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「七色雲」byダディ

橙色に染め抜かれた夕暮れ時の小川。

澄んだせせらぎの聞こえる畑の中。

そこで独り涼んでいた私の肩に、「ちょいとようござすか」の一言もなく、黒い大きな影が降りてきた。

影の主は鴉だった。黒い羽は夕暮れの衣をまとい、僅かに色づいている。

「何の用?」

私が問うと、鴉は人間が欠伸をするようにあんぐりとくちばしを開け、乾いた声で語りかけてきた。

「環水平アークって知ってるかい?」

聞きなれない単語に私が目を瞬かせると、大鴉は先まで黒いくちばしを打ち鳴らし、「かあ」と笑った。

「知らないのか」

人を馬鹿にした口調で追い討ちをかけてくる。

「お前さんの頭は、見た目の通りすっかすかかい?藁ばかり詰まってるしね。

 そういや藁は異国の言葉じゃストロウと言うらしいぜ。なんとも間の抜けた響きじゃないか。お前さんにぴったりだ。かかか」

「鴉、あんた、私にそんなことを言いにわざわざ降りて来たの?」

「動けぬ一本足の鴉脅しが寂しそうにしてたから、今日もちょいと話し相手になってやろうと舞い降りたのさ。かあかあかあ」

「別に寂しくないわ……それに、あんたみたいな物知り顔で人を馬鹿にする奴に構われるぐらいなら、寂しいほうが、まだましよ」

「つれないね。俺は馬鹿にしてるつもりはないぜ。それに、今日はお前にいいものを見せてやろうと思ってやってきたのさ」

黒い翼を二度羽ばたかせ、胸を張る鴉。

いいものを見せる?そんな戯言を信じろと言うのか。

鴉はいつも、私の頭をむつかしい言葉で攪拌するのだ。今日もそうに違いない。

「いいものね……どうせまたくだらない物を見せるんでしょ?この間は世にも珍しい平べったいカブト虫って言って、ごきぶり見せてくれたわよね」

「かかかか。そんなこともあったかな。でも、今日は違う」

言うが早いか、鴉は右の羽で川の上の空を示した。

「見てごらん」

いつもと違う優しい響きの声につられて、私は鴉の示す空に目をやった。

だが、頭にかぶされた麦藁帽子が、視界を遮っている。鴉の示す空がよく見えない。

「おっと、自分じゃ取れないか。どれ」

鴉はくちばしで私の麦藁帽子をついばむと、ひょいと背後に落としてくれた。

世界が広がり、空が目に映る。

言葉もないとは、まさにこのことだった。

夕暮れの空に浮かぶ雲が、虹色に染まっている。ゆったりとした風に流れる雲の動きに合わせて、七つの色がスローテンポのダンスを舞っている。

彼岸の彼方から現れた極楽の乗り物のような雲―――

この畑に立たされて十数年、こんな美しいものは見たことがなかった。

「あれが答えさ。環水平アークってやつさ」

「あれが……なんて綺麗なの」

「本当はこの条件じゃ現れないんだがね。俺は太陽の神様だから、ちょいと空のまつりごとにちょっかいだせば、ご覧の通りさ」

自画自賛じみた言葉の後に、薄紫に染まり始めてきた空の際まで届く、大きな笑い声を上げる。

それがなんだか妙に微笑ましくて、私は静かに笑みを浮かべた。

「ようやく笑ったか。お前さんはそのほうが可愛い」

鴉の不意打ちに、私の顔が熱くなる。

今が夕暮れでよかった。赤い色は見えにくいはずだから。

そのまま、私と鴉は七色雲を見つめ続けた。夜が次第に色を増す。

「なあ、お前さん」と鴉が呼ぶ。

「何?」と私も短く返した。

「色んなものがあるだろう。世界には」

消えかける七色雲を見つめながら、鴉は囁いた。

「俺がお前さんに教えたもの。汚いもの、奇妙なもの、どこにであるもの、くだらないもの、そして綺麗なもの。全部ぐちゃぐちゃに混じった鍋みたいな世界。

 俺はそれを何十万年も見てきた」

「……」

「まだまだいっぱいある。お前さんに伝えられることは、まだまだいっぱいあるんだ」

私は鴉の横顔を見た。闇の濃くなった世界に溶け込み、見づらくなった鴉の姿は、どこか強い孤独を感じさせる。

案山子である私以上に。

「だから……また明日も来てやるさ」

その言葉を自らのはためきで打ち消すと、鴉は勢いよく紫色の空へ飛び立った。

三本の脚が私の肩から離れる。

「あっ……」

何か言おうにも、藁しか詰まっていない私の頭は、気の利いた台詞など浮かべることはできなかった。ただ、夜空へ消え去る鴉を見つめるばかり。

飛び立つ寸前、鴉は照れていたように見えた。それは、初めて見せた鴉の本心だったのかもしれない。

私の肩に温かい寂しさが残っている。生意気で物知り顔の鴉がくれた贈り物。

私は空と、その下で流れる小川を眺めた。

日の暮れた川辺に、淡い蛍火が現れて、飛び去った鴉を惜しむように、ゆらりゆらりとスローテンポのダンスを舞い始めた―――

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