2 フランベルジェ
海が夕日を反射して、橙色に染まっている。
そしてその上には、巨大な船が浮いている。
側面には『QUEEN-ELLIAMARINE』と筆記体で書かれている。
僕が桟橋に向かうと、執事のような風貌の男が立っていた。
「会員証をご呈示ください」
僕は革のバッグを開ける。
まず視界に飛び込んでくるのは至って普通の長財布だ。
財布の中にあるカードには『Belc-Grafaise』と僕の字で書いてあり、一緒に入っているネームプレートには違う名前が彫られている。
僕はその金のカードを取り出して、男に手渡した。
「ようこそ、A級会員ベルク様」
男たちは丁寧に礼をして、船の中へ僕を案内する。
タクシーに乗っている間に前髪を全て後ろに持っていって、少し上品な眼鏡をした。
それだけで、誰も僕の正体に気付かない。
この船に乗っている間だけ、僕はA級祓魔師ではなく、A級会員になる。
僕を最後に、船は動き出した。
船の中に入ると、まるで貴族のように金持ちが食事を楽しんでいる。
きつく絞ったドレスの女性やタキシードの男性がペアを組んで、華やかにダンスを踊っている。
彼らにとってフレグランスとはもはやどうでもいいものだ。
人数はいつもとほとんど変わらない。
この上の階ではプールや高級ホテル並の客室があるが、僕はそこに興味なんてない。
ダンスホールの片隅に、地下へ向かう階段がある。
僕は迷わずそこに向かい、階段を降りた。
そこでもう一度会員証の呈示を要求される。
A級以上でないと、この場所には入れない。
降りた先には賑やかなカジノの風景が広がっていた。
ここは裏で様々な世界を牛耳る人間が来るところで、表向きでは決して知られていない裏カジノだ。
すぐ目に留まる場所にあるこげ茶色の絨毯がひかれたステージでは、ナイフ投げが行われている。
ステージの中心には十字架があり、そこには髭を生やした男が縛りつけられている。
その男にディーラーたちが脅すようにナイフを投げている。
彼らのナイフ投げの正確さは、速さと電撃を除いたセヴィスのそれとほぼ等しい。
久しぶりに来たが、また下手な新人が増えている。
ナイフ投げが主な攻撃であるセヴィスがS級になったことは、ここの人数にも影響を与えている。
彼らはセヴィスの真似でもしてきたのか、ほとんどの新人は彼と投げ方が同じだった。
だが、あの投げ方は危険だ。
ナイフ投げというパフォーマンスには、回転を加えたちゃんとした投げ方がある。
反対にセヴィスの投げ方はワイヤーがあることを前提としており、一切回転を加えない。
つまり完全な殺人を目的としているのだ。
仮に僕がそう言ったとしても、ここは何も変わりはしないだろう。
なぜなら、このカジノのナイフ投げは完全な殺人を目的としているからだ。
結局正しい投げ方をしている者はいない。
僕はため息をついて、その場を後にした。
「やめろ! やめてくれっ!」
続いて聞こえるのは無慈悲な肉を刺す音。
また誰かが殺された。
このカジノで不正をした人間は、このナイフ投げで殺されるのだ。
マットが赤みを帯びた茶色である理由は、血の色を隠すためだ。
僕は無残な現場から目を背け、ルーレットが行なわれているテーブルに向かう。
僕にとってカジノは、魔力権の練習と同時にお金を貰える、最高の場所だ。
「お久しぶりねぇ、ベルちゃん」
耳に入ってきた甲高い女の声と同時に僕の頭の中で虫唾が走った。
どうして、ここにいるのだろう。
「……その呼び方、止めてもらえませんか」
僕よりも小さい女は口元を歪ませ、腰を振りながら歩いてきた。
安物のドレスはわざとらしく胸元を開けているが、見せているものも小さくて正直哀れだ。
女の名はイリア=アスカ。
信じたくないが、これが姉だ。
と言っても知ったのはつい一年前なので、ほとんど他人に近い。
「冷たいわねぇ、相変わらず。わたしは祓魔師のあんたの方が好きよ。見た目とかいろんな意味で」
イリアは肩をすくめて僕に抱きついてきた。
僕は懐から拳銃を取り出して、彼女の顎に銃口を突きつけた。
裏カジノだからこそ許される行為だ。
「ちょっと、物騒じゃない」
「何でここにいるんですか。僕の金が目的ですか」
「そんなこと一言も言ってないじゃない」
「……僕は今でもあなたを許してない」
イリアは僕の腕を掴んで下ろそうとする。
だが、彼女のひ弱な力では僕の腕は微動だにしない。
「何よ、あんたが変な組織に誘拐されたせいで、わたしはほとんど親に構ってもらえなかっ……っ!」
引き金に指を掛けると、イリアは黙り込んだ。
この至近距離なら外れることはない。
「確かに事件の子供は皆誘拐された。でも僕は、あなたに金で売り飛ばされたんだ」
「仕方ないじゃない! あの時親はいなかったんだから!」
「組織に入れられてから僕は両親に会う為に生きてきた。どんな拷問だって耐え抜けた。それなのに、構ってもらえなかっただけで親に暴力を振るうなんて許せない。元はあなたの撒いた種だ」
「当然よ! わたしは」
「あなたが身代金とか言わなければ、僕は家族と暮らせた! あなたなんか姉じゃない!」
これだけ僕が叫んでも、騒がしい会場は全く変わらない。
気づいている人間はいるが、見向きもしない。
この会場での揉め合いは日常茶飯事だ。
「帰ってください。これ以上僕や両親に関わるようなら、その首を剣で刎ねます」
「あら……怖ぁい」
そう言ってイリアは去って行った。
やっと邪魔な虫が一匹消えた。
こんな虫相手に激高するなんて、僕らしくなかった。
僕は人々が集まる緑のテーブルに視線を向ける。
ルーレットやポーカー、スロットといった類はもちろん、クラップスなどのダイスゲームも全て揃っている。
今日はそこで勝ち続け、オーナーを誘き出さなければいけない。
この船には、ある程度勝ち続けた会員だけが招待されるルーレットがある。
その詳細については僕もよく知らないが、勝てば宝石が贈呈されると聞いた。
今回怪盗フレグランスが狙っている『レイン・ルージュ』がまさしくそのルビーだ。
僕は怪盗フレグランスより先にルビーを手に入れてみせる。
そして正体を暴く。
それが、僕が勝手に作った最終目的だ。
「僕」について↓
ベルク=グラファイス(モルディオ=アスカ) age:16
未来予知の能力を持つA級祓魔師。裏で知略を張り巡らすことに長けており、主に剣術を得意とする。
イリアによってある組織に売られ、拷問のような戦闘訓練を受けた過去を持つ。それを隠す為、希少な能力を持つことを偽っている。前者は組織、後者は両親が付けた名前で、普段は後者を名乗っている。
数少ない天才と言われているが、かなり歪んだ性格の持ち主。
今作での主人公。本編では後者の名で出てきます。