2-1 美人だけを描く、美人の似顔絵士
夜明けの靄を背に、タクマたちは山道を歩き続けていた。
あの激闘の痕跡——焦げた家屋、砕けた剣、崩れた村の静けさは、すでに山ひとつの向こう側へと遠ざかっていた。
彼らの行き先は、芸術と文化の都、アステラン。
白亜の城壁に囲まれた都市であり、魔導芸術の中心地でもある。
「なあ……馬車とか、ないんスかねー?」
テルキがぼやくように言い、肩から下げたハンマーをずしりと持ち直す。
「お前が一番若いだろ。根を上げるのは早すぎる」
タクマが苦笑しつつ、背中の刀を確認した。
「旅は歩くことで学ぶもの。街に着けば馬車も宿もある、我慢しろ」
グラムが穏やかに言いながら、一同の荷物を二人分以上背負って歩いていた。戦士らしい剛健な背中が、頼もしさを物語っている。
山道の尾根へと差しかかる頃、何かがぬるりと森の影から現れた。
ぐにゃりと形を変えながら跳ねる、カラフルな生き物たち。赤、青、緑——スライムのようで、どこか艶やかさを持った存在。
「出たな……グルモアだ!」リュウジが身構え、杖を構える。
だが、グラムが剣を抜いて斬りかかろうとしたその瞬間——。
「ちょっと待ってぇ!」
リンが慌てて制止の声を上げた。目を輝かせながらグルモアに駆け寄る。
「この子たち、うまく倒すと《魔法の絵の具》の素になるの。色別に属性も違うし、スケッチの召喚魔法に混ぜると効果が増すんだよ」
「スケッチ素材か……たしかに集めておくべきだな」
リュウジも納得し、魔法陣を慎重に調整しはじめる。
やがて、赤いグルモアがぱちんと弾け、ルビーのような結晶が地面に転がった。
「グルモア絵の具、ゲットだぜ!」テルキが満面の笑みで拾い上げる。
それぞれが素材を丁寧に回収しながら、再び足を進めると、視界の先に光が広がった。
白い壁に囲まれた都市が、まるで絵画のように広がっていた。
街全体が青と白の配色に統一され、未来都市と中世ヨーロッパの建築が融合したかのような不思議な景観だった。
「ついた……アステランだ」
ファル・フィンが小さな羽根をぱたぱたさせながら、歓声を上げた。
「わぁ、魔導式の電灯がある! ちゃんと電力通ってるわねー!」
街の中心には、虹色の光を放つ噴水があった。水滴が風に舞い、七色の弧を描く。
その周囲には、花を売る店、アクセサリーを並べた露店、甘い菓子の香りが漂う屋台——まるで夢のような光景が広がっていた。
「うわぁ……ここ、エンブレのデザイン案で出した『光の都市モデル』そっくり……」
タクマが呟いた声は、懐かしさと驚きに満ちていた。
そのとき、露店の一つから優雅な声が響いた。
「そこの可愛いお嬢さん、似顔絵を描かせてくれない?」
声の主は、金色の髪をゆるく巻いた美しい女性。
瞳は深い紫で、どこか人を見透かすような静けさを湛えていた。
「わ、私!?」
リンが戸惑いながらも、誘われるように彼女の前の椅子に腰を下ろす。
「貴女、可愛いわね。私はヴェルザ。似顔絵を描くのが仕事なの。お名前は?」
「黄嶋リンっていいます。自分も……ちょっと絵を描く仕事してまして……!」
「まあ、同業者ね。メガネ、ちょっと外してもいいかしら?」
「えぇ!? ……恥ずかしいなぁ……」
テルキが小声で囁いた。「リンさんのメガネなしは……SSR級のレアですぞ……」
リュウジ「いま、ヴェルザって言ってたよな……?」
数分後。
完成した似顔絵は、ただの絵ではなかった。
輪郭、光の加減、髪の跳ね方……まるで写真よりも本物らしい、圧倒的なリアリズム。
まるで魂が宿っているかのようだった。
「いや、参ったなぁ……これはすごい……」
リンはメガネを戻し、照れ笑いを浮かべた。
ヴェルザは絵を差し出しながら、ふと表情を曇らせた。
「可愛い子、ちょっと気をつけてね。この街では最近……変なことが起きてるの」
「変なこと?」
「若くて綺麗な女の子が、夜な夜な『消えてる』らしいの。しかも現場には……恐ろしい魔獣のグラフィティが残されているんだって」
その言葉に、空気が一瞬だけ冷えた。
「私も神隠しに遭っちゃうかも!?」
ファルが冗談めかして言うと、
「ファルは小さいからなー、誘拐犯にも見えないだろ」テルキが笑いながらからかう。
「むっ、失礼な! この羽根、今すぐ顔にぶつけるわよ!?」
冗談まじりのやりとりの中でも、タクマはどこか気にかかるものを感じていた。
《黄昏の六英雄》のひとりであり、最強の召喚士であるはずのヴェルザらしき人物がいる……この都市には、確かに何かが潜んでいる。
その夜、小さなホテルにチェックインした彼らは、ひとときの安らぎに身を委ねた。
だが心の奥では、じわじわと何かが蠢き始めていた。
連れ去られる若い女性たち、魔獣のグラフィティ、そして——文化と芸術の都に潜む、歪んだ異変の兆し。
「とりあえず、メシが先だな」
タクマの声に、みんなが小さく笑った。
だがそれは、静かなる嵐の前の、束の間の温もりだった。