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美月の詩歌  作者: はるか
3/10

彼の現実、彼女のリアル

「――な、んだ?」

 それはこちらの台詞ではないだろうか。ぼろぼろ泣き出したかと思ったら、いきなり跳ね起きての一言。意味が分からないにも程度がある。

「ゆめ?」

 あげく聞こえているにもかかわらず、聞き流しに掛かる仕打ち。

「……あー、わかったから。すこしだけ黙ってくれ。

 いろいろと混乱中なんだ」

 そう言われてしまえば、しがない非人間としては口も挟めない。挟む口など既になくしているわけだが。……ん? この場合の口は、実物ではなく言葉のことを指しているわけだし、私にもまだあるといえるのか。まあ、どうでもいいことか。

 ふと、重たげな溜め息が聞こえた。

「また? 結局さ、アンタだってけっこうな溜め息つきなんじゃない」

「わるかったな! そうだよ、こんなわけのわからんことになったら、誰だってそうなんだよ!!

 ……つーかお前、どーでもいいことばっかぐちゃぐちゃ考えてんのな。疲れねーの、そういうん?」

 言われて、少しだけ考えてみる。特にこれといった理由も思い当たらないので――というより、他の人間は私とは違うものなのだろうか?

 まあ、こうして質問されているのだからシンプルなのだろう。うらやまし……いのか?

「いや、改まってそんなふうに考えられると。頭んなかで何をどう考えてるかなんて、オレにもよく分からないな」

「???」

「???」

 二人して首をかしげて黙り込む。

「「まあ、どうでもいいか。そんなこと」」

 結局、同じ結論に辿りついたのは言うまでもない。


 あまり朝から馬鹿ばかりをしているわけにもいかない。私は構わないのだが、アイツには学校もある。それでさっさと部屋を出ることにした。

 着替えの際に一騒動あったことは――それこそ、どうでもいいことか。


「詩歌ー。しーいーかー。

 いいかげん、遅刻するんじゃないのー」

 いままさに部屋を出ようとして、アレを呼ぶ声。

 ……そういえば、そんな名前だったか。まあ、どうせ覚えてはいられないのだが。

「記憶しろよっ!?」

「……なにを?」

 応える声は私ではない。彼の――なんだろう?

「姉だよ、姉。オレの家は両親とも旅行好きでさ。日本各所は言うまでもなく、世界中を飛び回ってんだよ。

 だから、家にいるったら姉貴だけ」

「???」

 し――。あー、……コイツの姉もそれは怪訝顔にもなる。いきなり言わずもがなのことをしたり顔で説明されているのだから。

「――――っ!!」

 なにやら反駁しようとしたのだろうが、踏みとどまったらしい。どうやら少しは学習できたようだ。私と話す不自然さというものを。

「学習したからってすぐに身につくものでもないんだろうけど――特にアンタの場合」

「――んだとっ!?」

「きゃっ?!」

 応える悲鳴は私のものではない。彼の姉のものだ――などとまあ、このように。


 そこはかとなく漂う気まずい雰囲気が囲む朝食を台無しにしていたのも、ほんの数分のことだ。

(気心の知れた相手――いや、家族との食卓、か)

 どこか胸にうずく感傷は、ひとまず置いておいたほうがいいだろう。

「それで――ちょっと、聞いてんの、詩歌」

「ん、あ――ああ、聞いてる」

 なにやら気にしている愚か者もいることだし。

「それで、私は今日もやっぱり仕事だから。遅くなるから。

 外で適当に食べてきてくれる? もちろん、詩歌が自分で料理したいんなら――」

「あー、むりむり。なんか適当に作り置きしといてよ」

「あのねぇ。甘えてもいいけど甘えすぎるな。

 仕事もきついときに至れり尽くせりは、ほんとーに無理。朝食作ってもらえるだけありがたがれ。むしろ、崇めてもいいから」

 思わず、息が詰まる。

(……少し眩しくて、なんだろう。すごく、苦しい。なんでもない言葉や。なんでもない仕草が。そのひとつひとつが)

 こんなこと、聞かせてやるわけにもいかないから。慎重に、胸の奥底に。

 認めてしまうのは照れくさいが、この光景はきっと大切なものだ。心の中で、ひとつシャッターを切る。

 もう写真を撮ることはできないが、胸に焼き付けておきたかったから。


「いってらっしゃい」

 送り出す声は閉まった扉に遮られて、少しくぐもって聞こえた。

 それというのも慌てて家を出なければ、学校に遅刻しそうであったからだ。当然、アイツは全速力のぶっちぎりだ。

「なんていうかさー。それなりにきびきび動いてるのに、一つ一つの所作がとろくさいんだよね。その矛盾を成立させる才能は、何に由来するものなの?」

「うるさいっ!」

 誰が黙ってなどやるものか。

 とんでもない勢いで引きずり回されることになっている、こちらの身にもなってほしい。

 ……慣れた慣れないの問題ではないと思う、いいかげん。さすがに運動部。私の感覚はコイツの速度に、ついてはいけないのだから。だんじて私の怠惰が原因ではない。

「なんていうかさー。市中引き回しの刑は、人間が考案した中ではもっとも凶悪な刑罰だなって。しみじみと思っちゃうね?」

「…………」

 聞き流された。走ることにでも専念しているのだろう。

 いいけど。どうせ引き回されたことのない人間に、いままさに引き回されている私の気持ちなどわかるまい。

 ……不用意に分かるなんていうやつには、どんな手段を用いてでも目に物を見せてやろうというものである。


 着いてみれば、学校はいつもと同じだった。別に変わったところなどない。

 なにを感じることもなく、ただ平静に。当たり前のことを、当たり前のように受け入れた。

「なにいってんだ、おまえ?」

「べつに。たいしたことじゃないし」

 ばっさり切って、思っていたよりも余裕のあった始業のチャイムに耳を傾けた。

――――からり

 いつも五分は遅れる担任教師が、待ち構えてでもいたかのように、教室の前ドアを開いて現れた。

 緊張でもしているのだろうか、などとは端から思いもしない。自身の立ち位置くらいは、自分で把握できていたつもりだ。

「おーい、静かにしろ。静かに。

 連絡事項。おい、前の席の奴。このプリントを後ろに回してくれ」

 担任の人柄のせいか、みんなは一向に静まろうとしない。それを考えれば、プリントの配布というのもなかなか上手い手だったかもしれない。

 プリントが半ばの席を回る頃に、少しだけざわつきの気配が変わった。それも一瞬のことではあったが。

「???」

 座席が最後席にあるコイツは、いまだ怪訝な顔をしている。察しの悪いことだ。

「あのなぁ、そういう言い方は――」

 私に対する抗議もそこまでか。プリントはようやく、彼の手に。

 そこには私の死亡通知と言って差し支えのない文面が並んでいた。

 コトは簡潔に。どうした事故(もちろんコイツの名前は載っていないが)で、どのような結果になったか。それとついでのような、私の葬儀に関するあれこれ。

 プリントを眺めていた彼の顔が、色を失った。

 かける言葉もない。いまはそっとしておいてやるのがいいだろう。

 とくになにということもなく、周囲の様子を窺ってみる。

「事故だって――」

「ああ、でもまあ――」

「それよりさ、今日の帰りに――」

「葬式かー。まー休むけどね」

「じゃ、あたしも――」

「「ま、あいつだしねー」」

 乱雑に拾い上げていた会話も、そろそろ日常のものへと切り替わっていくところか。こうして眺めていると、プリントが配られた順なのだろう。前のほうから波が引くように、私の死が通り過ぎていく。

 その光景はなかなかに興味深い。

「……んなよ」

「え?」

 あまりにも静かにしているものだから、存在自体をすっかりと忘れていた。だから、迂闊にも聞き返してしまったのだろう。

「ちょっと! まち――」

「ふざけんなっつったんだ!!」

 とっさの静止も間に合わない。いきなりの大音声に、教室がシンと静まり返った。

「クラスメイトだろ?! なんなんだよ、それ!

 薄情にもほどがあんだろ泣くフリしろとはいわねぇけど悼むくらいはしてみせろよ!!」

 まただ。なにをいっているのか分かりにくいったら。

 それに、彼らの反応は私に責任があることだ。日がな一日誰とも話さずに寝てばかりいるようなやつは、クラスメイトだと認識することすら難しいだろう。

「そんなこと――っ!」

 よほど頭に血が上っているらしい。私にいちいち反応を返すな、バカ。

 くそっ、と小さく呟いて。何が耐え難くて、何がきっかけだったのかは分からないが、バカは教室を飛び出していく。

 去り際に見たクラスの面々は対応に困っているらしく、一様に戸惑いの表情。

 なにかにつけ申し訳なくなってしまった私は、みんなには見えているはずもない頭を深々と下げていた。


「もー、アンタはぁ。さっさと教室に戻れば?」

 ずかずかと歩き通し。こちらの苦言を聞き入れる余裕もなさそうだ。できれば省みてほしいところなのだが――いろいろと。

「うるさい。オレは教室に戻る気なんかないからな!」

 ……これだ。思わず、溜め息もつこうというものである。

「それで。教室に戻る気なんかないところのアンタは、いまどこに向かってるって?」

「おまえんち」

 ……一度も案内したことはなかったはずだが、なぜ私の家を知っているのかは訊かないほうがいいのだろうか?

「そ、れは……変な勘違いすんなよ。帰り道が同じ方向だから途中までなら――」

「途中まで、ねぇ? 私は案内する気なんてないからね。

 そもそも私の家になんて、行ってどうするのよ?」

「どうって、いろいろだよ。オレはお前の最後を見てたわけだし、その話とか。

 それに家の人、大変だろうから。オレは葬式のことなんて分からないけど、なにか手伝えることもあるかもしれない。

 なんにせよ、あんなところにいるよりはましだろ」

 やばい。あるはずもない頭が痛くなってきた。

「あのねぇ。まず、その感覚が普通じゃないし。

 話だけならともかく、葬儀の手伝いなんて。内輪の話に首を突っ込んで欲しい人なんているわけないでしょ。

 それに、アンタは配られたプリントをちゃんと読みなさい。葬儀は学校の受け持ち」

「え?」

 あー、面倒だ。なんだって他人に、私の家の事情なんて。

「だから、私は独りだから。家族どころか親類もいないのに、誰が葬儀なんて。

 でも。生徒が死んでるのに葬儀もなしじゃ体裁が整わないでしょ、学校的には。だから、学校側で面倒を見てくれるんじゃない?」

「……ひとり? だって」

 何を考えているのかは知らないが、ようやく立ち止まる気になったらしい。いいかげんに、引きずり回されるのにも疲れていたところだ。なにせ姿勢が傾斜40度(早歩きでコレだから、走られると仰向けにも近くなる)でふわふわ固定されている。ついこの間まで直立していた身としては、あんな不安定はなるべくなら遠慮したい。

「あー……、すまん」

 ふむ。歩き出したその速度は、だいぶ、ゆっくりとしたものだ。いつまでこんな状態かも分からないことであるし、ぜひともこの間合いは覚えておいてもらいたい。

「気をつける。……でも学校には戻らない。

 とりあえず今日はウチに帰るわ。少し話そう。これからのこともそうだけど――昨日の夜にお前がした話も、きちんと聞きたくなった」

 ……まあ、そんなところか。


「――で、だ」

 部屋に着くなりとは唐突だが。まあ、済ませるべきことは、早めに片付けたほうがいいだろう。

「どっちにする? これからの話か、それとも昨日の話か」

「とりあえず昨日の話だろ」

 これは水を向けられているのだろう。……しかたがない。

 建設的な話をするためには、少しばかり後ろ向きな話もしなければならない。そういうことは、日常においてもままあろう。

「私には幽霊になる理由がない。だから、その私が幽霊になるのはアンタのせい。

 これは昨日の夜にも言ったことだけど――」

 さて、どう話したものだろう。いざと思えば、なかなか難しい。

 とにかく、私についてが先決か。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 私にはある種、独特の認識障害がある。もしかすると違うのかもしれないが、とにかく障害であることには違いない。

 アイツの名前が覚えられないことは、結局のところ、そこに由来するものだ。

 私にとっては固有のものを意義づけることが非常に難しいのだ。だから、アイツに限らず個として存在するものの総てが、とても曖昧であやふやなものに感じてしまう。

 例えば、『乗り物』であるのなら私の中に確かな価値観が存在し、理解も伴う。その中で『自動車』となるとイメージの鋭さが鈍る、とでも言えばいいのだろうか。そこから『ワゴン』だとか『軽自動車』だとかになると、どう捉えたらいいものか首を捻ってしまう。さらに『どこどこ社のナントカいう車』なんてものはお手上げだ。私の中では『自動車』という価値観しか付加されない。違うということは分かるのだが、その『違うということ』に意味を見出せないのだ。そういうものか、で思考が止まってしまう。

 そこに好きや嫌いといった感情は生じ難いし、興味なんてものは以てのほかだ。なんでもいい、想像してみてほしい。自分にとってまったく興味がないもののことを。価値がないのではなく、価値が分からないもののことを。

 クラシック音楽を好きな人が、ロックミュージシャンの名前やら曲やらを覚えようとするだろうか。それと同じだ。だから私は必要に迫られない限りは、名前を覚えたりなんてしない。覚えたからって、そこに意味なんてないのだから。


 ……生まれたときからの症状だというのなら、別にどうということもないのかもしれない。世界はそういうものだと割り切れるのかもしれない。

 だが。

 以前の私は、もっとずっと豊かな世界の住人だった。いきなりこんな世界に放り込まれて――いや、そんなことは、どうでもいいことか。

 それに。

 私は世界を放逐されるもっと以前から、ずっとずっと空虚だったのだから。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「……ほれ」

 いきなり新聞を突きつけられた。なにやら写真のところに添えられている人差し指を見るに、この人物の名前を答えろということか。

「日本の内閣総理大臣、神鳥 鴉鷺(かんどり あろ)

「覚えてんじゃねーか?!」

「私だって新聞くらい読むし。社会通念の一通りくらいは覚えるよ、それは」

 一生懸命に説明した私が馬鹿みたいだ。いまいち理解して貰えなかったような。

 とりあえず、問題の焦点はずれていそうだ。

(……まぁ。あのむくれた顔を見ると「オレの名前は~」とか拗ねてるだけの気もするけど)

「そんなもんかぁ? ……なんか納得できないけど。まあ、お前がそういう奴だってことは、それでいいとしよう。

 でも、なんで? どうなると、そんなふうになっちまうんだ?」

 別に事故が原因の後遺症だというわけではない。……後遺症という点に誤りはないが。精神的なものだ。

「精神的って?」

「そこまではっ! べつに、説明する必要ない。

 ……聞かれたく、ない」

 声が震える。みっともないのは分かっているが、それでも止められない。

「わるい。無神経だった」

 くそ。こんなのに気遣われるなんて。

「……いいけど。お前のオレに対する認識は、もう分かってるつもりだし。

 それで。その話からなんで、お前が幽霊にならない話がでてくるんかね?」

「ここからは世にいう一般論も入ってくるんだけど。

 私に未練なんてあったと思う?」

「そりゃ、あんな急に――」

「こんな世界にいる私に。未練なんて、あったと思う?」

 ほんとに、とろくさい。

「どんな死に方をしたって、未練なんかカケラもないよ。

 それどころか。私はもっと早くに死んでもよかった――不謹慎だけどさ」

 とても逢いたい人がいるんだよ、とは口に出しては言えないけれど。

「……きこえてんだけど」

「え?」

 少し、感傷に浸っていたかもしれない。コイツがなんて言ったのかは、うまく聞き取れなかった。

「べつに。ただ――」

 ただ、哀しそうに見えたから――とは、まあ、言ってくれたものである。生意気にも。

「とにかく。この世に未練のない私が、幽霊にはなれないでしょ、実際。いや、一般論だけどさ」

「むー。肯定も否定もしにくいな、それ。

 じゃあ、お前が幽霊にならないとしたらさ。なんで、いま。そんな面白いことになってるわけ?」

「だーかーらー。アンタのせい」

 実際のところを口にしているのに、そんな不審げに眉を顰められても。

「だって、アンタは未練たらたらでしょ。私に」

「――なっ?!」

「好きだった女の子にふられてー、好きだった女の子をころしちゃってー。

 これで私に未練がないとか言われても。

 だから。いまの私は地縛霊あらため呪縛霊、ならぬ受縛霊ってことでひとつ」

 なんというか。

 嬉し恥ずかしな青春まっさかりを思わせるおもしろい表情で固まっている。あー、ぜひとも写真に収めておきたいかもしれない。

 そんな幽霊三日目のうららかな午前――って。まだ、昼時にもなっていないのか。





「はっ!?」

 などとはいまさらだ。もはや日も暮れようとしているというのに。

 いったい何時間ほど固まっていたことなのやら。

 とりあえず、これで幽霊三日目はつつがなく終了か。いや、この後は特に語るべきこともなかったのであしからず。

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