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こころとからだ

「え、嫌だけど?」


「即答しないでよ!」


 木野の提案を受け入れる気なんざさらさらない。ネットで知り合って、もしろくでもない男たちだったらどうするんだよ。


「そこをなんとかお願い! あたしの一生のお願い!」


「一生のお願いを口にする奴は、絶対に今までもこれからもそれを口にする。そんな奴の言うことは絶対に聞けん」


 木野は瞳をうるわせながらオレにしがみついてくる。まあ、約束を守りたいという律儀なとこは好感もてるけど。


「男なら覚悟を決めてこい。案外、キルトさんの中身は女かもしれないぞ。お前を一目見て恋に落ち、その日のうちにカップル成立。ホテルへGOという未来もあるかもしれん」


「ほ、ほんとに!?」


 木野の下半身に変化が起きた。いわずもがな、ズボンのチャック部分が盛り上がっている。相変わらず元気な奴だ。


「という妄想をしてみたが、やっぱないな。うん。普通にオタクの兄ちゃんがいて、がっかりされるとかじゃね?」


「や、やっぱりそうよね……」


 木野の下半身に変化が起きた。いわずもがな、ズボンのチャック部分が平たくなり、元に戻っている。こいつ、そんなに女とヤりたいのかよ。


 男って本当に下半身でしかモノを考えないんだなあ、最低。――って、まてまて。今の考えまるで女みたいだぞ、オレ。オレも男なんだから、今のはナシ! そうだよ、男はエロいことしか頭にないもんだ。だから、オレもエロい。


 ――ん。今はそれよりも、先に済まさなきゃなんないことができたな。


「木野、ションベンしたいんだけど、トイレどこ?」


「お手洗いなら、玄関のドアのすぐ隣よ。それより何よ、ションベンって。女の子なんだから単語1つ1つに気を付けなさいよね」


「オネエキャラが定着しつつあるお前にだけは、言われたくないな」


 木野の部屋を出てトイレに向かう。


「さて、始めるか……」


 用を足そうとズボンのチャックを……って、オレ今スカートはいてるんだったな。ションベン1つするのにも、へんに意識しちゃうんだよな。最初、わけがわからずにスカート脱いでやってたけど、男の時の習性か。


「とりあえず、パンツ脱ぐか」


 『春賀さんは、その。興味ないの?』、と。パンツを脱ごうと下を向いた時、さっきの木野のセリフが蘇った。


「あ」


 スカートのすそと太ももの間のライン。白い膝。ブラジャーの圧迫感。ブラウス越しに見える大きな胸……それを見たとき、オレの中でもぞもぞと1つの感情が芽生え始めていた。そして、木野の『エッチなこと、したくないの? せっかく女の子の体になったのに』、という言葉がよみがえってくる。


 顔が熱い。興奮、してきた。男と女って、どう違うんだろう? 確かめ……たい。だってこれは、オレの体なんだから。だから誰かに咎められたりするわけじゃない。ちょっとぐらいなら……トイレの中なら、木野にも気づかれないはず。


 気付くとオレの右手は、スカートのすそをつまんでいた。そして……。


 ――は。何考えてんだ、オレ!?


 ダメだ。ダメだぞ、オレ。これは絶対にダメだ。倫理的にとかそんな御大層なもんじゃない。これは、『オレ』を殺す行為だ。男である『オレ』を殺し、女である『私』を生む行為だ。


 オレはぶんぶんと頭を振ると、さっさと用を済ませ木野の部屋へ戻った。……ああ、危ないところだった。


「春賀さん?」


「え?」


 気が付くと、木野の顔が目の前にあった。


「驚かすなよ、びっくりするじゃないか!」


「だって、トイレ長かったから……もしかして、アレなんじゃないかなあって思って。具合悪い? お腹温めたほうがいいわよ。女の子は体を大事にしないとダメなんだから」


「は? アレってなんだよ。とにかく大丈夫だよ。オレ、男なんだし」


 木野はけっこう心配そうな顔でオレを見ていた。まあ、女の体であるのは事実なんだし、無茶はしないようにしよう。でもオレは男だ! とにかく、まずは当面の問題。木野ネカマ騒動をどう対処するかだ。最悪、ギルド抜けるとかサーバー移動しちまえばいいんじゃないかと思うが……。


「だいたい、キルトさんってどういう人なんだ?」


「大学生って言ってたわね。男3人の兄弟で長男。ジュエルちゃんみたいな妹欲しいよ。って言ってくれたっけ」


「んー。じゃあ、キルトさんは激しく幻滅するだろうな。スカートはいた筋肉野郎(おまえ)が現れたら」


「そ、そうなのよ! キルトさん、すごくあたしに優しくしてくれたし、がっかりさせたくなくって……ねえ、お願い! 頼れるのは春賀さんだけなの!」


「つってもなあ。オレ、可愛いだろ?」


 自分でこういうこと言うのも自意識過剰な気もするが、とりあえず続けるか。


「オレみたいな美少女がオフ会に行ったらどうなると思う? 男の気持ちとしてはなんとかメアドとか聞き出して、つながりもちたいって思うだろ? で、あわよくば恋人になってエッチなことしたいと思うわけだ。こんな可愛いオレを男が放っておくはずがないんだよ。ん、木野。なんだよその目は」


 熱弁をふるうオレに対し、木野はジト目でオレを見ていた。


「べっつにー。春賀さんて、けっこうナルシストなんだなーって思って。まあ、可愛いからいいんだけど」


「とにかく続けるぞ。正直やっぱ、怖いんだよな。昨日もへんな男たちに声かけられちゃったし。ネットで知り合って、ストーカー被害とかやだしさ。だいたい、あれじゃないか? こういうのって、ネカマの振りしてる女だっているんだから。そのへんはうまくかわすもんじゃねーの? ていうかもういっそ、病気で行けなくなったとかにすりゃいいじゃん」


「ん。うん。まあ、そうなんだけど……でも、リアルのキルトさんがどういう人なのか気になるし。約束は破りたくないし……でも、確かに女の子は怖いかもしれないわよね。チャットだけでその人を計ることなんてできないし……やっぱり、断るわ」


 木野はしょぼくれた顔で立ち上がると、背中を見せた。うーん、オフ会ねえ。まあ、手がないわけでもないんだが……このゲーム機、もらっちゃったしなあ。少しくらい、こいつの力になってやってもいいか。


「仕方ないな。行ってやるよ」


「え、ほんと!?」


「ただし条件が3つある。1つはお前も来い。オレがジュエルちゃん。で、お前がユウキの中の人を演じるんだ」


「別にいいけど。もう1つは?」


「正直、吐き気がするがオレとお前は恋人同士。という設定にする」


「え、恋人!? やだ、どうしよう……」


 恋人という単語に反応して、木野の乙女な部分が目覚めたのか頬に手をやり恥じらっていた。


「キモイ真似はやめろ。とりあえず、お前みたいな戦闘力100万くらいありそうな男が彼氏なら、オレに手を出そうという気も起きないだろ。たぶん」


「へへ、恋人……どうしよう。恋人ができちゃった……キスとか、してもいいよね?」


「……お前、聞いてる?」


 木野はよっぽど嬉しかったのか、壁に向かってキスをしていた。


「一応言っておくが、ちゃんと男らしくしろよ? 今みたいに乙女モードなると、お前じゃなくてユウキの中の人の評価が下がる。つまり、ゲーム内だとオレがオネエだと思われる」


「ん、うん。そうよね……あたしは春賀さん役なんだもんね。気を付けなきゃ」


「で、ジュエルちゃんってどういう設定なんだ? 見たとこなんかロールしてるだろ、あれ」


「うーん? 別に大したことはしてないけれど。普通に、女の子☆ って感じかな」


 普通に、女の子☆ と言ってウインクした木野に殺意を覚えたが、抑えることにした。


「……まあいいか。んじゃ、明日はジュエルちゃんになりますか」


「あ。まだ最後の条件聞いてないんだけれど?」


「あ、ああ。それな……んっと……まあその、なんだ。ちょっとしたお願いだよ」


「お、お願い!? 美少女のお願い……もしかして、セ、セック――!?」


「死ね! それはお前の願望だろうが!! この性欲ゴリラ!!」


 オレのお願いはたった1つ。今でもあの時の甘美な記憶が頭にこびりついて離れない。もう一度、あの至福の時間を楽しみたい。


「あ、そか。これはあたしの欲望ね。じゃあ、春賀さんのお願いって何だろ?」


「イーツが、べたい」


 正直、恥ずかしくてうまく言えなかった。


「え? 何? よく聞こえなかった」


 木野は耳を立て、顔を近づけてくる。


「いいか、耳かっぽじってよく聞けよ。絶対に二度はいわねーぞ?」


 我ながら、恥ずかしい限りではあるが……仕方がない。


「スイーツが食べたいの!! ケーキとか、パフェとか、マカロンとか!」


 くう、言ってしまった。なんか恥ずかしくて、顔が真っ赤になってきてるのが自分でもわかるぞ。オレ、男なのに。マカロン食べたいだなんて……完璧に女子じゃん。乙女じゃん!


「じゃあ木野! そういうことで! 詳細はあとでメールくれ!」


「あ、春賀さん!」


 逃げるようにしてその場を去ると、オレは一直線に帰宅した。


 ああ、スイーツ食べたいなあ。甘くって、ふわふわで、おいしくて、しあわせで……考えただけで……んーー!!


「あ、そうだ。コンビニで何か甘いもの買ってかえろ」


 そう、これは今日一日男でありながら、女の体に耐えた自分へのご褒美。


「って。自分へのご褒美ってなんだよおおおおおおおおおおおおおおお!?」


 あぶね。オレ、今の思考回路完全に女子ってた! スイーツに心躍ってる場合じゃねーぞこれ!?


 オレはスイーツを食べたい衝動を抑え込むように、自宅まで猛ダッシュした。そして、自分の部屋に駆け込むと目の前の姿見に映った自分の顔を見て問いかける。


「オレは、春賀祐希高2男子好きな女の子のタイプはブルマをはいたツインテールの年下でロリ巨乳が第一志望! 第二志望は1つ年上でほんわかしたロングヘアのお姉さんで、胸は控えめだけど美乳!! だよな!?」


 当然のことながら、誰も返事はしない。目の前の鏡に映った美少女が、息を切らしながらこっちをにらんでいるだけだ。そうだ。目の前にいるのは、美少女になったオレ。


「オレは……一体……何なんだろう」


 女の体に男の心。精神と肉体のアンバランス。それに気付かぬフリをしてきたけれど。……このままじゃオレ、おかしくなっちゃう。


 木野みたいに男になりたかったわけじゃない。天理のように女の体を楽しんでるわけじゃない。オレだけだ。オレだけ、無理して自分を変えずにいるから、こんなに悩んじゃうんだ。


 確実に変化は起きている。精神は肉体の影響を受け始めてる。それがとても怖い。


 兆候は今朝、パンを買おうとした時……そして昼間、木野に胸をもまれて改めて自分の体が女だと実感してしまった。夕方。スイーツを食べて、感性や嗜好が女になっているのも知ってしまった。そして……さっきトイレで。


 オレは、女として……欲情してしまった。


「……どうなっちゃうんだよ……オレ……」


 オレは陰鬱とした気持ちをまぎらわせるために、さっさと布団に入って眠ることにした。寝れば、男の体に戻ってるかもしれない。明日になれば、元通りの高2男子としての生活が送れるのかもしれない。


 そう願って、オレはまぶたを閉じた。

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