オレが私である理由
「なーんか、ムスコがないのって不安になるわねえ。無性にブラブラさせたい感じ? 立つものがないっていうかさあ」
「女の口でムスコとか言うなよな……ドン引きじゃねえか。いや、そりゃ女子同士で下ネタいうかもしんねーけど、昼のファミレスで出てくる単語じゃねーだろ」
木野は席に着くやいなや、ミニスカートの上……おそらく男の証があったでろう部分に手をやってそう言った。
「それに問題はこの脂肪の塊よ! 邪魔以外の何物でもないわ!」
「お前さっきまで、『正義と書いておっぱいと読むのが、正しい漢字知識よね』とか言ってたよな?」
木野はシャツの上から自分の胸をわしづかみにしてそう言った。木野宝石もそこそこ胸が大きい。けれど、木野は自分の胸を心底うっとおしそうにしていた。
「ねえ、春賀さん?」
「ん?」
「ちょっとパンツ見せてくれない?」
気付くと木野はテーブルの下に潜り込んでいて、オレを見上げながらそう言っていた。
「はあ!? ふざけんなよこの変態!」
オレはテーブルを抜け出すと、通路の端で反射的にワンピースの裾をきっちりと押さえていた。女子としての本能的な危険回避というか、パンツを見られまいとする自分の行為に少し驚く。一応、女子同士のはずなんだが。
「いや、春賀さんのパンツ見たらさ。ムスコが元気になるじゃん? にょきっとさ」
「だから! JKの口から公共の場でムスコを連発するんじゃねーよ!」
「話はここからよ! あたしがいつも男として興奮していたシチュエーションを再現できれば、ニョッキニョッキと生えてくるかもしれないじゃない! 雨後のタケノコみたいに!」
「雨後のタケノコみたいに生えたらキモイだろ。例えもなんか微妙に違うセレクトな気がするし!」
「ひどい!! このままあたしが女のままでいっていうの!?」
「うん、いいよ」
「へ」
木野はぽかんと口を開けたまま数秒固まった。
「だってお前、もともと女じゃん? 元の体に戻っただけだろ」
「それは、まあ。そうだけど……でも! あたし、こんなの嫌よ! お願い! あんたの力であたしをもう一度男にしてよ!」
「もう一度って、できるのかな。今ここに魔術書はないし」
それに……もしかすると。女のオレがさっきオレに元に戻るように接触してきた。なら、男の木野が何かを仕掛けたのかもしれない。
いや、男の木野もオレと同じなのかもしれないな。二日前、目の前にいる木野宝石と木野闘士の体はオレの魔術で入れ替わった。いきなり女の体……宝石になってしまった闘士は、元に戻りたかったのだろう。それがさっき、木野の何気ない一言でお互い自分の元の体に戻るという意志が一致した。その結果かもな、これは。だとしたら、もう一度魔術書を使って木野の体をすげ替えても……無理だろうな。闘士がそれを承諾しない。たぶん、闘士も女の体になってみたいという願望はあったけど、すぐに飽きてしまったのかも。
「聞いてくれ木野。この魔術ってさ。単に男の体を女の体にするっていう代物じゃないみたいなんだ」
「それってつまり、どういうことよ?」
「まだ推測の域を出ないけど……たぶん、お前が男として生まれていた可能性の世界の体と、お前が女として生まれていたこの世界の体を交換する物なんだと思う。そして、人間関係もそれに準じたものになる。だから、たぶん。キルトさんは帰ってこない」
「え、キルトさんが?」
「キルトさんと約束したのは男のお前、闘士だ。でも、この世界のお前は女の宝石。そもそもそういった約束事はなされていない。たぶん、キルトさんは大学か他の友達と遊んでいるのかもな」
いや、おそらくこの推測は確実だな。女のオレという存在は確かにいた。さっき女子トイレの鏡に映っていた。そして、女のオレは下級生含め周りの人間と良好な関係を築いていた。あの女の性格を考えると、表面的な物かもしれないが。
「そしてその交換には、おそらく当人同士の承諾が必要なんだ。オレがやったのは、その承諾をする場面の設置ってだけで、どっちか片方が願っただけじゃだめなんだ。さっきお前が少しでも女に戻ってもいいって思ったのがきっかけで、元に戻ったのかも」
「え……。まあ、確かに。少しは思ったけどさ。でも……」
「木野。お前が今まで16年間木野宝石として生きてきた歴史があるように、木野闘士は16年間生きてきたんだ。闘士に返してやれよ」
「それは……そうだけど」
「まあ、当人同士がそれでいいってんなら、別にいいとは思うけれど。同じ自分なんだし。でも、お互いの同意なしにそういうことをやるのはダメだろ?」
「う……うん」
木野は納得したのか、しょんぼりしながら元の席に座った。
「まあ、悪いのはオレなんだよな。オレがお前を闘士にしちゃったから、そんな気持ちになっちまったんだ。ごめんな、木野」
「春賀さんは悪くないわよ! だって、あなたのおかげで世界を見る目が少し変わったんだもの。すごく貴重な経験をさせてもらったって感じだし。むしろ……ありがとう」
木野は頭を下げると、照れくさそうに笑った。
「それにさ。正直、女の子に戻ってもいいと思ったのも事実なの」
「うん?」
「だってさ。春賀さんが男の子に戻ったら男同士になっちゃうじゃない? それじゃ春賀さんと愛し合えないもん」
「はい? アイスクリームがどうかしましたか?」
木野は顔を真っ赤にしてうつむくと、テーブルの一点を見つめてつぶやいた。
「あたしさ。周りがみんな男と付き合ってるから、遅れちゃいけない。仲間外れになるのは嫌だ。ただそれだけで彼氏作ったんだけど、別に好きだったわけじゃないし。それどころか、男の子相手に恋愛感情なんてもったことなかったんだ。だから、初めてなんだよ。初めて心の底からこの人と一緒にいたいって、思ったんだ。この人と家族になりたいって……抱きしめて欲しいって。誰かを本気で好きになれた」
「えーっと?」
「ねえ、春賀さん。あたし。自分を受け入れるよ。あたしは木野宝石。女の子なんだ。木野宝石として産まれて、木野宝石として生きて、木野宝石として死んでいく。それが当然のことなんだもんね。あたしは、それでいいんだ。ちゃんと自分を受け入れる。人は自分以外の誰にもなれない。自分は自分なんだってこと、知ることができた。あ! ほんとはもうちょっと男の体でやりたいことあったけどね! でも……もういいや」
木野はうつむいて顔を上げると、オレをじっと見つめてきた。
「春賀さん。あたし、ギャルやめる」
「あ、ああ。まあ、いんじゃね? お前、メイクなくても可愛い顔してるし」
「春賀さんはさ。どんな女の子がタイプ?」
「えっと、黒髪でツインテールで甘えてくる可愛い感じ? 妹みたいな」
「そうよね。妹って、萌えるものね、うんうん」
木野はそう言って席を立つと、領収書を持ってレジへ向かう。
「おい? どこ行くんだよ」
「美容室。髪を黒にするの」
「え?」
「あたし、春賀さんに可愛いって言ってもらいたいから。だから……じゃあね!」
「おい?!」
木野はオレの分の精算も済ませると、ファミレスを出て行った。
「なんだよ……それって、オレのこと本当に好きってことなのかよ。体の性別とか外見の良しあしじゃなくって……」
そんなん言ってくれたの、真子以外じゃお前が初めてじゃないか。でも、オレには真子が……待ってるんだ。
『へえ。あの木野闘士の同位体、木野宝石があんなに乙女とはねえ』
この声! まさか。
テーブルの上のコップに注がれた水。そこに反射して映るはずの自分はおらず、男の、本来のオレの顔が映っていた。
『おめでと。これでリア充ね、あんた』
「てめ! 今度こそ戻せよ!」
『まあまあ。ここじゃなんだし、話は家でしない? 私の部屋。姿見があるでしょう? 大丈夫、私は逃げないから』
「わかったよ。返してもらうぞ、オレの体」
『……それはわりとあんたの心がけ次第ってところね』
こいつ、本当はまだ元に戻る気がないのか? いや、とにかく今は家に戻ろう。木野の体が女に戻った今、キルトさんとここでオフ会するという約束事態がなかったことになっているんだ。長居する理由はない。
オレはファミレスを出ると、足早に自宅へ戻った。そして、自分の部屋に戻ると姿見を前にして深呼吸する。
「……出てこいよ、女のオレ」
『はいはーい。ああ、それにしても。怒ったあたしの顔ってのもさあ。可愛いわよねえ。自分の顔でごはん3杯はいける感じ?』
「アホなこと言ってねーで、さっさと始めろ!!」
『いやいや。実はそうとう前から元に戻りたいって、こっちも念じてるんだけどね?』
「は?」
鏡に映るオレは嫌味ったらしく笑うと、肩をすくめた。
『あんたが手にした魔術書ね。あれ、あたしがそっちの世界に送り込んだの。んで、あれをキーにして意志の力を具現化……事象制御を行うことができるのよ。とはいえ、無いものを有ることにするのは無理なのよね。そう、例えば男の体を女にしてしまうとか』
「並行世界間の同位体同士での肉体の置換。だろ、オレ達が経験した魔術の正体は」
『ご名答よ。そして、それにはお互いの同意が必要だった。あんたはあたしの思惑通り、女湯を覗きたいとか、合法的におっぱいを触りたいとかアホな欲望を満たすために女体化を口にした』
「ちょっと待て! もしオレがそれを言わなかったどうするんだ!」
『え? 男なんてみんなそんなもんでしょ?』
「いやまあ、そうだけど」
鏡の中のオレはしれっとそう答えると、何事もなかったように続きを口にした。いやまあ、オレだって世界平和とか願うよ? 貧困がなくなればいいと思うよ? だって、世界が平和にならないと安心して女湯のぞけないし。貧困がなくなれば健康的なおっぱいの子が増えるし……あれ?
『つまり。この肉体の入れ替わりはお互いの同意の上で成り立っているの。あたしは入れ替わった翌日、すぐに元に戻るように願ったわ。けど、あんたがあたしの可愛い体からいっこうに出ていく気配がないから現在に至る。というわけよ!!』
「は?」
『だから、早いとこ男に戻りたいって願いなさいよ!』
こいつ、何を言ってんだ。
「待てよ。じゃあお前は何か? オレが女のこの体を気に入ってしまってるから、お互いの体が元に戻らない。そういってんのか?」
『はあ? それ以外に何があるっての?』
「ふざけんなよ! こっちは心底迷惑してんだ! 女になっちまったせいで、真子とは同性になっちまって! オレと真子はお互い好き合っているのに! この体が元に戻ったら、オレ、真子と結婚するんだ!」
なんか死亡フラグっぽいセリフになってるけど、こいつのせいなのは間違いない。
『真子……そっか。あの子、そっちの世界じゃ無事なんだ……そっか、よかった』
「ん? 真子がどうかしたのか?」
鏡の中のオレは少し涙ぐんでいた。
『まあ。入れ替わるきっかけを作ったのは私だし、あんたには伝えておくわ。何故、パーフェクト美少女に生まれた私が男になりたかったのか』
「だから、パーフェクト美少女なのは認めるけど、自画自賛いい加減にしろ」
『あたしと真子は幼馴染で……って、これはたぶんどの並行世界でも似たような関係かな。とにかく、何をするにもいつも一緒で……真子はあたしにとって妹みたいなものだった。あたしたちの母さんのように』
「ああ」
『でも、小学校5年生になったある日。事件が起こったの』
「それは?」
鏡の中のオレは下を向いて暗い顔をしていた。
事件……もしかすると、真子は何かに巻き込まれたのか? 例えば、強盗とか? もしくは……考えたくはないが、殺人……。
『私のおっぱいが大きくなったの』
「は?」
鏡の中のオレは、大真面目にそう言い放った。
「それのどこが事件なんだよ!」
『最後まで聞いてもらえる? 小5になって、私の体は第二次性徴期が始まって、女らしく、より美しくなっていった。男子が私を見る目はどんどん変わっていったわ』
そういや、小学校のアルバムの写真。自分でいうのもアレだけど、女のオレは超絶美少女だった。木野も完全にOUTな発言してたっけ。
『男子だけじゃない。女子も私に対する敵意を隠さなくなった。女子のは、私の美しさに対する嫉妬ね、完全に。ほどなくして、男子に告白される日々が続いたわ。もちろん、全部お断りだけど。この春賀祐希に釣り合う男なんてそうそういないんだから』
「あ、ああ。そうですか」
たぶんこの頃から、女のオレの自意識の肥大化は始まっていたんだな。
『そして、ある日。中学生の男子から呼ばれたの。それを断ったとき、5、6人の中学生に囲まれたわ。小学生の女の子に対してバカだと思うわ。力づくでも私を自分のモノに……ってとこだったのでしょうね。でも、私はその場にいた男どもの股間を蹴り上げると無事に逃げ出した。でも……奴らは、私へ報復してきた。犠牲になったのは、私じゃなくて、真子』
「え」
『真子は男たちに捕まったけれど、すぐに逃げ出したわ。でも、逃げている最中に……車に……はねられたの』
鏡の中のオレは、泣いていた。
『私のせいで、真子は死んだ! 私が、女にさえ産れていなければ、真子は巻き込まれなかったはず。私が、男に産れていれば真子を守れたはず!!』
「そんなの。お前のせいじゃ、ないだろ……」
『真子をさらった連中を殺してやろうかと思ったわ。けど、そんなことをしたところで真子は帰ってこない。なら、こんな事件が起こらなければ真子は死ななかったんじゃないか。そう。私が男に産まれていれば……こんな悲劇は起きなかったんだ』
鏡の中のオレは、泣いていなかった。静かに怒りと決意を瞳に宿していた。
『そして私は、魔術の研究を始めた。並行世界間の同位体と肉体を置換する方法を求めて』
「その成果が、これってわけか?」
『そうよ。でも、体が男になっただけ。結局運命を変えることなんて、人の身では無理なのよ。神様でもなければ、ね』
「だからお前は……肉体をすげ替えても何も変わらないから、元に戻そうと思った。そういうわけか」
『うん』
ここまでの話を聞く限りだと、もうこいつが男のオレの体でいたいという理由はない気がする。じゃあ、原因は何だ?
まさか、本当にオレが……このまま女の体でいたいと本気で思ってる……とでもいうのか?




