5 リュミエール
「何で」
考える間もなく、銃弾が僕の左側を通り過ぎた。
もし僕が避けなかったら、確実に心臓に当たっていた。
裏カジノのオーナーだけあって、相当悪いことをしてきたのだろう。
射撃の技術は相当だ。
「貴様はフレグランスじゃないな。それにしてもつまらん奴だ」
ラムダは煙草を足元に落とし、足で踏みつけた。
何を言いたいのかよく分からなかったが、聞くまでもない。
ラムダはすぐに教えてくれるだろう。
「私が見たいのは貴様の顔が悔しさで歪むところだってのに、貴様は冷静すぎてつまらん」
「言いたいことがよく分かりませんが、僕はあなたを楽しませられなかったようですね」
この僕の言い草に、ラムダは一瞬顔をしかめた。
「まあいい、教えてやろう。フレグランスの予告状は私が作った偽物で、そのルビーも私の部下が仕込んだ偽物だ」
これはフレグランスではなくラムダが仕込んだものらしい。
それにしても、このラムダはフレグランスに対しては随分弱気だ。
「じゃあ僕を撃つ理由は何もないんじゃないですか」
「例えフレグランスが来なくても、奴は貴様を苛立たせ、私を楽しませる劇の脇役になってくれた」
「……劇?」
「貴様がこの船に来る日は決まっている。『長期休みでモルディオが暇になる日』だ。だからその日に貴様とフレグランスを誘き寄せる為に、私は偽の予告状を報道させた。そして計画通り、貴様とフレグランスは来た」
「どうして僕とフレグランスなんですか」
「私には仲間の悪魔がいた。彼らは、人間を一切襲わなかった。それなのに、悪魔というだけで祓魔師に殺されたのだ。
私は彼らの『宝石』を買って取り返そうと思った。だが、フレグランスがそれを盗んだんだ。それでただでさえ怒り狂っているのに、イカサマなんかされたらどうなるか。それも私の嫌いな祓魔師にだ!
これは私の復讐だ。まずフレグランスを殺す。それから、祓魔師を殺していく。貴様はその前座だ」
僕だけではなく、祓魔師とフレグランスへの復讐。
それがラムダの目的。
その最初の標的が、ラムダのカジノで嫌がらせのように遊んでいた僕か。
僕の悲痛な面を見ないと収まらない程、腸が煮えくり返っていたらしい。
でも祓魔師に復讐するなら、普通S級のセヴィスを選ぶだろう。
最強の人間が死んだ方が、祓魔師に与える絶望感は大きいはずだ。
「わたしが依頼したの。最初に憎きベルちゃんを殺すようにねぇ」
僕の頭に浮かんだ質問に答えたのはイリアの声だ。
ラムダの後ろから遅れてやって来たイリアは、裂けるほど口を開いて笑っている。
武器は持っていないが、手に何か光るものを持っている。
あれはおそらく注射器だ。
僕はここで初めてイリアが金に執着する理由を知った。
ラムダは麻薬商も兼ねていた可能性が高い。
おそらくイリアが幼い頃家出した際に接近して、それに依存させたのだろう。
麻薬を買うには当然多額の金がいる。
もしかすると金を得る為に僕を売るよう促したのはラムダかもしれない。
イリアはラムダの金蔓になって、傍らにいさせてもらっていたのだ。
彼女を麻薬依存者だと思うと、イリアが完全に狂気の沙汰に見えてきた。
何しろ、最初に弟を殺すよう依頼したのだから。
「たかが僕の為にそこまでするなんて……大体イカサマの証拠はあるんですか?」
「黙れ、貴様らのせいでゼータとファイは殺された!」
船がゆっくりと揺れた。
ゼータとファイ。
その名前を聞いた途端、僕の頭の中にある二人の無様な顔が浮かび、笑いがこみ上げてきた。
「ふふっ……はははっ」
「何がおかしい」
ラムダは再び僕に拳銃を向ける。
「それ、僕が以前殺した悪魔と同じ名前ですね。偶然ですか?」
「何だと」
「それに、一匹のメス豚が僕を殺せとあなたに依頼したことなら、とっくに知ってました。だから今更悲痛な面を浮かべろって言っても無理なんですよね」
僕は眼鏡を外し、バッグに入れる。
その代わりに拳銃を取り出し、バッグを地面に置いた。
「知るって……どうやって知ったの」
イリアは目を見開いている。
彼女は僕の能力を知らない。
今は僕ではなくイリアの方が悲痛に歪んでいる。
「あなたたちの敗因は三つあるんですが、一つ目は僕の能力が未来予知だということを知らなかったことです。まあ、学園では無効化って偽っているので当然なんですが。
二つ目は、フレグランスに狙われてるとか言ってるくせに警備を置かなかったことです。僕の能力がなくても、これは怪しいって気づきますよね。
三つ目は、これからあなたが起こすと思われる『祓魔師連続殺害事件』の最初の標的をよりによって僕にしたことです」
僕は腕時計を見る。
時刻は8時4分で、まもなく5分になろうとしている。
「順序など関係ない」
「確かに、他の祓魔師なら間違いなく逃げるか躊躇うでしょう。何しろ人殺しは犯罪なので」
僕は懐からも拳銃を抜き、その拳銃で誰もいないイリアの後ろに向けて六発撃った。
刹那、彼らの後ろに機関銃を持った六人の男が出てきた。
「ぐぁっ!」
男たちが次々と倒れる。
僕は弾の切れた拳銃を指で回し、それから弾を装填した。
よく見ると、男たちは皆ルーレットの時にいた観客だ。
「午後8時5分、僕を殺すために不意打ちを仕掛ける……能力に狂いはありませんね」
「貴様、どこでそれを習った」
「僕はこんな能力を持ったせいで、最初は補佐として育てられました。射撃は剣術より先に教え込まれてたんです。当然僕はこんなことを公表してませんし、あなたは報道された通り、僕を剣術でしか戦わない近距離祓魔師だと思い込んでいた。だから、遠距離から殺せるなんて思わないでください。あなたの思い込みのせいで、大事な仲間がこんな結末を迎えた。残念ですね」
「ふざけるな」
「あなたの計画はこれから破綻します。僕を殺す刺客はまだいるんですよね? さっさと出てきたらどうですか?」
挑発気味にそう言ってみると、ラムダは左手を下ろし、拳銃を持った右手を上げた。
それが合図だったらしく、同じくルーレットの時に見覚えのある男たちがぞろぞろとデッキに上ってきた。
そしてラムダを庇うように立つ。
中心にいるラムダは唇を噛んでいる。
悪人の悔しさに歪んだ表情は、見ていてこの上なく面白い。
「本当に残念でしたね。僕にあなたの計画が通用しなくて」
「私には貴様が理解できない。どうして殺されると知っていて、ここに来た? なぜ祓魔師が躊躇なく人間を殺せる? 死にたいのか?」
ラムダは少し呆れた表情で聞いてきた。
「さあ、どうしてでしょう」
僕は曖昧に答えた。
実際、僕自身もよく分かっていなかった。