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6-2 錆の海の鮫

翌朝——朝靄がまだ街にまとわりつくなか、タクマたちは武器のメンテナンスかと思いきや、なぜか海岸線へと連れ出された。


港の向こう、錆色に濁った海から立ち上る鉛色の霧。その奥からは時折、低く不気味な唸り声のような潮鳴りが聞こえてくる。


「朝まで飲んでも、朝釣りには遅れるな、だ」


ドゥーガが不敵に笑う。白夜の光に反射する火花のような笑顔だった。


ドゥーガが狙うのは、《錆の海》の主——妖鮫ヴァルギルス。


それは単なる伝説ではない。都市の記録にも幾度となく記された実在の怪物。黒油の沼を泳ぐそれは、7メートルを優に超える異形であり、螺旋のような背鰭、太刀魚のように曲がりくねる尾、そして鋭利な牙とともに、獲物を巻き取る長い触手のような舌を持つ。


「舌っスか……? 鮫って舌で人を喰うんスか……?」

テルキが目を見開く。


「ああ、カメレオンみてぇなもんだ。ガバッと伸びて人を攫ってな。喉の奥に引きずり込まれるんだ」


ドゥーガの声は重かった。

だが、その奥底にひそやかに沈む哀しみは、彼の背中に影を落としていた。


彼の背には、今日一日を背負うように巨大な釣り竿がある。それは鉄で鍛えられ、先端には鋼の銛が仕込まれていた。


「青年、覚えとけ。鮫は釣るもんじゃない、狩るもんだ」


釣りというより、それはもはや儀式だった。丘に設置された小型の蒸気モーターがガタゴトと音を立て始める。その低周波が、海の底へと振動を送り込んでいく。音の波は鋼鉄の弦のように張り詰め、やがて闇の奥で何かが反応する。


沈黙——


風が止み、海が微かに泡立つ。


そして、——それは現れた。


「来たぞ……!」ドゥーガが低く唸るように呟く。


次の瞬間、錆の海を割って跳ね上がったのは、黒く光る巨体。ヴァルギルスだった。


その身体は油膜を纏い、暗い太陽の光を吸い込んでなお黒く光る。2本の捻じれた角のような突起が額に生え、その眼には知性のような狂気が宿っていた。


「おい、気をつけろ! 舌が来るぞッ!」


ドゥーガが叫ぶより早く、《ヴァルギルス》の長い触手のような舌が、地を割くように伸び、テルキへと襲いかかった!


「テルキ、下がれッ!!」


風を裂く音と共に——その舌は、銀の閃光によって断ち切られた。


「斬ッ!」


タクマの《三日月ムネチカ》が、空気を斬り裂いた軌跡を残し、黒い粘液と共に切断された舌を宙に踊らせる。


「うわッ……ありがとございまス、先輩!」


「無事でよかったが、こいつ……相当ヤバいな」


波間でもがくヴァルギルスの咆哮が空を震わせる。それは怒りというよりも、狂気じみた絶叫だった。


「グラム! 銛を使え! 今だ!」

「了解ッ!」


グラムがドゥーガと共に巨大な銛を構え、釣り竿の頂点から勢いよく放つ。


銛は音を置き去りにして飛び、油に濡れた黒鱗を貫いた。大きな水柱が立ち、海が赤黒く染まってゆく。

やがて巨体が沈黙し、波がようやく静けさを取り戻した。


釣り上げたヴァルギルスは、赤蒼の空を背に、港の岸壁に吊るされる。その死骸は不気味な静けさとともに、まだ呪いを秘めているかのようだった。



帰り道、朝靄のなかを歩きながらテルキがそっと問いかける。


「ドゥーガさん……娘さんって、三年前のことだったんスか?」


「……ああ、あっという間だったな」


ドゥーガの声には、酒精のように滲む苦みがあった。


「16だった。ひとりで丘番させてな。あいつ、あの竿の継ぎ目を見て『お父さん、ここ、弱いんじゃない?』って……。俺は笑ったよ、子どもが何をってな。でもあいつ、ちゃんと見てたんだ」


小さな声が、潮風にかき消されていく。


「俺なんかより、よっぽど鍛冶屋してたのかもな……あいつ」



港に戻ると、ドゥーガとグラムは釣ったヴァルギルスをさばき始めた。


ファルはというと、奇妙な魚ばかり釣れて落ち込んでいた。


「これ……食べれるのかなぁ……」


(うーん、鮫のエサにはなりそうだけど、それは言えないなぁ……)テルキが笑いながら誤魔化す。


それでも、用意された朝食は見事だった。焼き物、刺身、スパイシーなサラダに、油の浮いたスープ。ドゥーガとグラムの腕が光る、奇跡のような珍味の数々だった。


「——いただきます!」


その時だった。


赤錆ラウンジの食堂が一瞬にして闇に包まれた。


「何!? 停電だと……?」


タクマが椅子を蹴って立ち上がる。窓の外、火力発電所の方角に細い黒煙が立ち昇っているのが見えた。


「サイレンも鳴ってる……ああ、手動の火災警報だ!」


テルキが素早く窓辺に駆け寄り、煙の立ち上る方角を睨む。

「発電機は三基……なのに、一基だけ明かりがついてる?」


「爆発でもするのか……?」とリュウジ。


ドゥーガが苦笑しながら戻ってくる。

「まいったな。またアレか……。あの火力発電所、古すぎてな、しょっちゅうこうなる。直せるの、俺くらいしかいねぇのよ」


「ってことは、我らの装備のメンテも……」とセレノ。


「得物は電気通ってからだな。悪いけど、ちょいと待っててくれ」


「それで、ドゥーガさん、いつ行くんスか? 今すぐ?」

テルキが身を乗り出す。


「……朝メシ食ってからに決まってるだろう、青年」


黒煙が空を裂いていく中、テルキは迷いつつも、鮫の刺身を口に運ぶ。


「……あー、これは……うまいっス!」

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