彼の過ち、彼女の別離
4
夜の暗がりで、ひとり泣いている。
どうして泣いているのかなど、つまるところ彼女にしか分かりえない。
亡くしたばかりの少女は、彼のいなくなった夜に。
色褪せてしまった世界で。
たったひとりを、嘆いて泣いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「つーわけで、昨日のあれは大成功だったことと思う」
これはまた、突拍子もなく始めたものである。
目覚めての第一声がこうも奇抜なものばかりであると、いっそのこと楽しみにすらなってきた。
「あれ、そういやおまえって。
オレが寝てる間はなにしてるわけ?」
なにということもない、いつもどおりだ。
(目を瞑って、少しだけ寝たつもりになる。眠るなんて、それだけのこと)
――でもないか。不思議と眠くはならないものの。
「普通に寝てるけど? あんたが学校で見てたのと、たぶん一緒」
しかし考えてみると不思議な気もする。自宅ではないのが、よかったのだろうか。
(それとも独りじゃないのが――)
…………それこそ、そんなわけもないか。
「?? なにいってんの、おまえ?」
だから。なにということもない。
「気にしなくていいよ、こっちのことだから。
それで、なんだっけ?」
大成功がどうとか――何の話だろうか、ほんとうに。
「いや、だから。
今日はどこに行くのかって、そういう話」
「……なに、まだやるの?」
多少、呆れた声になるのも仕方のないところ。
「まだ序章だろ、昨日のは」
そうは言うものの。私のことはこれ以上理解させるつもりもない。くわえて。
これだけ底の浅い男を理解するには、もう十二分の時間をかけた。不本意ながら。
「もう十分でしょ、じっさい」
「いやー。まだまだこれからですよ、じっさい。
んで、どこに行くんだ?」
……またノープランなのか、この男は。
「…………」
「…………」
あわや溜め息もでようかというところ。……そういえば、幽霊になってからはめっきり減っただろうか。
なるほど、私はまだまだコイツの底の浅さを理解できていなかったらしい。
「けっっっきょく。私がまた行き先を決めたんだけど。
これって、ほんとに相互理解になってる?」
「オレは底が浅いんだろ? じゃあ、あとはオレがお前を理解するだけじゃん。
つーか。オレはお前と楽しめれば、それでいい」
心持ち、精一杯、徹底的に。コイツとの距離を離す。
いや、自分ではどうにもならないので、たいして離れようもないのだが。
「アンタ、結局は私のこと知りたいだけ?
だから、変質的だってば」
「好きなんだからあたりまえ!
そんなもん、変質的で片付けられてたまるかっ」
などとやりながら。
目的地――につながる駅を目指して道を行く。
電車で揺られることの、おおよそ二駅分。降りるそこには、ちょっとした森林公園がある。
ほんとうに〝ちょっとした〟ものでしかないので、森林公園と大手を振って呼ぶには抵抗がある。そんな場所。
森林公園。具体的な定義はどうなっているのだか。
まあ、ああも大きく森林公園と銘打たれた門扉があるのだから、疑うべくもないのだろうが。
「……私のイメージとは少し違ってたんだけど」
なんというか、こう。森林というからには埋め尽くされるくらいの木々があるだけの、緑豊かな感じをイメージしていたのだ。当時の私は。
実際には、そんなでもない。確かに比較的多いとは思うものの――正直、期待はずれだった。
「なに、おまえ。行ったことあんの?」
「一度だけ。まあ、だいぶ前だから。当時とは受ける印象も違うかもね」
自分で言い出した手前、あまり否定してばかりなのも頂けない。
ただ、公園のど真ん中を国道がぶち抜いているというのが、ちょっと。しかもそれなりに交通量もあるのだ、これが。
その国道というのが辺り一帯を東西に分けているのだが、東が住宅街――なんとなく雑多な感じだった――で、西が細々した店やらなにやら。雰囲気でいえば商店街か。半分に分けられた公園がそれぞれのエリアに侵食するような感じで存在している。
前回は確か――東公園のほうだけ覗いたのだったか。住宅街の影響か、訪れる子供たちを意識した施設――ジャングルジムやらブランコやらがやたらと多かったことだけはきっちり覚えている。もともと半分にされている公園が舗装路によってさらに三分割されているのだが、実に三分の二がそんな感じだった。残りの三分の一つが、ようやくの森林。
あとは公園内の外周を通す未舗装路がマラソンロードとして重宝していたような……。景観はよく、夏でも木々が日差しを遮って涼しいのだとか。
「へぇ、そりゃイイな!
うし、来年はオレも利用してみっかな♪」
…………そのノリ、私にはよくわからない。
なんとなく気まずいあの事故現場――踏み切りを迂回して、遠回りで駅に到着。切符を買――おうとして必要ないことに気づいて、意味もなく得した気分に。実際には三駅の距離だったので、その時間分だけ電車に揺られていた。
着いてみれば、駅から徒歩でも何分とかからない場所だ。前回は東公園だったので、今回は西公園へ。東側の門をスルーした後で国道をまたぐ大きな歩道橋を超え、やや遡って西森林公園・西門に到着。
……いや、西公園の門がいくつもあるわけではないのだが、そう明記してあるもので。
「へー、こんな感じか」
その声に、なんとなく感嘆の色を感じる。判らなくもない。確かに、これは――
「なかなか、かも」
意識せず、ぽつりと言葉がこぼれた。
造りとしては東とそう変わらないが、受ける印象がまるで違った。ゆっくりと歩きながら見る風景は、なんというか。
遊戯施設があるでもなく、芝生とベンチと数々の木々。それだけの空間が私をゆったりと包んでいるようで、心地いい。
「…………」
「…………」
二人して言葉もないままに、ぶらぶらと景色の中を通り過ぎていく。
それはそれで――いや、言葉にするようなことでもないか。
「な、そこ」
アイツの差す指の先には白のベンチ。その色はあまり好きとはいえないのだが、木陰に沈むようにひっそりとあるその姿には感じるものがあった。
「ちょっと休まね?」
だから、返事をするでもなく、頷いていた。
――――カン、カン、カン、カン……
何故だろう。どこからか響く音は、どこか不吉な感触がした。
アイツはベンチの端に腰掛けて、目だけで私を促してくる。だが、その白に躊躇して、結局はアイツの後ろにたたずんで、背もたれに手をかけるにとどめた。
別にコイツも無理にでも座らせたかったわけではなかったのだろうし、それに関しては何も言わずに肩をすくめただけだった。
「オレはさ、思ったんだよ」
語る言葉に、少しだけ驚いた。何がどうというわけではなく、身体を貫いていく木漏れ日に気をとられていたから。
――雨のように降る優しい光が、私をバラバラにしていく。
その想像は甘美だ。私の意識を散漫にしていくほどに。
「言い訳はいいっての。もう一回いうぞー。いいかー」
むぅ、嫌な奴め。
「結局のところさ、オレがしたいことってのは。未練がどうこうってことじゃなくて。お前のためにしてやれることがあるなってことなんだよ。
今の状況をどうにかしようってことじゃなくて、お前の全部をどうにかしようって」
「……なに、いってるの」
驚くくらいに冷えた、感情のない平坦な声は自分のもの。だが、アイツはそんなものに構うようなやつではなかった。
「頭の中だけでいろいろ考えたりとか、そのこと隠したりとかは苦手だから。ほんとのところを、取り敢えず言っておこうかと思って。
ただの宣言だよ。お前にも覚えがあるかもしれないけどさ」
ありもしない心臓の鼓動が、早まったように感じる。嫌な感触。
――――カン、カン、カン、カン……
まだあの音が聞こえている。いい加減に耳障りな――
「お前を幸せに、死なせてやるよ。オレが、きっと」 ………………………………………………………………………………………………………………………
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…………………。
「な、んで。それ――」
「……白状するとさ。お前の例の症状――認識障害? 原因はなんとなく分かってるんだ。
なんでかっていうと、見るんだよ。夢に。たぶん、お前の記憶」
言葉に、意識が飛びそうなほどの空白が押し寄せてくる。
「お前には出来なかったって。弟が最後まで幸せじゃなかったって、そう思ってるんだろ?」
この感覚は知っている。
「だから、そんなふうになっちゃったんだろ?」
わたしは、あのときも――
「でも、きっと違うぜ。幸せだったんだよ、あいつ」
そんなものは聞くまでもない。あの人が幸せでなかったはずがない。
「お前がそうしたんだ」
それはちがう。それだけは、絶対に違う。
「だから、お前はオレが幸せにしてやる」
あのときも、失ったんだ。
「それで、お前がちゃんとやれてたんだって教えてやる」
――もうなにも、聞こえてなんていなかった。
苦労をしてどうにか手に入れかけていたアイツという存在の意味――思いのほか大切な何かになりつつあった、そのすべてが意味を失っていく。私にとってどうでもいいカタチへと変質していく。
いまさっきまでこのベンチに座っていた人は、いまもここに座っている人と本当に同じなんだろうか。価値観の急激な変化に、認識が追いついていかない。わからない。
わからないわからないわからないわからないわからない……。
「お、おい?!」
呼びかけるフレーズは、私のことを知っているふうだ。だから。
深く、一つだけ息をついた。
「……なに?」
いつものように、落ち着いて。ある程度の距離を維持した、どんな関係にも当てはまる声を返した。
「…………」
なにか間違えただろうか。呼びかけておいて、返事をしても何も反応がない。
表情なんてものに意味がないのは普段とそうは変わらないことだが、こうした場合は少し困る。判断がつかないので、少し不安になってきた。
「なん、ですか?」
我ながら情けないことにも、恐る恐るといった風情の声になってしまう。知った関係でないのならと言い直したそれにも、やはり反応がない。……いや、待てよ。
いまの私は実体のない身の上。見えていないのだから、この人はもしかしたら独り言でも言っていたのだろうか。はた迷惑な。
「……あれ?」
気がつけば、耳障りにも思えていた音がなくなっている。少しだけ気分が楽になって、なぜか少しだけ哀しくなった。
日も暮れる頃、目を向けるとベンチには誰もいなくなっていた。あの人はもう家路についたのだろうか。
「どうでもいいか、そんなこと」
行く当てもないから、ひとり。木々のざわめきに立ち尽くすばかり。
どうということもなく漏れた吐息は、溜め息になっていた。




