編舞の約束と忘れられた旋律
朝の薄光が氷面にキラリと反射し、関西アイスリンクはどこか澄んだ緊張感に包まれていた。
関西青少年選抜決勝の余韻がまだ残る中、少年たちの練習の熱意が冷気を溶かしていた。
佐藤珏は氷面で3Aの助走を繰り返す。
スケートブレードが氷を切る「シャッ」という音が、周りの練習曲をかき消すほど鮮やか。
跳び上がる瞬間、空中で軸が少し流れ——着地の刹那に足元が逃げ、「ドン」と鈍い衝撃が膝に響いた。
「高度が足りないのは変わらない。」
鹿島コーチが杖をついて近づき、氷上の珏を見下ろす。
「お前は回転が速い。だからこそ、跳び出しの弾みがつけば、一気に高さが出る。弾む感覚を覚えたか?」
珏は雪を払いながら立ち上がる。
手心の擦り傷が少し痛むが、胸の星の徽章を撫でると、力が戻ってくる。
「……まだ少し。膝がちょっと痺れる。」
「練習は急がず。」
俊介おじさんがペットボトルを差し出し、指で珏の頭を軽く揉んだ。
「宋監督から連絡が来た。今日は事務所に行こう——世青賽の優勝者の動画を見せてくれるって。ちょっと刺激受けよう?」
事務所の蛍光灯が明るく照らす会議室で、画面に映るのは金髪の美少年、イリヤ・サフセンコのフリープログラム。
ピアノの旋律に合わせて、流れるような滑行と精確な3Aが繰り広げられ、転体の速さと着地の安定感が圧倒的だ。
「去年の世青賽チャンピオン。五種の三周跳が完璧で、演技力も成人組並みだ。」
宋監督が椅子に座り、画面を指さす。
「これが君たちの目標だ。同じ年齢とは思えない完成度だろ?」
珏の視線は画面から離せない。
少年の跳びは力強く、まるで空に浮かんでいるような滞空感があり——自分の3Aと比べると、軸の締めるタイミングが少し遅れてることに気づいた。
「……すごい。こんなに安定してる。」
「君の長所は回転スピードだ。」
俊介が肩を叩く。
「だから編舞でその長所を活かす必要がある。今のプログラムでは、まだ君の力が出切れてない。」
次に映るのは日本の選手、寺岡隼人的パフォーマンス。
滑らかなエッジの使い方と音楽との契合度が驚異的で、珏は無意識に見入ってしまう。
「この曲……耳に馴染む。」
「ミシェル・ラグランドの『1942年の夏』のサウンドトラだ。」
俊介の声が柔らかく響く。
「お母さんが妊娠中、胎教としてよく聞かせていたよ。病院で見た、あの半開きのまなざしと同じぬくもりが、この旋律に込められてるんだ。」
珏の心臓が「ドキッ」と跳ぶ。
忘れていた記憶が蘇る——暗い部屋で、母の手が自分の頭を撫でる触感と共に、この旋律が流れていた。
「……思い出せる。」
声が自然と震えていた。
宋監督がクリックで画面を閉じる。
「今年の予算が増えた。君たちに新しいプログラムを作る費用を批準する。俊介、珏を連れて、金さんのところに行け。あの人が編舞すれば、君の可能性を最大限引き出せる。」
金塑龍の工作室は古い町並みの中に隠れている。
ドアを開けると、生地の香りとピアノの音が漂ってくる。
「俊介、久しぶり。前に話してた外甥って、この子か?」
金さんは眼鏡を推しながら笑い、珏に手を招いた。
「さっそくだが、腕を上げてみて。肩のラインと手先の使い方を見せて。」
珏は照れながら腕を上げる。
金さんはじっと見つめ、指で空中をなぞる。
「上半身の柔らかさがいい。静かな旋律が生きる体だ。プログラムの音楽は、この『1942年の夏』にする?」
「短プログラムはどうするんですか?」
珏が小さく聞くと、金さんが楽譜を広げた。
「『Jane Eyre Theme』がいい。短プログラムは緊張感が走る構成、フリーは物語性を重視する——どちらも君の内側の強さを引き出せる。」
「ほんとに……俺でも? この曲の思いを伝えられるか?」
少年の声が小さくもれ、俊介が横から拍肩した。
「もちろんだ。君が練習する姿を見てる限り、絕対にできる。」
「そうだな。」
金さんがピアノを弾き始める。
柔らかな旋律が部屋に満ち、珏の目を閉じる——母の温かい手、ベッドサイドで流れていた音楽、忘れていたぬくもりが重なり合う。
夕暮れの光が工作室の窓を染める。
珏は金さんから渡された楽譜を胸に抱く。
——軸を締めるタイミングを練習しよう。
——新しいプログラムで、自分の全力を燃やそう。
——母に見せるために。
少年の足取りは少し軽くなり、編舞の約束が結ばれ、新しい挑戦の幕がゆっくり開けた。
みなさん 第八章まで読んでくれて超感謝!
珏の3A練習、金さんの編舞提案、母の思いが込められた音楽… どれもワクワクする展開でしょ~?
気に入ってくれたら、ブックマーク&高評価お願いしちゃう
応援が珏の練習の力になるよっ!
次の章で再会しましょう




