婚約破棄される前に、さくっと王子を捨ててみた
ゼノン王子が隠れて浮気をしていることを、私は知っていた。
相手は隣国の公爵令嬢、カレン様。
私よりかわいくて、若くて、身分が高い。
そもそも、私、レミは、なんてこともない、ただの宮廷画家だ。
勝ち目なんてあるはずがない。
絵を描くことで、一人、人生を生き抜いてきた。
スキルはあるし、結婚せずとも、なんとか生き延びられるだろう。
そう考えて、今までひたすら、絵だけを描いてきた。
そんな私を見初めてくれたのがゼノン王子だった。
「肖像画を描いてほしい」との依頼を受け、何度かお部屋を訪問はしていた。
だけど、王子の告白は突然で、最初に求愛を受けた時は、正直信じられなかった。
「えっ、王子、でも……私たち、身分が違いすぎます」
そんな殊勝でありきたりな言葉をつぶやいたこともあった。
それでも、王子はこう言った。
「レミ。絵筆を持ち、真剣にキャンバスに向かい合う君の姿は、誰よりも美しい。
君は今、僕の肖像画を描いているわけだけれど、
もしよかったら、今度は、君と僕が手を取り合う肖像画を、誰かに描かせたい」
えっ、それって、プロポーズ?
なんて浮かれてしまったのが半年前。
王子の熱意に押され、私はあれよあれよと言う間に恋人関係となった。
が、当たり前だが、周囲は猛反対。
それはそうだ。一国の王子ともあろう人が、どこの令女でもない、一般市民と婚約しようとしているのだから。
特に反対していたのは、王子の母親、つまりはお后様であった。
彼女は、事あるごとに私を呼び出し、王子と別れるよう迫った。
しかし、私はそれを断った。
王子を愛していたのも理由の一因ではあるが、
何より、こんな身分の私を見初めてくれて、熱心に守ろうとしてくれている王子の気持ちを、
無下にはできなかったからだ。
(ここまで愛してくれる王子のためにも、私は、王子を、この愛を、守り抜かなきゃ)
そんな風に本気で思っていた。
だが、いつからか徐々に、雲行きが怪しくなってくる。
まずは、王子に呼ばれる回数が減った。
以前は毎日のように呼ばれていたのに、それが、2日に1度になり、3日に1度になり、少しずつ減少していった。
また、二人で過ごす時間も減っていった。
今までは、二人で「何もしない時間」を共有できていたのに、いつしか、「用がある時間のみ二人で過ごす」ようになり、その「所要時間」もどんどんと短くなっていった。
口づけの数、目が合う回数、名前を呼びあう回数……。
すべてが明らかに減ってきたころから、隣国の公爵令嬢、カレン様と王子の関係が、周囲でにわかにささやかれ始める。
噂を耳にする回数は、私たちのすべてが減っていくのと反比例する形で、増えていった。
「ゼノン王子とカレン嬢が二人きりでいるところを見た」
「ゼノン王子とカレン嬢が、見つめ合っているところを見た」
「ゼノン王子とカレン嬢が、手をつないでいるところを見かけた」
増えていく目撃証言。それらの噂は、背の高い草木のように、私の日常を覆い、光を遮る。
私はそれを何とか、絵筆一本でかき分けながら、前に進んだ。
進むしかない。歩みを止めれば、勢いよく伸び続ける噂の草木に飲み込まれ、逃げられなくなってしまうから。
そんな思いで日々を過ごしていたある日のこと。私は、とある富豪の屋敷に呼ばれた。
若くして富豪となった屋敷の主人から、肖像画を描いてほしいとの依頼を受けたのだ。
「やぁ、君が宮廷画家のレミだね。僕はセルダン。商人だ。よろしく」
銀髪の彼は、噂通り若かった。見た目は二十代半ばといったところだろうか。
青い瞳に整った顔立ち。愛人を10人以上囲っている、なんて噂も納得の容姿だ。
私は腰を曲げ、「よろしくお願いします」と静かに返事をした後、早速制作に取り掛かった。
セルダンは椅子に腰かけ、斜め左に身体を向けながらも、目線はずっと、真正面にいる私の方に置いていた。
画家の方をここまでじろじろと見つめるモデルは珍しいので、私は少し眉をひそめながらも、平静を装いながら絵筆を動かす。
そして、半分ほど描き上げたその時。
「ねぇ、ちょっと話さない? じっとしているのに疲れちゃって」
セルダンは薄く笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「休憩ですか? どうぞ、お取りください。私はその間に筆を取り換えてまいります」
「違うよ。休憩じゃなくて、君と話がしたいの」
「話……例えばどのようなお話ですか?」
すると彼は、少しだけ間を置いた後、こう答えた。
「例えば、君の婚約者が浮気をしている話、とか」
私は思わず、絵筆を落とす。筆先についていた緑色の絵具が跳ねるように床に付いた。
「申し訳ございません」
私は動揺を悟られないように、腰を曲げ、ゆっくりと筆を拾い上げる。
そして顔を上げた時、その鼻先には、セルダンの顔があった。
「ひどい話だよね。全く」
怪しげな微笑を浮かべる彼から、私は咄嗟に、顔をそらす。
「……それは、今、セルダン様に関係のあることでしょうか」
「まぁ、あると言えば、あるね。だって」
そう言って、彼はしゃがみ込み、私の顔をのぞき込む。
「王子の浮気相手のカレンは、僕の愛人なんだ」
思わず私は目を見開く。セルダンは「驚いた?」と私に向けて笑いかけた。
「つまり、僕と君は同じ立場。寝取られた者同士ってわけだ」
「そ、それが何か……」
「悔しくないの? 話によれば、君は世間から何を言われようとも、王子のためにその愛を貫いていたそうじゃないか。それなのに王子ときたら……。全く、男の風上にも置けないね」
「で、でも、私とあなたは、同じ立場ではありませんよ。だってあなたは、10人以上愛人を囲っておられるのでしょう?」
思わず強い口調でそう言うと、セルダンは声を上げて笑った。
「なんだ、レミ。君は一見淡泊な風を装って、実はそんな下世話な噂を信じているんだな」
その言いぶりに、私の顔は熱くなる。彼は一通り笑った後、人差し指で涙を拭きながらこう言った。
「それはただの噂さ。こう見えて、結構一途でね。恋人はカレンだけだよ。今は別れるかどうか検討中なんだけど。でもさ」
そう言いながら、彼はスッと立ち上がる。
「どうせなら、何かとっておきの復讐をしたいと思ってる。それでさ、君と話したいと思ったんだ」
そこまで聞いて、私は合点がいく。
おそらく彼は、その復讐に私を巻き込むために、肖像画の依頼をしたのだ。
「君は別れないの? 王子と」
私は返事ができずに俯く。
本音を言えば、別れるという選択肢は、今まで幾度となく自分の脳裏をかすめてはいた。
それでも踏み切れない、その理由は。
「今別れたら、相手の思う壺だ、なんて思ってる?」
図星を突かれ、私は思わず眉を上げる。そんな表情を見たセルダンは「わかりやすいね」とほほ笑んだ。
「確かにそうだよね。君と王子との婚約は、周囲の皆が反対してた。だから、君が今、王子に別れを告げたら、王子とカレンだけでなく、反対していた皆が、喜ぶ結果になる。それが悔しいんでしょ?」
「そ、そんなことは」
とりあえず否定してみるも、続く言葉が見つからない。
そうだ。私は、私を不幸にした人間が喜ぶ顔を見たくない。だから別れたくないのだ。
「身分違いの恋が続くはずがない。ほら見たことか」などと後ろ指をさされ、陰口を言われるのが容易に想像できる。
それが悔しくて、悲しくて、踏み切れないのだ。
自分の本音と対峙した瞬間、一筋の涙が、私の頬をつたった。
それは一つ、また一つと数を増やし、いつの間にか私は、はらはらと大粒の涙をこぼしていた。
そんな姿を見かねたのか、セルダンが私にそっと、ハンカチを差し出す。
「……もし、僕の予想が正しいのであれば、君は何も心配することはないよ。
正直者は救われて、嫌な奴らは痛い目に合う。これって、おとぎ話でのお約束でしょ?」
「でも、私たちの住む世界は、おとぎ話ではないですよね?」
「確かに。でも、今のままでは君は、いずれ婚約破棄される可能性がある。それでもいいの?」
そう問われ、私は息を止める。
その可能性を、今まで考えたことがない、と言えば嘘になる。
でも、心のどこかで、私は王子のことを信じていたかったのだ。
あの日の愛のささやきを。あの日の婚約の誓いを。
いや、すがっていた、という方が正しいのかもしれない。
向き合うことが怖くて、わざと考えないようにしてきた可能性。
それをセルダンは、真正面から私に突き付けてきた。
もう、逃げることはできない。
そうなったら、できることは一つ。
「そうですね。ならいっそ、こっちから振ってやりましょうか」
私があえて事もなげに言うと、セルダンは満足そうに目を細めた。
「かっこいいよ。レミ。それでこそ、君だ」
「それでこそって……セルダン様は私の何をご存じなのです?」
私は思わず吹き出す。彼とは出会って数時間しか経っていないのに、セルダンのそれは、まるで旧友からの言葉のようだ。
「知ってるさ。商人というのはね。情報が金を産むんだよ。
だから、君を呼びつける前から、君のことは一通り調べておいた。
幼くして両親を亡くしたことも、劣悪な環境の中、必死に絵を描きつづけてきたことも、その努力と才能で、女性初の宮廷画家にまで上り詰めたことも」
そして、私の肩にさりげなく手を置き、言った。
「レミ、君は、自分の力で今の立場をつかみ取ったんだろう?
だからこそ、君の人生は、あんな奴らに足蹴にされてよいものじゃない」
にこやかに歯を見せるセルダン。その表情が何だか頼もしくて、私も微笑み返す。
「ありがとうございます。私、決意が固まりました」
その数日後。
私は久しぶりにゼノン王子に王宮へと呼び出された。
城の門をくぐるやいなや、中庭へと案内される私。
薔薇の花が咲き誇るそこに一人佇んでいたのは、彼だった。
「やぁ、レミ。久しぶり。ごめんね。中々会えなくて。
最近公務が立て込んでいて」
振り返った瞬間、そう言って、笑みを浮かべる王子。
まるで呼吸でもするかのように嘘をつくのだな、と私は心の中でため息をつく。
公務が立て込んでいたのではない。
浮気相手とのデートに忙しかったから会えなかったのだ。
「さて、今日は、君のためにとっておきの紅茶を用意したんだ。あそこのテラスで一緒に……」
「王子、少しよろしいでしょうか」
王子の言葉を遮ると、彼は驚いたのか、小さく眉をひそめた。
無理はない。私は今まで、彼の言葉を中断させたことはなかったのだ。
私は王子に向き直ると、彼の目を真正面から見つめる。
その行動に慄いたのか、王子は「どうしたの? そんなに真面目な顔をして」と、冗談めかした口調で尋ねた。
一呼吸置いた後、意を決して、発する。
「王子、私と、別れてください」
不意に、王子の顔がゆがむ。おそらく、身分が低い私の方から別れを切り出されるなど、考えもしていなかったのだろう。
「えっ、何を言っているんだい? レミ。僕らはもうすでに、結婚の約束だってしているんだよ?」
「しかし、結婚前から他の女性にうつつを抜かすような方と、今後、将来を共にする自信がございません」
「他の女性? き、君は僕の愛を疑っているのかい?」
急に声を張る王子。その様子は、焦っているようにも見える。
私が別れを切り出せば、始めこそ王子はうろたえるだろが、やがて気を取り直し、この破局を歓迎するのだろうと私は当初予想していた。だから、彼のこの態度は意外だった。
しかし、だからと言って私の決意が揺らぐものではない。
私は再び彼の目を見据え、告げる。
「隣国の公爵令嬢、カレン様と逢瀬を重ねておられるようですね。
私が知らないとでもお思いでしたか?」
「いや、それはその……」
「私と婚約しているにも関わらず、手をつなぎ、街中を堂々と散策されているとか」
「だって、彼女からねだられて……」
「隠しもせずにそうされていたのは、おそらく、その目撃談が私の耳に入っても、私から別れを切り出されるとは思っていなかったからではないですか?」
だって、あなたは、完全に私のことを下に見ているから。
その言葉は、なんとか飲み込んだ。
「だから、別れましょう。王子。お互い、本当に愛し合うもの同士が結ばれるべきです。
あなたはどうぞ、カレン令嬢とお幸せに。私は私で、自らの幸せを見つけます」
そこまで言い切ったところで、王子は「待ってくれ!」と裏返った声で叫んだ。
「信じてくれ、レミ! 僕が心から愛しているのは君だ! 君だけだ! あの子とは、本当に、ただの遊びなんだ! 君の方がずっと、知的で、強くて、す、素敵だ! 本当なんだ!」
私は静かに視線を上げる。王子は頬を紅潮させ、必死の形相で私を見つめていた。
私が本命。
そう言い切ることで、許しを得ることを確信したのか、彼の表情は徐々に緩んでいった。
そして、一歩ずつこちらに歩み寄ると「だから、レミ、こんなくだらないことで、へそを曲げないでくれ」と、手を伸ばした。
私は、彼の掌を一瞥した後、ピシャリと払う。
謝罪の言葉も、浮気相手との決別宣言もない。
やはり王子は、私のことを下に見ていたのだ。
おそらく、付き合いはじめてから、ずっと。
「さようなら、王子」
私がくるりと踵を返し、歩き出すと、少しの間の後に、わめき声が聞こえてきた。
「本当にいいのか? レミ。後悔するぞ。お、おまえは僕のおかげで宮廷画家として働けているんだ。王族に対してこんな無礼な振る舞いをして、ただで済むと思うな!」
負け惜しみのような言葉を背中で聞きながら、私は振り返ることなく、中庭を去った。
確かに、宮廷画家という職にはもう就けないかもしれない。
でも、大丈夫だ。
私には、絵を描く技術がある。
街外れでほそぼそとした生活くらいなら、送れだろう。
もし、この国で職にありつくことが困難であれば、違う国を渡り歩けばいい。
大丈夫、どうなっても私は、私を、保てる。
そう自分に言い聞かせ、私は城を出ていった。
それから、数週間経った。
案の定、私は宮廷画家という職を罷免された。と、同時に、肖像画を描く依頼もめっきりと減ってしまった。
預金があったので、すぐさま食うに困ることはないが、これからどうすべきか、と、考えあぐねていた時だった。
「知ってたか? 城の財政が、やばいらしいぞ!」
「知ってる! 何でも、王宮に出資していた財閥が、次々と身を引いているとか」
「私の親戚、城で兵士として働いているんだけど、他国で傭兵になろうかなんて話していたわ」
そんな、不穏な噂を街中で耳にするようになった。
私が出入りしていた数週間前までは、特に王宮でそのような話は聞かなかった。
王族の方々の羽振りも良さそうだった。
なのに、なぜ急に?
そんな疑問を抱いている最中、私は、久々の絵の依頼を受けた。
この屋敷に赴くのは2度目となる。
「やぁ! レミ! 久しぶり!王子を振ったんだって?」
そう明るく声をかけてきたのは、屋敷の主人、セルダンだ。
「さすがは。よくご存じですね?」
「もちろん、商人にとって情報は命だからね。ところで」
彼はそこまで言うと、私の顔を覗き込み、囁くように告げる。
「このおとぎ話は、ちゃんとおとぎ話らしい結末を迎えそうだね?」
そう尋ねられ、私はゆるりと口角を上げる。
「やはり、この急な王宮の財政難は、あなたの仕業ですか?」
するとセルダンは、「何のことだか」と背を向ける。
「ただ……。久しぶりにカレンから連絡が来たよ。やり直したいって。もちろん断ったけどね」
そう言いながら彼は、再びくるりとこちらに向き直り、「それはそうと」と、口火を切る。
「僕はね。ちょっとばかし、この国でやらかしてしまったから、しばらく旅に出ようと思うんだ。その際に、僕の旅に同行して、記録を取ってくれる画家を現在募集中なんだけど、レミ、いかがかな?」
「忙しい?」と追加で問われ、私は失笑する。仕事がないことを知っているくせに。
「そうですね。賃金にもよりますが……」
「きっと楽しいよ。それに僕は、君の筆で描かれたこの世界を、見てみたいんだ」
私の絵が見たい。
そう真っ直ぐに言われてしまうと、断ることは難しかった。
そうだ。この世界は広いのだ。
私も、この小さな国を抜け出して、もっと大きなものを見てみたい。触れてみたい。
婚約破棄なんて小さなこと、私の人生のキャンパスには、一点のシミにすらもなり得ない。
私が笑って頷くと、セルダンは「契約成立っ」と声を弾ませた。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
☆で評価をいただければ大変励みになりますので、どうぞよろしくおねがいします。
なお、現在、不遇ヒロインが逆境から立ち上がる小説、
「猫にされた薄幸令嬢は、いつまでも呪われていたい」を連載中ですので、
ご興味ある方はぜひお立ち寄りください。https://ncode.syosetu.com/n0783mp/
また、先日に富士見l文庫様から新刊、
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こちらは、こちらは、架空の京都、大正時代を舞台とした、
頑張る女子と傷心軍人による両片思いな物語です。
くじょう様の素敵すぎるイラストが、お目に留まれば幸いです。
最後までありがとうございました。




