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「壊れた時計」byジル




 僕の世界は、白い雪に埋め尽くされていた。


 そう、そんな日は、決して僕は嫌いじゃない。

 緩やかに巻いたマフラーに首をうずめた君の、口元に当てたミトンの隙間から漏れる白い息。

 それすらも、僕の世界の一部であるかのように溶けていく。

 つややかな黒髪を飾る雪の結晶。

 それを払い落とす振りをする僕の手のひらにもっと首をすくめ、そして僕を見上げて笑う。

 白い世界はさらに輝きを増し、僕たちを包み込む。

 僕のコートと、君のダウンジャケットを通して、互いの体温を感じ取れるようになるまで身を寄せ合って。


「少し、距離を置かない?」


 君がそう僕に告げたのは、君の友人に無理やりチケットを買わされた芝居を見終わって、半ば脱力気味の笑みを浮かべながら、スタバのようなシアトル系なんてないこの街では数少ないしゃれた内装のサ店で、スプーンにかき回されて渦を巻く生クリームを、見るでもなく見つめていたときだった。


「ん? なんの?」


 そういえば、来週はもうクリスマスだ。そんなことを僕は考えていた。君と迎える、三回目のクリスマス。それが過ぎれば正月。そしてバレンタインデー。僕の誕生日。春休み。ゴールデンウィーク。夏休み。君の誕生日。僕が彼女に告白した日。君が僕に答えをくれた日。そしてまたクリスマス。

 君と付き合い始めてから、当たり前のように繰り返されてきたルーティン。


「あなたと、私の、よ」


 そのとき僕は、笑っていただろう? たぶん。

 だけど、それ以外のどんな表情をしたらいいのか、分からなかったんだ。

 泣くには、僕はまだ君と過ごした日々の感情を引きずっていて。

 怒るには、君の言葉が僕の心に届くための時間が不足していて。

 そして呆れるには、君の言葉は重すぎて。


「じゃあ、ね」


 呆れたのは君のほうだったんだろうな。もしかしたら、怒ったのも君のほうかもしれない。だけど君は泣きもしないで、去年のクリスマスに僕が贈った指輪を薬指から抜くと、それをテーブルに置いて店を出て行った。

 ガラスのテーブルがピンクゴールドのリングとキスをする音だけが、僕の耳の中に残っていた。



 どうして? その疑問が頭から離れたことはなかった。予兆はあったのかもしれない。あまりにも、いつもそばにいたから、君が僕にとって特別な存在ではなくなった、そのせいかもしれない。だけど、僕にとって特別ではない、それこそが特別であるということの証だったのではないのか。多分違うのだろうな。それはきっと、僕の甘えだ。

 どうして?

 僕に分かるのは、その疑問に答えを出す方法だけだった。

 とても簡単なことだ。

 君を追いかけて、それか君に電話して、それとも君にメールを送って、訊けばいいんだ。

 どうして? って。


 でも、僕はその簡単なことよりも、その疑問を抱き続けることを選んだ。

 選んだ?

 そう、その疑問を抱き続けている限り、僕は君とつながっている気がしていたから。


(どう?)


 冬が始まる前に、君がおどけて耳元に飾って見せたイヤリング。クリスマスに彩られた店先で、君に送るつもりだったそれを見つめる。タウン誌のクリスマス特集ページを開いて、君が喜んでくれそうな店を探す。


 そして、君が見せてくれるはずだった笑顔を思い浮かべて、僕のクリスマスが終わった。


 君は何をしていたんだろう。もしかしたら、僕ではない誰かとともに過ごしていたのだろうか。

 でも僕は……


 僕の部屋、僕の体、僕の耳、僕の記憶、僕の意識、無意識。そこに残る君の匂い、君の感触、君の姿、君の意思、そして君の気配とともにいつもいたんだ。


 そして今、君の存在が薄まっていくのにこれ以上耐えられなくなって、こうしてメールを打っている。

 君と話したい。

 君と見つめあいたい。

 もし許されるなら、君を抱きしめたい。


 距離を置くことで、君がどれほど大切な人だったのか、僕は分かったよ。

 だから、今年もまた、二人で新しい年を迎えないか?

 午後八時、いつもの場所で待ってる。




 僕の世界は、白い雪に埋め尽くされている。

 君の部屋から見下ろせる公園は、夕暮れ前から降り続けている今年何度目かの雪で覆われていた。

 子供たちが作ったときは、きっと土の色に汚れていたはずのベンチの上の雪だるまも、今は白いコートに包まって、暖かそうだ。


 七時五十分。


 僕は、君の部屋を見上げる。五階建ての学生用マンションの四階の角部屋、そこに君はいる。ベージュのカーテンを通して、暖かな明かりが漏れている。

 僕はコートのポケットに手を入れて、マフラーに耳まで顔をうずめながら、それを見上げている。

 時間にうるさい君は、待ち合わせの五分前になると、部屋を出る。部屋の明かりが消えて二分後には、君は小走りに僕の方へと走ってくるはずだ。


 七時五十五分。


 君の部屋の明かりは、まだ消えない。僕の吐く白い息と、降り続ける白い雪が、僕と君の間にあり続ける。


 七時五十八分。


 去年の僕の誕生日に、君が贈ってくれたペアウォッチは、容赦なく時を刻む。君の部屋のカーテンに、影が映り、揺れる。


 部屋の明かりは、まだ消えない……



 分かっているよ。


 僕は、腕の時計を外すと、小さな雪だるまの、頭の上にそっと置いた。時計の針は、ちょうど八時を指していた。


 分かっている。僕に足りないものがなんなのか。



 僕の世界は、白い雪に埋め尽くされている。

 君はそれを溶かそうとしてくれていたのだろうと思うよ。

 だけど、君が残した足跡は、きっといつか、雪に埋もれて消えてしまう。

 明日になれば、僕がいた跡なんか、この公園からきれいに消えてしまうように。


 そういえば、君に言ったことはなかったかもしれないな。


 僕は、公園から出て、君の部屋を最後に振り返った。


「愛していたよ」


 その言葉は、雪に散らされて、虚ろになった。

 その雪を溶かすほどに熱い想いを、僕は抱き続けることが出来なかった。

 

 そして、僕の時計は、雪の下で凍えて、壊れてしまうのだろう。

 二人の時が、もう同じように刻むことは、ない。






(fin)

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