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8-2 鳴らない鐘

エルヴァーン——その名の響きすら幻想的な、妖精の住まう天上の楽園。


島は常春に包まれ、花々は大地に溶けるように咲き誇り、蝶のような妖精たちが水音のような声で歌いながら飛び交っていた。丘の上には風化した石の階段が導く古の教会があり、朝靄の中で、まるで神の息吹を受ける祈りの殿堂のように佇んでいる。


「ファルの家に行ってもいいのかい?」グラムが問う。


「うん、どうぞどうぞ!」


ファルが先頭に立ち、軽やかにステップを踏みながら案内する。彼女の家は、木漏れ日に包まれた瀟洒な洋館だった。


人間サイズの建物だが、窓枠の装飾や屋根の曲線から、どこか異国めいた妖精族の美意識が滲み出ていた。内部は静謐でありながら、誰かがそこに今も暮らしているような温もりを残していた。


そこに現れたのは、ファルの姉たち——シャルル・フィンとマァル・フィン。ひとりはワイン色の髪とスカイブルーの瞳を持ち、落ち着きと気品を漂わせ、もうひとりはクリーム色の髪とグリーンの瞳で、優しさのにじむ笑みをたたえていた。


「初めまして、勇者様。ご機嫌麗しゅう」シャルルが優雅に挨拶する。

「こんばんは、勇者様。ファルがお世話になっております」マァルもまた微笑んで頭を下げた。


「マァルって……エンブレ IIの師匠バクスについてた妖精じゃないか!」タクマが赤いノートを開き、驚愕の目で二人を見比べた。「シャルルはエンブレ Iのシャリアンの相棒……姉妹って設定って聞いてないぞ!」


その場の空気が一気に沸き立ち、懐かしさと驚きが交錯する。タクマたちは初代エンブレの物語に思いを馳せ、記憶の断片を語り合った。シャルルとマァルは、それを微笑ましそうに見守っていた。


「マァル姉さん、アタシ、面白い特技できるようになったのー」ファルが得意げに言う。

「なになに?」


ファルは空中に軽やかな魔法陣を描き、チョップ一閃でそれを開いた。

次の瞬間——

「うわーっ!!」


異次元ポケットから飛び出したのは、漆黒の影、影、影。まるで濁流のように、無数の黒い虫のような影が部屋の屋根を破壊し空高く昇っていき、そして逃げ惑う仲間たちを翻弄する。


ファルは慌てて魔法陣を閉じようとするが、止められない。最後に飛び出したのは、異形の巨体——まるで大木が動き出したかのような、巨大な黒き甲虫だった。


「マズいッ!」 セレノが魔法陣を一閃、詠唱なしの超高速魔法で異次元ポケットごと完全消去する。


「……いまのは、魔将だった」 沈黙のなか、セレノの言葉が重く響く。


「ファルが使った裏コードのルートを通って、ここまで入り込んできた……」リュウジが青ざめて呟いた。


妖精の島、聖域とさえ言われるこの楽園にまで、魔王軍の影が忍び寄っていた。


ずっと夕暮れ色の夜空のどこかへ虫の軍団は魔将とともに散会していった。

いったい、どこへ向かうのか——。



後日、シャルルが深刻な面持ちで口を開く。


「旅立ちの鐘が……鳴らなくなったのです」


妖精たちが勇者に導かれる運命の起点——それが天国の塔にある《旅立ちの鐘》だった。鐘が鳴ることで、島の妖精が『ゲート』を通って、冒険を共にする。その神聖なる儀式が、今、途絶えようとしていた。


「虫のようなモノたちが、教会の地下に集まり始めたのです」 マァルの声は震えていた。


「旅立ちの鐘が止まっているということは……勇者様たちもまた、進むべき道を見失っている、ということなのです」


セレノは黙って夜空を仰いだ。星々が歪み、天球が狂っていた。

「《ノクターナル・シンドローム》がこの世界の根幹を侵している。今や、何が起きても不思議ではない」


静寂のなかで、皆の表情が険しくなる。


「妖精族の旅立ちを止めるとは、まさに……」タクマが呟いた。

「勇者の導きを絶つ暴挙だ」

「でしょ、でしょ!」ファルが顔を膨らませながら応じる。


「最後の魔将、か……あの虫けらが?」ヴェルザが腕を組む。


「コードにバグが絡んで、鐘のプログラムが止まった……そういうことか」リュウジの目が鋭く光る。


「明日の朝、退治しに行くぞ」グラムが断言する。

「朝も夜もわかんない世界ですけどねー」テルキがぼやいた。


その夜、ファルは布団に入っても眠れず、姉たちにすがって泣いていた。

「うえーん……アタシのせいかなぁ……」


外では、遠く教会の方角に、何者かが地下を這うような、不穏な金属音が夜風に紛れていた——。

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