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渡る世間はTSばかり

「ちょ、ちょっとママ! やめて! 春賀さんとはそういう関係じゃないんだから!」


 木野はオレを木野ママから開放すると、身を挺すように前へ立った。


「闘士ちゃん……闘士ちゃんはママとその女、どっちが大事なの!?」


 木野ママは敵意に満ちた目でオレを見ると、瞳に涙いっぱい浮かべて木野を抱きしめた。


 うっわあ。このおばさんうぜー。


「そんなの、ママに決まっているじゃない!」


 対する木野もまた、涙ウルウルと直視するには耐えがたい顔でママを抱きしめた。


 ああ、そういえばこいつ。女の時はお母さんとあんまり仲よくなかったんだっけ。こんなに自分を心配してくれるのが嬉しいの、かな?


「……わかったわ、闘士ちゃん。ママったら、ついつい頭に血が上っちゃったわ。ごめんね」


「ううん。いいの。でも、嬉しい。ママがあたしのこと、こんなに心配してくれて嬉しい。女のときは、見向きもしてくれなかったのに……」


「闘士ちゃん!!」


「ママ!!」


 木野母子はしばらく抱きしめあった。木野が男になったとたんこれか。とも思ったけれど、このおばさんにとっては最初から木野は息子であって、昨日まで娘だったわけじゃない。端から見てるこちらとしては、複雑だけど。


「ところで、春賀さん、だったかしら?」


「は、はい」


 木野ママは木野から離れると、財布を取り出してオレに近づいてきた。


「いくらなの?」


「は?」


 鋭い視線でオレを睨みつける木野ママから、敵意どころか殺意が漂っているような気さえする。


「いくらほしいの? 言って御覧なさい。闘士ちゃんはね、いずれは私の会社を継ぐの。あの子にはしかるべきお家のお嬢さんをお嫁さんに迎えるつもりなのよ。遊び程度で付き合ったどこの馬の骨とも知れない女に。息子の経歴を汚されるわけには行かないわ」


「はあ」


 馬の骨かよ、オレ。古いドラマでそんなセリフ聞いたことあるけど。


「今後一切、闘士ちゃんに会わないと約束するなら、手切れ金くらいくれてやるわ。だから言ってみなさい。いくらほしいの?」


「え、っと。別にそれでもいいんですけど。お金くれるっていうんなら」


 オレはそっと人差し指を立てた。1万円もらえるなら、いろいろ買えるな。臨時収入だぜ、ひゃっほー!


「まあ! あなた……いくらなんでもそれは足元を見すぎじゃない!? ふざけないでよ! 1億も出せるわけないでしょう!!」


「そんなにいらないですよ!」


「まあ! あなた……闘士ちゃんには1億の価値もないというの!? ふざけないでよ!」


 このおばさん、面倒くせえ!


「あなたも女だからいずれ母親になればわかるわ。母親にとって息子っていうのはね! 宝物なのよ! あんたはその宝物にケチをつけるつもりなの!?」


 そっか。そういえば、オレ。今は女、なんだよな。もしかしたらオレ。このまま戻れなくて生きていくとしたら母親になる……かもしれないのか。


「まったく、こんな娘に育てた母親の顔が見てみたいわね! どうせたいした女じゃないんだろうけど!」


「母親は、いません。オレが小学生の時に……」


 母さんのことを悪く言われたから腹が立ったのだろうか。条件反射的にそう返していた。


「あら、そう、なの」


 木野ママは急に黙りこくると居心地が悪そうにうつむいた。くそ、こんな所いつまでもいれるか。


「木野さん、お金なんていりません。そもそもオレ……私。闘士くんとは、ただのクラスメイトですから。それではこれで失礼しますね。お邪魔しました!」


 スカートを翻し玄関に向かう。さっさとこんな所、出て行こう。親をバカにされて正直いい気分じゃない。


「え、あの、待って!」 


「木野、また明日学校で。じゃあな」


「ちょっと待って、春賀さん!」


 木野ママがオレの腕を掴むと、心底申し訳なさそうに頭を下げてきた。


「さっきはごめんなさい。私が悪かったわ。あなたのお母様を悪く言った事はお詫びします」


「いえ、別に」


 そのまま無視して出て行くつもりだったけど、木野ママは本当に反省しているようだった。


「私も母親を早くに亡くしてね、少女時代は一生懸命家の事をしながら過ごしたの。友達もいなくってね。高校を出てしばらくして、闘士ちゃんのパパと出会って、あの子を授かったわ」


「そう、ですか」


「ごめんなさいね。あなたのことも知らないで。夫を交通事故で亡くしてから、今の会社を立ち上げて、女手1つでここまで闘士ちゃんを育ててきたの。私にとって、闘士ちゃんは全てなの。だから、ついつい闘士ちゃんを奪われてしまうんだと思ってヒステリックになってしまったわ。冷静にならなきゃね」


「いや、そんな。改まらないでください」


「闘士ちゃんの幸せを考えたら、そうよね。親が口を出すことじゃないわ。うん、決めた。結婚しなさい」


「はあ!?」


「二人は同い年だから……そうね。高校を出てからがいいわ。夫婦で同じ大学に通って……あら、でも。孫の顔は早く見たいわね。初めてのお産はとても苦しいでしょうけれど……大丈夫、お義母さんがついててあげるから」


「お、お邪魔しました!! 天理! 帰るぞ! いや、逃げるぞ!!」


「はイ?」


 空気を読めず未だにエロゲーしていた天理の腕を引っ張り、慌てて木野宅から脱出する。


 オレが木野と結婚!? 冗談じゃない! オレが出産!? 勘弁してくれ!


 木野宅から逃げ出して数分。オレと天理はしばらく駅前のショッピングモールのフードコートで、ジュースを飲みながらぐったりしていた。


「ふう。何でオレが木野と結婚しなきゃならないんだ。その上、木野の子供を産まなきゃならないんだ……」


「ですネ。姫と結婚するのは僕ですから。春賀祐希は僕の嫁!!」


「誰がお前の嫁だ!! オレとお前は今、女同士だろうが」


「そんなの、愛があれば関係ないデス」


 天理がオレの耳元にふう、と息を吹きかけてきてオレは飛び上がった。


「な、なにするんだよ、お前!」


「姫、驚いた顔もとっても可愛いですね」


「お前もとっても可愛いよ」


 再びため息を吐くと、母親と小さい女の子の親子が視界を横切っていった。


「それにしても不思議ですネ」


「何が?」


「自分の性別が変わるなんて事、デス」


 天理は自分のスカートのすそをつまみあげてそう言った。


「うん、まあ……そうだよな」


 女になって時間が経っているからか、今にして思えばオレと木野と天理。3人の性別が入れ代わっているだなんて、誰が信じるだろう。


「女の子の世界は、不思議に満ちています。そこで、姫。そろそろ次のステップに進むべきかと思うのデス」


「はあ、次のステップ?」


「女性下着売り場へブラジャーを買いにいくのデス」


 ブシャー! と、オレは飲みかけのカルピスソーダを天理の顔面に噴出した。


「姫、顔にかけるのはちょっとエロいです……」


「悪い。いや、確かにお前エロいな」


 顔面白い液体まみれの天理はなまめかしい。いや、それより制服がびちゃびちゃだ。


「姫~。お着替えが必要ですネ。これは姫の責任なんですから、付き合ってもらいますヨ?」


「う。し、仕方ねえな」


「フフフ、姫とデート。キャッキャッウフフのもみもみ……」


 天理の瞳がとろ~んとして、唇の端からよだれが垂れ落ちた。つーかオレの胸もむつもりのか、こいつは。


「残念な顔するのやめろ、天理。それは美少女のする顔じゃない」


 ハンカチで天理のよだれを拭いてやると、オレと天理は移動することにした。


 正直、天理と女性下着売り場に行くのは狼の群れの中に飛び込むようなもんだが、仕方がない。家に自分の下着がちゃんとあるとはいえ、これから先バストのサイズが大きくなったら自分で買いに行かなければいけないし、なにより未知の領域に踏み込んでみたいのも確かだったりする。


「ここですよ、姫。僕らが捜し求めていたシャングリラは!」


 天理に手を引かれ女性下着売り場に来てみたが……うーん。新品のブラジャーやショーツは、まるで色とりどりの宝石のような輝きを放っており、楽園のようだ。


「な、なんだか緊張するな、これは」


 下着売り場に一歩踏み込んでみると、異世界トリップしたような不思議な感覚に陥りかける。


「ねえ、このブラ可愛くない?」


「可愛いー! あーでも、ちょっと値段高いね」


 ブラジャーを手にした女子高生2人が、きゃっきゃっしている。


「姫。僕らもあの子達のように、きゃっきゃっうふふするのデス」


「あ、ああ。そうだな。オレ達、女子だもんな」


 2人の女子高生の横を通り過ぎると、今度は小学生くらいの女の子が3人、色っぽいブラジャーを前になにやら話していた。


「今度、彼氏とお泊りデートなんだあ。初めてなんだけど、緊張するぅ~!」


 か、彼氏!? しかもお泊り!? 小学生なのに……。


「姫。僕らもあの子達のように、お泊りデートしまショウ。阿久津さんも呼んで、女子会するのデス」


「あ、ああ。そうだな。オレ達、女子だもんな」


 女の子たちの横を通り過ぎると、今度はOL風のお姉さんとすれ違った。まあ、当然ながら今のところ怪しまれてはいない。


「にしても、色々あって悩むな。可愛いのもあるし、セクシーなのもある。色もそうだけど、デザインとかマジで悩むな」


 近くにあったブラジャーを手に取ると、サイズ表記があってオレはそこで大事なことに初めて気付いた。


「なあ、天理。お前、自分の胸のサイズ。わかるか?」


「んー。わかりまセン」


「オレもだ。ていうかこれ、どうやって測るんだろう」


 2人そろってその場で考えてみるが、どうにも解らない。かといって、店員に聞くのもなんだか気が引けた。


 初めてブラジャーを買う小学生ならわかるけど、高校生で聞くのは何だか怪しまれる気がするし。いや、怪しまれたところで大した事はないんだけど。


「ダメだな。今度、真子に付いて来てもらうか、先にお前の着替え買っちゃおう。行こう、天理」


「はあ、はあ。ようやく見つけたわ、2人とも!!」


 衣料品売り場へ移動しようとした所で、後ろから男に腕をつかまれた。


「げ、木野!?」


 振り返ってみると、木野が荒い息でハアハアと立っている。


「もう。2人とも勝手に行っちゃうんだもん。探すのに苦労したのよ?」


「あ、ああ。悪い。でも、どうしてここがわかったんだ?」


「そんなの簡単よ。男2人が考えそうなことくらいすぐわかるわ。女性下着売り場にどうどうと入り込んでブラジャーでも買うつもりだったんでしょ?」


「さすが元女だな、ご明察だ」


「それより、さっきはママがごめんなさい。またいつでも遊びに来てくださいねって、言ってたわ」


「ああ。別にいいよ、もう。それより、木野さ」


「ん? 何?」


「ここ、女性下着売り場だぞ」


「ん? だから、何? あたしが初めてブラ買ったの、このお店なのよね。そういや、この前買ったレースのショーツ、まだはいてないわ」


 木野は周りにいる女子高生や、小学生の女の子たちの敵意に満ちた視線に気付かず、オレが手に持っていたブラジャーを自分の胸の前に持っていった。


 はっきり言って、キモい。


「何あれ、マジきもい」


「変質者じゃない? 警備員呼んだほうが良くない?」


「てか、あの女の子たち襲われてるっぽい?」


 女子達の敵意が声になって木野に降り注ぐ。このままだと通報されて警察沙汰になりそうだ。


「ちょっとこっち来い、木野!」


「ちょっと、何なのよもう! 女の子の腕引っ張らないでよ!」


 野太い声でそんなセリフを吐いた木野を無視して、通路の奥にあるトイレ前に連行する。


「お前な。そろそろ自分が男だって事、覚えてくれよ」 


「あ。そう、だった……」


 木野は制服のズボンに視線をやると、女子みたいに赤面して、顔を両手で覆った。


「うわーん。あたしのバカバカ!」


「もう、何も言葉が出てこない……天理。お前も何か言ってやれ」


 天理に同意を求めてみるが、当の本人の姿はどこにもない。


「姫~! 僕の新しいお洋服を見てくだサイ! 可愛いのを選びまシタ!」


 なんだ。1人で着替えの服を買いに行ってたのか。


「そっか。それじゃそろそろ移動して――」


 振り返った先にいたのは、スク水姿の天理こと、変態金髪美幼女だった。


「僕、これからはこれを普段着にしマス。可愛いでショ?」

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