4 エスポワール
同時に僕はルミナスを一瞥し、目を閉じて能力を発動する。
視界に僕とラムダ、そしてルーレットが入る。
玉は『黒の10』に入った。
赤に賭けていた僕は負け、黒に賭けていたラムダが勝った。
『ルミナスの未来を見る』というのは、『僕が未来を見なかった場合にルミナスが後に見るものを見る』ということだ。
つまり、僕が見ることのできる未来は、あくまで僕が能力を使わなかった場合の未来だ。
一時間以上先だと少し時間が掛かるのだが、十数秒後の未来なら、僕が大して集中しなくてもすぐ見ることができる。
能力を解除すると、挑発的なラムダの表情が視界に入った。
「お先にどうぞ」
と、僕は言った。
「自信がないのかい?」
そう言って、ラムダはコイン50枚、つまり五万デルカを黒に賭けた。
僕は迷わず『黒の10』に100枚を賭けた。
この行為に、さすがのラムダも驚きを隠しきれていない。
程なくして、玉が『黒の10』に入った。
周囲から今日一番の歓声が上がった。
「大胆な子だ! これで外れたらどうする気だったんだい?」
ラムダは両手を広げて笑い出した。
イリアとルミナスは無言で驚愕している。
僕に360万デルカ、ラムダに10万デルカが渡された。
「参った、次も全部賭けるつもりかい?」
「はい」
このお金は、両親に送る為にある。
僕が誘拐されたショックとイリアの家出で、重い精神病に掛かってしまった母を養う為に。
僕の生活費は祓魔師の報酬で十分だ。
「では二回戦を」
「ちょっと待ってくれ」
と、ラムダが口を挟んだ。
「賭けてから投げる方式にかえてくれないかい」
周囲が騒ぎ出した。
この言葉が、遠まわしに僕だけを追い詰めた。
仕方ない。
僕がやっていることは良く言えば親孝行、悪く言えばイカサマだ。
「そんなことをしても、何も変わらないんじゃないですか?」
ルミナスは怪訝な顔をしながら言った。
「私はこっちの方が好きなんだよ。ディーラーが何をするか分からないスリルがあってね」
その方式なら、僕の能力は通用しない。
僕が賭けた後、ディーラー次第でいくらでも変えられる。
そうなると、ディーラーの勝ちというパターンもありうる。
それだけは避けたい。
でも、僕は全額賭けると宣言してしまった。
「……じゃあ、どうぞ」
ルミナスはどこか納得していない様子で手を動かし、僕たちにベットを促した。
初めて味わう危機感。
これがギャンブルか、とどこかで納得した。
「おやおや」
僕が赤に全額置くと、ラムダはつまらなそうに煙草をふかし始めた。
「この金額を失うのを恐れたのかい?」
そう言いながらも、ラムダは黒に全額を置いた。
臆しているのはお互い様だ、と僕は視線をラムダに向ける。
ラムダは僕とディーラーが勝つと損をするが、勝っても何の得もない。
だから、全て最小限に抑えている。
それでも観客は言葉を失っている。
無理もない。
この場にいる二人は全額を賭けるという、普通ではありえないことをしているのだ。
ラムダは怪しげな視線をルミナスに向けている。
それを受けたルミナスが玉を投げ入れる。
ルーレットの流れに逆らって回る玉を見て、僕は初めて確信した。
「……負ける」
もうすぐフレグランスの予告時間だと思って、僕は冷静さを欠いていた。
どちらにしろ、ラムダの後に、ラムダと同じ色に賭ければよかったのだ。
元々あっちが用意した金なので負けても損はないが、未来を知りたくないと思ったのは初めてだ。
ルミナスは所詮ラムダの手下、従わざるを得ない立場だ。
ラムダが嬉しそうにルーレットを覗き込む。
僕は目を背けていた。
「おおっ!」
ラムダの目が光った。
もう駄目だ、『黒の11』に入るのは確実だ。
そう思った瞬間だった。
「うわっ!」
突然『黒の11』に入った白い玉が破裂し、強烈な閃光を発した。
僕は思わず腕で顔を覆い、光が収まるのを待つ。
「まさか、フレグランスか!?」
ラムダの声が聞こえる。
暗くなっていく視界の中で、僕は向かいの扉から出て行く人影を見つけた。
僕はバッグを手に取り、席を立った。
そのまま人影を追いかける。
この騒ぎで、ラムダだけが僕の行動に気づいていた。
扉を開けて、豪華な絨毯がひかれた広い廊下に出る。
だがそこには何もない。
さらに前へ進んでみると階段があった。
それを上るとまた扉があり、重い扉を開けるとプール付きのデッキと海の風景が広がっていた。
僕が出てきたのは従業員用の入り口らしく、当然一般客は入ることができない。
僕がフレグランスらしき人影を見失ったと気づいたと同時に、何十人もの一般客が僕に視線を向けた。
「ルビーは盗まれてしまった」
後ろから聞こえたラムダの声に、僕は振り返る。
ラムダは僕に拳銃を向けていた。
「すみません、逃げられてしまいました」
「何がすみませんだ。この期に及んでくだらん戯言を」
「えっ?」
ラムダの口調は怒りと共に変わっていた。
それでも言われていることの意味が分からない。
僕はラムダの視線の先、僕のポケットを見る。
すると、中に楕円型の赤い『宝石』が入っていた。
僕が反論する前に、ラムダは引き金を引いた。
僕は弾丸の軌道を読んで避けた。
周囲にいた一般客たちは突然の銃声に悲鳴をあげて、その場から一人残らず逃げていった。
「さすがA級祓魔師だな」
ラムダは手を叩いて笑い出した。
僅かな沈黙が訪れ、潮風が二人の間を通り抜けた。
「世間では優秀だとか言われているくせに、私のカジノでイカサマをした挙句泥棒までやっていたとは。お前は最大の偽善者だ。セヴィスが生ぬるく感じる程の悪党だな、モルディオ=アスカ」
思った通り、知っていた。
イリアが教えていた。
ここまでは想定内、でもこの『宝石』は想定外だ。
「返せ。それは私のルビーだ」
「これは僕が盗んだんじゃありません。返せと言うなら返します」
フレグランスは僕に濡れ衣を着せようとしているのか。
それとも、ラムダと勝負する前にくっついてきたイリアが入れたのか。
「嘘を」
「そんなに欲しいならくれてやりますよ」
僕はルビーをラムダに向けて投げる。
しかし、ラムダはそれを取ろうともしなかった。
赤色の石は軽い音を立ててデッキの上に落ちた。