獅子の時計
父方の祖父が遺していった古い腕時計を、
獅子はずっと、ひとりで大切に持っていました。
革のベルトは裏返しに取りつけられ、文字盤は十五度ほど傾き、
短針が”XII”を指しているのに長針は”VI”を指している、どこか不格好な時計。
時間もしばしば遅れてしまい、普段使いするには不便すぎるそれを、
獅子は大切に、静かにポケットにしまっていました。
そんな時計について、獅子にはひとつの信念がありました。
――この時計で信じられるのは、時を刻む短針だけだ。
――分を刻む長針はしょっちゅう遅れる。気付けば数時間遅れていることもある。短針だけは大きな時間を示す。あれだけは裏切らない、と。
そのため、時間が少しでもずれていると感じるたび、獅子は竜頭を回して長針を合わせていました。
「長針が狂えば時計は狂う。短針は大きな時間の影に従っているだけだ」と信じながら。
この時計は普段は使わず、試験や大切な集まりの日だけ、ゲン担ぎとして腕に巻きました。
それは時計としての機能以上に祖父の形見であることが大きかったのです。
祖父は、獅子にとって唯一心を許せる存在でした。
しかし祖父と父は折り合いが悪く、祖父の遺した時計は父の家では半ば“禁忌”の品のようになっていました。
それでも獅子は、大事な日にはそっとその時計を腕に巻きました。
祖父に守られているような気がしたのです。
言葉につまる獅子を急かすことなく、祖父はゆっくりと、確かな時を与えてくれる存在でした。
一方、父はいつもせわしなく、時間に厳しく、長針のように気まぐれな印象を獅子に与えていました。
だから獅子は、時計の短針を信じることで、祖父を信じているような気持ちになっていました。
そんなある日、父が亡くなりました。
獅子は、父を嫌っていると思われていたため、
葬儀の手配はすべて兄や姉たちによって進められ、「どうせ来ないだろう」と思われていました。
しかし、実際は父の前では素直になれないだけでした。
せめて父の葬儀には間に合わせようと、獅子はいつも通りに祖父の時計を腕に巻いて家を出ました。
ところが、式場に着いたときには、すでに一時間が過ぎていました。
父の棺は閉じられ、親族が目を赤くして見つめる中、獅子はただ立ち尽くしました。
兄や姉たちの視線は冷たく、「やっぱり遅れた」と言っているようでした。
式場の時計を見ると13時30分。
違和感に気づき、そのとき初めて、腕の時計をじっと見つめたのです。
長針は”VI”を指し、規則正しく分を刻んでいます。
短針は――まだ”XII”の少し手前を指しており、実際の時刻より一時間遅れていました。
12時30分に集まる予定で腕時計を見て動いていたにも関わらず、実際は13時30分だったのです。
かつて祖父と父が決して並ぶことのなかったように、
その針たちも、いつの間にか互いの位置を外れていました。
信じていた短針こそが怠けていた。
祖父の時計は、父の葬儀の時刻さえ正しく告げなかった。
そして自分の長年の思い込みが逆にズレを増やしていたことを、獅子は悟りました。
その日以来、獅子は時刻を合わせることをやめました。
時計は相変わらず遅れていたが、もうそれを責めることはありません。
長針が刻む分は、思っていたより正確で、
短針が示す時は、思っていたより曖昧だった。
そのズレを見つめるたびに、獅子は父と祖父、
そして自分自身の影を重ねるようになったのです。
それでも、獅子は今も大切な日にはその時計を腕に巻き、
ずれた針の向こうに、祖父と父の面影をそっと見つめ続けているのでした。




