
木野はその後、初めてやったエロゲーの感想とか、少年漫画の素晴らしさを語り始めたので、うざくなったオレは先に教室へ向かうことにした。
「げ、あいつは……」
二年生の教室がある廊下を少し歩いていると見知った顔を見つけ、立ち止まる。
廊下にたたずむその姿は絵になることは間違いない。フランス人の父と日本人の母をもつ、ハーフの美少年だ。
「天理……春」
流れるような金髪と、ブルーの瞳。白い肌に高身長と整った顔立ち……。天使のような彼は、異質な存在感を放っていた。
真子がマケンのあくまならば、天理はさながらセイケンのてんし。
天理は生物研究会……通称、セイケンに所属しているので、苗字と名前をとってセイケンのてんし。
光属性で回復魔法が得意そうなイメージだが、それは違う。こいつは……紳士なのだ。
「おはようございます、姫」
「お、おう。おはよう……天理、くん」
天理は爽やかな笑みを浮かべると、貴族みたいにうやうやしくお辞儀した。いや実際、こいつはフランス貴族の末裔かなんかで、由緒正しい血筋のお坊ちゃまなのだが。
「ご機嫌麗しゅう」
オレはこいつが大の苦手だった。女子相手には(たとえ学食のおばちゃん相手でも)決まって『姫』と呼ぶ。男相手でも『あなた』。
「あの、さっきから気になってるんだけど……」
「何でしょう、姫? うららかなこの朝に、あなたの声はまるで小鳥のさえずりのようだ」
「いや、そんなくさいセリフいう前にさ。ズボンのチャック……もろ全開なんだけど?」
キザったらしいセリフを仰々しいポーズで述べる天理。だが、彼の股間はエレガントに露出していた。そこがオレの苦手とするところであるのだが。
「やだなあ。これはファッションですよ。変態紳士のたしなみというやつです、HAHAHA」
HAHAHA。と、欧米人のように笑う彼は、チャック全開で華麗なポーズを取る。
「本当は衣服など、邪魔でしようがないのですが……法律に違反するような行動は変態紳士にあるまじき行為なので、いたしかたなく衣服を着用している次第なのです、姫」
「ああそうですか」
「しかし、僕にも変態紳士としてのプライドがありマス!」
「なくていいよそんなの」
「このチャックは! オトナの世界に対する僕のささやかなる抵抗なのデス!」
「うんそう。それはよかったね。で、いつになったら目の前から消えるの?」
「おっと、これは失礼。ではまた後ほど」
天理は背中を見せると去っていった。
……魔法であいつを真人間にしてやろうかな。割とマジで。