1-2 目覚めたらゲームの中だった
「……起きて! 起きてってば、ほら、もう!」
くすぐったさと、息苦しさと——それから、どこか懐かしい声の響き。
タクマは重たいまぶたを押し上げた。視界が滲む。焦点が合ってくるにつれて、彼の眼前にふわりと浮かぶ影が現れた。
「う、うーん……? あれ……?」
ふわふわと舞うその姿は、小さな妖精だった。透き通る羽根、煌めく金色の髪、いたずらっぽく笑う顔——間違いない、自分たちが作ったゲームのナビゲーターキャラクター。ファル・フィンだ。
「やっぱり赤木タクマ! あなた、このゲームの開発者だよね!?」
目の前の現実に、タクマの思考が追いつかない。夢なのか、現実なのか。まるで霧の中にいるような心地だった。
「……え? ちょっと待って、なんでファル・フィンが……?」
その言葉と同時に、身体の感覚が戻ってくる。冷たい空気が肌を刺し、衣擦れの音が耳に届く。見下ろした自分の姿に、思わず声が出た。
「な、なにこれ……!」
タクマの身体には、見たこともない衣装が着せられていた。風通しの良すぎる赤いローブ、その上に無骨な甲冑が重なっている。頭に浮かぶのはただ一つ。
(……コスプレか?)
地面の上でばたばたと音がした。隣で、もう一人が跳ね起きる。
「うわっ、なにここ……なにこの服は……!」
テルキだった。いつもはフード付きのパーカー姿でモニター前にいる彼が、今は中世風の皮ベストとズボンを着て、草むらで尻を掻いている。
続いて、もう一人が呻くように身を起こす。
「おい……なんだこれ。たしか、公園集合のはずだったよな……?」
リュウジが腰を押さえながら立ち上がる。彼の背中には、異様にごつい黒い機械が固定されていた。それはまるで、デスクトップPCを無理やりリュックに変形させたかのような異物だった。
「えええ!? みんないるの? これ、夢じゃないの!?」
声を上げたのはリンだった。彼女は白く光る筆を背負い、胸元にはペンタブレットのような装置が斜めに装着されている。目を丸くしながら、周囲をきょろきょろと見渡している。
そこに広がっていたのは、まったく見覚えのない風景だった。緩やかな丘の上に、崩れかけた石垣とレンガが散在し、まるでかつて城だったものの名残のようだった。周囲には深い森と、遠くに畑や人家。空は赤く染まり、日暮れの静けさが辺りを包んでいた。
「お、目を覚ましたか!」
背後から響いた声に、全員が振り返る。そこに立っていたのは、ひときわ大柄な男だった。隆々とした筋肉に、素朴なシャツ。両腕には大根やキャベツ、かごには果物がぎっしり。農作業帰りといった風情だが——その顔には、見覚えがあった。
「あれって……グラム・ライナルト……?」
タクマが息を呑みながら呟いた。
ラサラ王国の第一部隊隊長。かつて《一番刀》と称された伝説の戦士。エンブレIIIのメインパーティの要だった男。しかし、いま目の前にいるその姿は、戦士というより農夫そのものだった。
「ここはラサラ王国城跡地『名もなき村』。辺境の、いまはもう田舎だな。日も暮れてきたし、訳ありならうちに来るといい」
「ヨウちゃんと……カオちゃんはいないみたいだな」リュウジが顔をしかめる。
「今いるのは、俺たち四人だけっぽいな……」
タクマたちは顔を見合わせた。誰もがゲーム風の衣装を纏い、背中や腰には見覚えのある機材が変形したようなガジェットが装備されている。自分たちが開発で使っていた、あの『道具』だ。
これは、間違いなくゲームの中だ。けれど、普通のゲームではない。ログアウトも、システムメニューも、存在しない。
「——これは、エンブレIIIのゲームの中だ……」
そんな直感が、タクマの中に静かに芽生えていた。
*
石造りの一軒家。温もりのある暖炉の火、木製のテーブルには湯気の立つミルクマグ。そして、旅装を脱いだタクマたちは、それぞれ椅子に腰かけていた。まるで、帰る家にようやく辿り着いたかのような安堵感が、胸の奥に広がる。
「ファル・フィン、ほんとすごい完成度だね……小さくて、めっちゃ可愛い……!」
「お前がデザインしたんだろ、それ」リュウジが即座に突っ込む。
タクマは、そんなやり取りに小さく笑いつつ、ファルの方に視線を向けた。
「……君が僕たちをここに呼んだのか?」
ファル・フィンはふわりと宙を舞いながら、少し困ったように眉を下げた。
「うーん……わたしにもよく分かんない。でもね、困ってて……神様に『誰か助けて!』ってお願いしたのは本当」
「困ってる、って?」
「たとえば……ほら、グラムを見てよ」
キッチンで忙しなく動くグラム。分厚い指で野菜の皮をむき、湯気立つ鍋を撹拌するその姿は、かつて《ストームブリンガー》を振るった戦士の面影とは程遠い。
「本来なら、グラムは《黄昏の六英雄》の一人として、魔王ブランダに挑むはずだった。でも……」
ファルの声は次第に小さくなる。
「物語が……ズレてきてるの」
*
グラムの過去を知る彼らにとって、それは衝撃だった。
かつてグラムは、ラサラ王国の第一部隊を率いていた。どんなモンスターにも屈せず、死闘の末に《魔将六傑》と呼ばれるブランダ直下の部隊——『髑髏隊』に勝利した。だが、それは罠だった。
——《ブラッド・カース》。
髑髏隊の騎士たちは死に際に毒の灰をまき、戦場にいた王国軍の兵士たちを遅効性の毒で蝕んだ。気づいたときにはもう遅く、勝利に酔っていた者たちは次々と倒れていった。
ただ一人、生き残ったのがグラムだった。
彼は戦いを終えたあと、毒に侵された王国の跡地に農園を作り、土地の解毒を始めた。聖水の湧く洞窟から水路を引き、両手に血豆を作りながら、七日七晩眠らず作業を続けたという。
嘲笑されていた『迷惑戦士グラム』は、いつしか『復活戦士グラム』と呼ばれるようになった。
グラムは、荒廃した地に農園を拓いた。それは英雄譚の一幕だったはずだ。だが今、彼は鍬とフライパンを手に生きている。
「……でも、あのストームブリンガーはどこへ?」
「農業鋏がどうしたって?」
グラムが大鍋を抱えて現れる。湯気の立つスープの香りが部屋に満ちる。
「フライパンも、両手持ちなんスね……」
「ストーム……ブリンガー? あー、戦うのはもう懲り懲り……かな。今は鍬とフライパンで十分だよ」
重みのある言葉に、皆、言葉を失う。
だが、彼のスープは、まぎれもなく本物の味だった。
「う、うま……」
「いや、料理のパラメータ設定したの、タクマだからな?」
ささやかな笑い声が、温かな灯火と共に部屋に満ちていく。
「ちょっと待ってて。デザート出すから!」
ファルが空中に魔法陣を描き、チョップすると、次元が裂けた。そこから取り出したのは——りんご。
「異次元ポケット! コードの空間からアイテムを直接取り出せるの!」
「ドロップアイテムのテーブルにアクセスできるってことか。……宝箱は?」リュウジが食いついた。
「うーん、出せるけど、鍵がいるし重いし……苦笑」
りんごを齧りながら、いつの間にか四人は眠気に襲われていった。
ベッドにおり重なるように身を沈め、タクマはぼんやりと考える。
(この世界は……バグってる。俺たちが仕様を……変えられるのか?)