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3T+2T連跳の壁と、揺れた母の瞳

大阪の朝靄がまだ残るころ、佐藤珏のスケートブレードは、氷の上で「キンッ」と軽い音を立てて三筋の弧を描いていた。

二週間続いた水・金の特訓で 3T の成功率は七割まで上がったものの、鹿島コーチの今日のひと言は相変わらず容赦ない。


「3T+2T 連跳だ。今週中に三回は着地させろ」


まるで氷点下の宣告。


「重心が遅い!」

杖が氷を叩くたび、細かい氷片が跳ねる。

「連跳は足し算じゃない。3T の着地“瞬間”に次の軸を作れ!」


珏はバリアにつかまり、湿ったプロテクターの掌で息を整えた。

四回連続で転んで、右膝のプロテクターには白い擦り跡がついている。


「おい、生きてる?」

寺岡隼人が 3A の助走を止めて滑り寄ってくる。

スケートで跳ね上がった氷が珏の靴に当たった。


「少し休もうぜ?俺も三回転んだし。てかさ——あんまり上手くなられると、コーチの目線が全部そっち行くんだよなぁ。困るわ〜」


「はいはい」

珏は苦笑しながら、ポケットから小さなスマホを取り出した。


今朝、父から届いていたメッセージ。

——「母が昨日、少し目を開けた。声に反応もあったらしい」


三回読み返した文字。

思い出しただけで、膝にぎゅっと力が戻る。


「よし、もう一回」

白い息がすぐに冷気へ溶けた。


助走、ジャンプ、回転、着地——

3T は綺麗に決まった!


その瞬間、右足を蹴り直し 2T の体勢へ——

だがバランスが少し流れ、氷に「ドンッ」と倒れ込む。


首元に散った氷がひやっと刺さる。


「焦るなって言ったろ」

鹿島が落ちた手袋を拾い、珏の頭を軽く小突いた。

「着地で膝をもう少し沈めて、力を脚に溜めろ。俺なんて昔 3T+3T 練習して、一ヶ月毎日転んでたわ」


氷の傷跡を指でなぞりながら、ぼそっと続ける。


「お前は俺より速い。けど、勝ち急ぎすぎだ」


その声を聞いて、ふと母の言葉が蘇った。

——「一歩ずつ踏めたら、もっと高く跳べるよ」


昔バレエの練習をしていたころ、母は温かいココアを魔法瓶に入れて持ってきてくれた。

「冷めると喉に悪いよ」と笑いながら。


「ほら、十分休憩」

俊介おじさんが弁当箱を片手にやってきた。

フタを開けると、鮭おにぎり、玉子焼き、ミニトマト……その下から こっそり隠したどら焼き がひょっこり出てきた。


「……あ、それ翔太の?」

珏の目が一瞬で輝く。


「そう。『兄ちゃん疲れるから甘いの入れてあげて』だとさ」


「え、ずるっ!俺んとこには!?」

寺岡が弁当箱を覗き込んで騒ぐ。


「隼人は『兄ちゃんがんばれ絵』描いてないからね〜」

冗談を返すと、寺岡は「ぐぬぬ」と口を尖らせた。


どら焼きの甘さがふわっと広がり、胸の奥まで温かい。

翔太は今日は家で、母のリハビリ資料をおばあちゃんと整理している。

ロッカーに貼ってある“丸っこい小人が滑ってる絵”も翔太の作品だ。

周りに星がいっぱい描かれているのが、なんとも彼らしい。


リンクの中はにぎやかだった。

氷を切る「シャッ」という音、子供たちの驚き声、スピーカーの低音。

暖房と冷気が混ざりあって白い靄になり、ゆらゆら揺れる。


「そうだ、来月の始めに“ちょうどいい機会”がある」

俊介がわざとらしく前置きしながら、珏のスケート靴を拭いた。


「君と隼人の名前、申し込んだから。……まあ、試しに出る程度だけどな」


「って、それ関西青少年選抜予選じゃね?」

寺岡が即食いつく。

「今年は絶対決勝行く!珏と一緒に!」


珏の胸がぎゅっと鳴った。

花滑を再開して初めての正式大会。

賞金は少ないけど、決勝まで行けば露出も増える。

スポンサーがつく可能性だってある。


(母さんのリハビリには、まだまだお金がかかる……)


力になれるなら、早くなりたい。


休憩後、珏は氷面に戻った。

今度は「成功させる」じゃなく、「膝の緩衝」だけを意識する。


3T——着地、膝をふっと沈める。

力が氷へすっと溶け、次の 2T が驚くほどスムーズに回った。


ガチッ——

刃が氷を噛み、揺れが一切ない。


「よし!」

鹿島が珍しく手を叩いた。

「それだ!午後はあと八セット!」


夕方。

着替えていた珏のスマホが震えた。

父からのビデオ通話だ。


背景は料理店の厨房。

油煙が漂う中、父は目を赤くしながらも笑っていた。


「小珏……母が、さっき翔太の絵を見てな。ほんの少しだけど、瞳が……動いた気がするんだ」


カメラが病室に切り替わる。

母の目は半分開き、意識はまだ遠い。

でも——

確かに、父の手元の絵を追っている。


翔太が描いた“連跳してる丸っこい兄ちゃん”の絵。


胸が熱くなり、スマホを握る手が震えた。


「母さん……俺、すぐ大会に出るから。待ってて」


電話を切ると、俊介が軽く肩を叩いた。


「ショートは 3T+2T、フリーに 2A。これで十分勝負できる」


帰宅途中。

翔太が新しい絵を抱えて走ってきた。

今日の絵は、星がもっと増えている。


「兄ちゃん!父が言ってた!母が俺の絵見て笑ったって!」

「だからもう一枚描いたよ!明日、おじさんに渡す!」


風に乱れた髪を直してやると、翔太は嬉しそうに笑った。


珏はその絵を見つめ、遠くのアイスリンクの灯りを見た。


——連跳の成功。

——母の反応。

——もうすぐ始まる予選。


冬の夜に灯る小さな光が、ひとつ、またひとつ——

確かに、彼のオリンピックへの道を照らしていた。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます!

もし「ちょっとでも面白いかも?」と思っていただけたら、

評価・ブックマーク・感想 をポチッとしてもらえると、作者がめちゃくちゃ喜びます……!


皆さんの一言が、次の話を書くエネルギーになります!

ぜひ気軽に話しかけてくださいね。

これからも一緒に、珏の成長を見守ってくれたら嬉しいです!

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― 新着の感想 ―
お母さん~~~~(泣) 反応があったらしいでめっちゃよかったって思いました! お母さんが起き上がるのを期待してます!(そうじゃなくても応援しています!)
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