3話 膝枕
あれから数日。
今日も俺が弁当を片付けた頃、舞岡はいつものようにやってきて、隣に腰を下ろした。
よほど教室に居づらいのだろうか。まあ、こいつがいるのにも慣れてきたし、別にいいんだけど。
◇
「それでさー、何か廊下を歩いてるときとかね、気がつくと知らない女子が私のことを睨んでたりするのよ。怖くない?」
「こわー。よほど恨まれてるんだろうなぁ」
俺は適当な相槌を打ちながら、ペットボトルの蓋をひねる。
かれこれ十五分は話している。……そろそろ寝たいんだけど。
「何で私ばっかり……」
「気づかないうちに何かしてるんじゃないか? 彼氏を寝取ったりとか」
「寝取ってて気づかないわけないでしょ!? 告白してくる男なら結構いるけど、そんなのどうしようもないじゃん」
「それはそうだね」
こいつが男に手を出しているわけじゃない。美人なので、普通に過ごしているだけでモテるのだ。誰かの意中の男に惚れられたとしても、こいつに非はないだろう。
「私、ほんとに何もしてないのに……」
……俺が今まさに迷惑してるけどな。
「うーん……まさか、お前……」
「え、何?」
「昼寝の邪魔でもしたとか?」
「……」
舞岡がジト目を向けてきた。
「……もしかして、あんた私のこと恨んでるの?」
「いやいや、そんなわけないじゃないか」
貼り付けたような笑顔を返すと、舞岡はさらに眉を寄せる。そろそろ教室へ帰ってくれ。眠い。
「ていうか、あんたも教室では猫を被ってるわよね? 私にはそっけないくせに、みんなには笑顔で話してるし」
どうやら舞岡は教室で過ごす俺をようやく認識したらしい。認識すんな。
「そりゃお互い様だろ。最初に突っかかって来なけりゃ、お前にだって愛想よく接してたんだ」
昼休みじゃなければ。多分。
「今日は胸の大きい女子に『勉強教えてー』とか言われて、デレデレしながら教えてたわよね?」
……確かに勉強を教えた記憶はあるけど、俺は優等生キャラでそつなく対応しなかっただろうか。
「……デレデレしてただと?」
「してた。めちゃくちゃしてた」
え、俺そんなにデレデレしてたの? もしかしていつもそうなのか? やばいじゃないか。
「……今度から気をつけるよ」
「その方がいいわ」
反省しよう。これからはどんな女子が相手だろうと、優等生の仮面を崩さないようにするんだ。できるかな……。
それはともかく、本当に眠くなってきた。休み時間もどんどん減っていくし。
何でこいつはまだここにいるんだろう。いつもならある程度話を聞いてやれば教室へ帰るのに、今日は腰を落ち着けたまま、一向に立ち上がる気配がない。
「なあ、お前そろそろ教室へ帰らないの?」
「そうね。まだ帰らないわ」
「……何で?」
「別にいいじゃない。ここがあんたの場所だって誰が決めたのよ」
不測の事態だ。こいつは明確な意思を持って、まだこの場に居座ろうとしている。俺が寝たいのは恐らく伝わっているはずなので、わかった上で開き直っている。
昼休みの仮眠は午後の授業に耐えるために欠かせないのに……。
俺は舞岡がここに留まろうとする理由を考える。
そして当然のように一つの結論に至ると、彼女に哀れみの視線を向けた。
「やっぱり友達がいないのか……」
舞岡は「ぅ……」と言葉を詰まらせ、わずかに視線を落とす。
「……一人いるわよ。別のクラスだけど」
一応友達がいると聞いてほっとしたが、同じクラスじゃないのか。そりゃ教室に居づらいのも無理はない。
俺も気兼ねなく話せる友達は一人しかいないから似たようなものだが、そいつは同じクラスだ。友達がそばにいるのといないのとでは、教室での居心地が全然違うだろう。
「なるほど。その子はクラスに友達ができて、昼休みに相手をしてくれないんだな? だから構って欲しくて来てるのか」
「うぇ!? 何でわかっ……そうよ! 何か文句ある!?」
「あるっつの。眠いんだから」
「冷たいわね! もっと優しくしてよ! 私これでも男には人気あるのよ? 昨日も告白されたし!」
昨日もって……告白されるのってそんな日常的な感じのことなのか? こいつマジでモテるんだな。
「だったらその男のところへでも行けばいいだろ」
「嫌よ。そしたらにこにこ愛想笑いを浮かべていい子のフリをしなきゃいけないじゃない」
あ、こいつ! ついに舐めたことを言い始めやがった。
「じゃあ何? お前がここにいるのは決定で、さらに俺が他の男と同じようにちやほやしろって言いたいのか?」
「その通りよ。もっと私に優しくして、いい感じに甘やかして!」
「さよなら。お前のわがままに付き合う気はない」
俺はため息交じりに両手を組み、枕代わりにして寝転んだ。
こんな馬鹿は無視してもう寝よう。気を遣いながらでも、教室で過ごすなり他の男と過ごすなりすればいいんだ。女子に嫌われていると言うが、特にいじめられているわけでもないし、もう知らん。
「私はどこにも行かないわよ」
「……だからなんでだよ」
意味がさっぱりわからない。なんでこの場所にこだわるんだ。
……その友達と違って、俺は一人でいるからか。
うーん。もう俺が別の場所を探すか? 面倒だな……誰も来ない場所なんてあんまりないし。大体、新しい場所が見つかったとしても、またこいつが来たらただのイタチごっこになる。
「そんなに私といるのが嫌なわけ?」
舞岡は「むぅ」と唇をとがらせる。見るからに不満げだが、不満なのはこっちの方だ。
「あのなぁ、俺は眠いって言ってるだろ」
俺も昼休みでなければ、こいつと一緒に過ごすのは嫌じゃない。悪い奴ではないし、他の生徒と違って気を遣わずに済む。
でもこいつがここに来なきゃいけないのは昼休みなわけで。
「昼休みに寝てるのなんてあんただけよ?」
「そうだね。だからわざわざ人のいない静かな場所に来てるんだよ。わかったら帰ってくれ」
「冷たくしないで! 教室にいても面白くないのよ! 女子は知らない男の話ばっかりだし、男子は男子でつまんない話をしてるか騒いでてうるさいし。しかもたまに告白に呼び出されて面倒くさいし。あんたと話してる方が楽だし楽しいもん!」
こいつ、俺と話してて楽しかったのか。楽しませた覚えは全くないんだけど。
恐らくこいつが楽しいのは、好き勝手に喋っているからだろう。教室じゃそんなことできないからな。
要するに、素を出せる場所と相手が必要なのだ。
でも冷たいと言われるのは少し心外だな。しばらくは世間話や愚痴に付き合ってるし。最終的に寝たいから帰らせているだけで。
うーん……どうしたものか。
そうだ。対価にセクハラじみたことを要求して、ここに居座る気をなくさせればいいんじゃないか? うん、それでいこう。ただしあまり酷いのは駄目だ。悪評が立ったり訴えられるリスクがある。こいつが嫌がるギリギリのラインを狙うんだ。
「だったら膝枕でもしてくれないか? それで俺も眠れるしお前もここに居られるし、ウィンウィンだろ?」
「は? 何でそんなことをしなきゃいけないのよ? ふざけないで」
舞岡は眉間にシワを寄せて俺を睨んできた。
まあ、嫌がられるのが狙いだったわけだが……どうにも釈然としない。
こいつは俺に迷惑をかけてでも居座ろうとしているんだから、膝枕くらいしてくれてもいいんじゃないのか。
しかも断っただけで、立ち去る気配もないし。
どうする? もっとセクハラレベルを上げるか? 例えば胸でも触らせろとか、スカートをめくらせろとか。
……いや駄目だ。リスクが高すぎる。俺は一体何を考えてるんだ。そうじゃないだろ。穏便に解決するんだ。
うーん……。
ここは北風と太陽の発想で、逆に思い切り優しくしてみるのはどうだろう。その上で、帰ってくれるよう丁寧にお願いするんだ。セクハラ作戦よりはマシだ。やってみて損はないからな。
俺は再び体を起こし、微笑んでみせる。
「なあ、俺はお前と一緒にいるのが嫌なわけじゃないんだ。美人だし、本当はお喋りするのも結構楽しいんだよ」
「えっ? そ、そう? そうだったんだ……」
舞岡の顔がうっすら赤くなっている。とりあえず拒絶反応は収まったみたいだ。よしよし。
「だけどどうしても昼休みは眠くてさ。こればっかりはどうしようもなくて……午後も授業があるから体力を回復させたいんだ」
「そっか……うん」
何だか理解のある反応だ。これなら切実に頼めば帰ってくれるかもしれない。
「俺だって美人な舞岡さんと一緒にいたいのはやまやまなんだ。けど、それはどうしても──」
「なるほど。それで美少女の私と枕を同時に得ようとしたわけね?」
……全然違う。それはどうしてもできないって言おうとしたんだ。
さっき「膝枕をしてくれ」と頼んだのが、変な感じで布石みたいになってしまった。
「うーん……そういうことなら、どうしようかな……」
舞岡は頬を染めながら、指先をもじもじさせ始めた。
あれ? 何だか別の方向に悩んでいるような……膝枕をするかどうかを考えてないか? こいつ、もしかして帰るっていう選択肢が全くないのか?
いや、まだ諦めるには早い。
「ほんとに優しいよな、舞岡さんは。さっきは嫌そうにしていたのに、今は少し悩んでくれてるし。それだけで嬉しいよ」
「三島君……」
「だけど無理しなくていいんだ。可愛くて天使のような舞岡さんに迷惑はかけたくないからさ、俺のことは気にせずに教室へ帰って──」
「仕方ないわね! 膝枕してあげるわ」
「えっ」
思わず間の抜けた声が出た。あれ? 今OKが出たような……。
「何だって?」
「何って、膝枕してあげるって言ったのよ」
「……マジか」
ちょっとおだてただけなのに、なんてチョロい奴なんだ。将来が心配になる。
でも、そうか。膝枕してくれるのか。
「あ、舞岡さん。模範解答は、『ちょっと恥ずかしいけど……あなたがどうしてもって言うなら、いいよ……?』なので、そんな感じでお願いします」
「あんた私にどんなキャラを期待してんの!?」
しまった。つい魔が差して余計なオプションを要求してしまった。だってちょっと言われてみたかったんだよ。
とにかくもう一度おだててみよう。
「舞岡さん」
「な、何よ……?」
「キミは本当に優しい女の子だと思うな。素直でおしとやかで思いやりがあって……えーっと、優しくて美人で理想の女の子だなぁ」
もはやおだて方も雑になる俺。なんか面倒くさくてどうでもよくなってきた。チョロいからいけそうな気がするし。
「そ、そうかな? えへへ……」
ほらね。お前は褒められれば何でもいいのか。
「えーっと、じゃあお願いします」
「っ………………わかったわよ」
舞岡は視線を彷徨わせ、眉を寄せながら頷く。一体何を悩んでるんだろう。もう教室へ帰ればいいのに。
やがて覚悟を決めたのか、スカートの裾を気にしながら、そろそろとこちらへ近づいてくる。
そして正座を崩したような女の子座りをすると、上目遣いで俺を見つめてきた。
「ちょっと恥ずかしいけど……あなたがどうしてもって言うなら、いいよ……?」
「!?」
えっ、それを言うのか!?
自分で指定しておいて何だが、予想以上の破壊力だ。恥じらうような表情もなんかドキッとしたし……。
舞岡が俺の反応を待つように、不安そうにこちらの様子を窺ってくる。
「……何で何も言わないの?」
「いや……予想よりよくて、ちょっと感動したんだ……」
「そ、そう? そっか。えへへ……」
舞岡は顔を赤くしたまま、嬉しそうに照れ笑いを浮かべる。
「何かありがとう……」
「……あ、はい」
何だかぎこちないぞ。どうするんだ、これ。
……いや、ここまで来たら膝枕をしてもらうしかない。
「じゃあお言葉に甘えて」
「わっ……」
俺は体を傾け、ゆっくりと舞岡の太ももに頭を乗せた。スカート越しに柔らかな感触と、微かな体温が伝わってくる。
「……っ、普通に……!」
舞岡がスカートの端をきゅっと握る。
「じゃあ静かにしててね。寝るから」
そう告げて目を閉じる。すぐそばに、舞岡の息遣いが聞こえる。
「……はーい」
その後、舞岡は本当に静かにしていてくれた。チョロくて、驚くほど流されやすい奴だ。
そのまま、俺の意識は遠のいていった。




