5-3 特異点
神殿が揺れた。
それは、風でも地震でもない。
存在そのものが異界の法則を侵し、この世界に『異物』をもたらした証——。
「魔王軍襲来、魔王軍襲来!!」
響き渡る悲鳴。
謁見の間の左右の回廊、後方のバルコニー、天井の装飾扉までもが音を立てて開き、鎧に身を包んだ騎士たちが一斉に飛び込んできた。
だが、彼らの剣も槍も意味を成さない。
そこに立っていたのは、異様な気配を纏った一人の男——
その肌は濡れたように青白く、赤く光る双眸が空間を支配する。額には巨大な紅玉が埋め込まれ、まるで第三の眼がこの世界の全てを見透かしているかのようだ。白いオーブを浮かべながら、黄金の袈裟をまとい、神官のような荘厳さを見せるが、その袖口から覗く腕はまるで獣のように肥大し、筋肉の線が皮膚の下で脈打っている。
破戒僧にして、念動と武道を極めた異端の魔僧——
その名は、《魔将六傑》の総大将、魔王ブランダである。
「武器も持たずに……」グラムが呆然と呟いた。
「単身でやって来るなんて……常識が通じないわね」ヴェルザも眉をひそめる。
「ガイラム騎士団……さぞ鍛えられているんだろうな……。試してみるか、ヴァジュラ!」ブランダの声が落ちると同時に、拳がゆっくりと床を叩いた。
その一撃は衝撃波となり、青い刃のような念動エネルギーが奔流となって床を走った。
「——っ!?」
爆音と共に、騎士たちは消し飛んだ。声を上げる間もなく、壁に打ちつけられ、血の飛沫を撒きながら床に崩れ落ちる。
「いかんっ!《アストロ・ヴェール》!」
セレノが叫び、即座に防御結界を展開。黄金の光が仲間たちを覆い、二撃目の波動を辛うじて防ぐ。
「ほう……《黄昏の六英雄》か。何を企んでいるのかは知らぬが……異界の者の力まで借りるとは。そこまで我を恐れているのか? それとも梵なる宇宙を願うというのか?」
不敵な笑みと共に、ブランダが右拳を握る。
「ヴォルテック・エンド《雷破》!!」
雷鳴と共にグラムが駆け出した。両手に構えた《ストームブリンガー》が蒼雷を纏い、空間を裂くように振り下ろされる!
しかし——
「ダッカ」
ブランダはただ首を傾け、顔を向けただけだった。その動作だけで、グラムに見えない重圧が襲いかかり、まるで巨岩に打たれたかのように吹き飛ばされ、柱を砕いて崩れ落ちた。
「念動術だと……っ!?」ヴェルザが呟く。
「ネンジン!」
ヴェルザとリンが召喚魔法の詠唱を始める。しかし、ブランダは片膝を踏みしめただけで、足元から衝撃が奔り、地面が抉れて魔法陣を強制的に破壊した。
召喚詠唱——阻止。
「くそっ、ここまでか……!?」タクマが前に出る。
「やべーな……ボス戦って、こんな絶望感だったっけ……!?」リュウジが隣で唇を噛みしめる。
「ラストダンジョンは魔王城のはず、ここじゃ……ないっス!」
「黙れ、人間風情が……! ザンガ!」
両手を構え、ブランダがタクマとリュウジに向かって掌打を放つ。
大砲にも似た念動波が二人を貫き、空中で骨が軋む音がした。
二人は壁まで吹き飛ばされ、重い音を立てて崩れ落ちた。
——力の差が、あまりに絶望的であった。
カオの身体が震える。
「ヨウちゃん……どうしよう……あのおっさん、怖いよ……」
ヨウは震えながらも、騎士として《聖剣ミカエリオン》を構えた。
「ノア姫……キミは、いつでも『特異点』だった。だからこそ、やはり生かしてはおけぬ……呪殺——《フーマ・ラマナ》!」
ブランダが詠唱と共に、黒紫の魔力を凝縮した弾丸を放つ。
「うるさい! お前が闇の象徴なら、ノア姫は……カオは、光の象徴なんだよ!!」
その瞬間、空間が赤く染まった。
カオの胸元に輝く《赤い秘石》と、ブランダの額の《紅玉》が共鳴し、一筋の赤い光の線で結ばれた。
「や、やばい……これ、IIIの《さだめ死》フラグだ!」リュウジが叫んだ。
「そ、そうっスね……聖騎士クロウを守るため、ノア姫が……念動波を吸収して絶命する……例の伝説シーンっス……!」
「ダメだ……カオが蘇らないじゃないか……それだけは……!」タクマが叫ぶ。
ファルが空を舞い、泣き叫ぶ。「アークコードは!? 発現できないの!?」
「……ダメ、未発現……! こんなの、カオさんが……代わりに……なんて……」
「アークコード非発現……バグ干渉不能……!」
そして——
カオの身体が呪殺念力を受け止めた。
秘石が砕け、彼女の胸元から鮮血が滴る。彼女は玉座にもたれかかるように崩れ落ち、ブランダも膝をついた。
「な……なんの共鳴だ……? 赤い秘石……あれは……何だ……?」
ヨウが、ついにその限界を越えた。
「そんなバカなことがあるかぁァァァ!!」
紫の瞳が禍々しく染まり、空間が裂けるような怒号と共に闇のオーラがヨウの全身を包んだ。
「こんなところで……カオを失ってたまるか……! 一緒に笑い合うこともできない、食べ歩きもできない、もう手も……触れられないなんて……そんなの……そんなの許せるかよォォ!! 呪い返してやる!」
《黒咲ヨウ》の『こころ』は、闇に呑まれた。
ヨウの背後に、七つの漆黒の翼が現れる。異界の天使——熾天の化身のような姿。
「――聴け、我が声。
天より遣われし七翼の熾天よ。
聖域を侵す罪人を闇へと連れよ。
聖剣に宿れ、神意の黒耀。
《ミカエリオン・ジャッジメント》——!」
裁きの剣が輝いた瞬間、闇の刃が空を裂いた。
魔力を喪失したブランダの首が、まるで時間を止めたように静かに断ち割られる。
その瞬間、空気が凍り、地が揺れた。
「異界の者たち……この均衡を破った……報い……必ず……来るぞ……」
ブランダの身体が崩れ、黒い粒子となって消滅した。
残されたのは、倒れた皇女。
「……ヨウちゃん……夢かなぁ……こんなとこまで……真似しなくても……よかったのに……」
「……ダメ……生きて! カオ……!」
ヨウはカオを抱き上げ、玉座の奥へ向かって歩き出した。その先には、巨大な《ブルークリスタル》。
祈るように剣を下ろし、カオを抱いたまま光に包まれ、二人は——消えた。
その瞬間、世界は静寂に包まれた。
ブルークリスタルが砕け散り、空には一筋の光が残されていた。
「——特異点、干渉不能」
ファルの目が涙で濡れながらも、確かな言葉を放った。




