「白時雨」byヘボ
十一月下旬。早朝の住宅街に今期初めての霜が降りました。点在する裸の街路樹にも、立ち並ぶブロック壁にも、眠ったままの車の上にも、真っ白の霜が降りています。光が射し込めば、その輝きはさらに純度を増すのですが、あいにく空には暗雲がひしめき合っていました。
重い空の下。広がる氷の世界の一角に、なぜかこの時期に咲いてしまったたんぽぽがひっそりと花を咲かせていました。小さなたてがみを精一杯広げるたんぽぽ。しかし今は身体中に張り付いた結晶に、身も心までも凍らされてしまいそうです。がちがち震える声で周りの霜に尋ねました。
「どうしてこんなに凍てつく氷で世界を覆ってしまうのですか?」
霜はしばらく考えて答えました。
「そんなこと、あたしたちに聞いてもしょうがないわ。だってそういうものなんだもの。冬が近づけば霜が降りる。そういう風になってるのよ。まああなたのことは気の毒だと思うけど、仕方ないんじゃないかしら」
それっきり霜は何も答えることはありませんでした。寒さに震えるたんぽぽは、次第に呼吸も辛くになってきていました。
そこへ、ひゅるりと、枯葉を巻き上げながら北風が吹いてきました。北風はひゅるりひゅるりと気ままに街を駆けていきます。ただでさえ凍え死んでしまうんじゃないかと思うほどに寒かったたんぽぽは、北風の登場によってさらに寒くなってしまいました。身体が動かなくなるほどの寒さを、はんぽぽは初めて経験したのです。素直な驚きと濃くなる死の色にたんぽぽは感動しました。こんな世界があるんだ。たんぽぽはうまく回らない口をどうにか動かして、北風に尋ねました。
「どうしてすごく寒かったのに、もっと寒くなるようなことをするのですか?」
北風は少し考えて答えました。
「そんなこと、俺たちに言ったってしょうがないぜ。だってそういうもんなんだからな。冬が近づけば北風が吹く。そういう風になってんだよ。まああんたのことは気の毒だとは思うが、仕方ないんじゃないの」
それっきり北風が答えることはもうありませんでした。たんぽぽは運ばれてきた枯葉を眺めました。茶色く色あせた表面にはうっすらと霜が降りていました。
雲が早く流れていきます。空はどんどん黒く、暗くなっていきます。そのうちに、たんぽぽはぽつぽつと身体を濡らす雨に気が付きました。北風も強さを増しています。寒さで意識が遠のいていくのを感じながら、たんぽぽは降り始めた雨に尋ねました。
「どうしてこんなに冷たい雨を降らすのですか?」
雨は考えることなく答えました。
「そんなこと、おいらたちに聞いてもしょうがないさ。だってそういうもんなんだからね。冬が近づけば雨はやがて雪に変わる。そんなの道理なんだ。自然の摂理なんだよ。ほら、例えばこんな風にね」
そう雨がいうと、雨は次第に透明な粒から、白くどこか重みを感じさせるものに変ってきました。雨と雪が混じった白い雨。たんぽぽは霞む瞳でその雨を眺めました。
「時雨はみぞれに変わり、大地を冷やして、やがて雪を積もらせる。雪は世界を覆い、春が目覚めるその時まで静かに時間を止めるんだ。君にとってはこれ以上ない災難だろうけど、そういう風になってるんだよ。まあ君のことは気の毒だと思うけど、仕方ないよね」
それっきり雨は何を言うわけでもなく、しとしとと白い雨を降らしていきました。そうしてついに、たんぽぽの瞳は光を見ることを止めてしまいました。
白い雨がたんぽぽの身体に当たります。少しずつ少しずつ積もっていきます。北風が吹いて、いつの間にかいなくなってしまっていた霜に変わって、みぞれがたんぽぽの体温を奪っていきます。
いつしかたんぽぽは、冷たさや寒さを感じることが出来なくなってしまいました。感覚がどこにもないのです。目も見えない。何も感じない。そういえば音も聴くこともなくなっているようです。たんぽぽは静かに、自分の死を感じていました。一方で何だか吹っ切れた気分でした。
だって、全ては仕方のないことだから。
たんぽぽが十一月に咲いてしまったことも、霜が降り、北風が吹き、みぞれが降って、たんぽぽが死んでしまうことも、全部全部当然であるからこそ仕方のないことだからです。
たんぽぽは、穏やかな暗闇の中を漂いながら、奥へ、底へ、ゆっくりと落ちていきます。そこにあるのは巨大な一本の流れ。海から出でて、海へと帰る河。とどまることを知らないその流れを前にして、たんぽぽはこっそりあの枯葉に尋ねました。
「どうして僕らはここにいるの?」
けれど、ここにはもういない枯葉から聞こえる言葉なんてあるはずもなくて。
答えのない問いかけを秘めたまま、たんぽぽは河へと沈んでいきました。