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5-1 思惑

夜の帳が大地を包み、星々すら沈黙するその刻——。


エルヴェシア大陸の片隅に、忌まわしき黒の城がその姿を現す。

名を《魔王城ディランベルト》。


伝説にのみ語られる魔王の居城にして、地図からも神の恩寵からも外れた『影の中の影』。


ここを拠点とし、邪悪なる軍勢を統べるのが魔王——ブランダである。


その存在は、ただの魔物ではなかった。


かつては神に仕えし僧侶。その祈りは、世界の痛みすら癒やすと讃えられていた。

しかし彼は、戒律を破り、闇へと身を投じた。


聖なる法衣は朽ち果て、骨に絡みつく鎖と化し、かつての慈悲の瞳は深淵の炎に染まった。

そして今——その魔王の前には、悪しき意志が集い、魔の軍勢を形づくっていた。


「……ブランダ様自ら、ご出陣などなさいますまい」


妖艶な微笑をたたえ、薄紫の光を纏う妖女の魔将が、玉座の下より声をかけた。

黒曜石のような爪が、ゆっくりと鉄扇を撫でる。その背からは、蛇のような霊気が尾を引く。


「……シカシ、イコクノセンシタチニ、アノヨウナフルマイヲ、サレテハ……」


もう一人の魔将。千の眼を持つ蛾蟲のような姿をした怪異が、ぬめりを帯びた声で吐き捨てる。その身をうねらせながら、静かに——されど確かに怒りの気配を濃くする。


玉座の背後に浮かぶ《カオスメーター》と呼ばれる円環は、赤と黒の間で脈動していた。


ブランダは、沈黙を破った。


「……天秤が、まだ均衡しておれば……我が出向く理由も、まだ無かろう。だが、見よ……この秤は、今……『ブラフマン』に傾きつつある……」


その声は、地の底を這うように低く、空気を震わせる。


ブランダの眼がわずかに細まり、顔の半分を覆う骨面具に邪なる笑みが刻まれた。


「ならば……再び“アートマン”の作法にて均衡へと戻すことこそ、我の義務——破戒僧としての、な」


その宣言が空間を揺るがし、魔将たちはひれ伏した。

魔王が『動く』時が、近づいていた。



そして一方、光の側——。


エルヴェシア大陸を護る盾として立つのは、神聖なるガイラム帝国。

強大なる聖騎士団を擁し、魔王軍に抗し続ける唯一の軍事国家である。


その頂点に立つは、聖騎士団を統べる《剣術の覇者クロウ・ヴァルザーク》。


漆黒の鎧に刻まれた紋様は、闇を討つ誓いの証。そしてその剣には、神の赦しと怒りの両方が宿っていた。


だが、かのクロウに転生したのは……黒咲ヨウであった。


「おいおいおいおいっ! なんでわたしが男役なんだよ!」


回廊にその声が反響する。稽古場の隅で、ヨウは額に手を当て、思わず呻いた。

だがすぐに気づく。


「……はっ、そうか……! 聖騎士クロウはノア姫と禁断の恋に落ちる設定だったよな……なるほど……そういうことか!」


『エンブレIII』序盤の名シーン、『教会裏のデートシーン』が脳裏をよぎる。


すぐに笑みを浮かべ、周囲に向かって叫んだ。


「ええい、そのまま稽古続行! 騎士たる者、動揺など顔に出すなってな!」


そして、クロウの主である皇女もまた……転生者であった。


ノア・ファルシア。

ガイラム帝国の皇女にして、芸術都市アステランや天文都市オルディネ、盟邦ラサラ王国との橋をつなぐ平和の象徴。


神殿では祈りの歌を捧げ、その旋律は聖なる光となって民を癒す。


その代役は——桃山カオだった。


「ええ〜、アタシが女王ぉ!? そんなの無理だってば〜」


礼拝堂の静寂を破るその声に、修道女が眉をひそめる。

「……お静かに。今は礼拝の時間です、姫様」


「は、はい……すみません」


カオは小さく舌を出し、肩にかかる修道服のフードを直す。


胸元に忍ばせた赤い秘石——ファルシアの証が、淡く熱を帯びて脈打っていた。


彼女の指が奏でるのは、ハープとフルートが一体化したような異国の楽器『セラフィーナ』。

その音色はまるで天使の吐息のように柔らかく、礼拝堂に流れる空気を浄化していく。


「それにしても、衣装も豪華だけど、ネックレスと楽器がガチだわー」



ある日の夕刻——。


教会の中庭。陽が西へ傾き、森の梢が黄金色に染まる頃。


ベンチに腰かけるカオとヨウの姿があった。


鳥たちは羽を休め、風だけが葉を揺らす。まるで、世界がふたりだけのために静止していたかのようだった。


「……なんか、不思議だよね」


「不思議だね、ほんと。あのガイラム神殿、本物だった。ちょっと引くわ……」


「こうしてまた、ヨウちゃんと会ってるってこと。前世でも今世でも、隣にいるんだなって……」


「……ええ!? ちょっと、嬉しいこと言ってくれるねぇ。わたしたち、一回死んでるのかな……あはは!」


ヨウはその鋭い眼差しを和らげ、ゆっくりとカオの手を取った。

「でも、こっちの世界でもカオちゃんはカオちゃんらしく、『ノア姫』じゃなくていいと思うよ。……うん、『カオ』のままでいい」


「……うん」

ふっと笑い、彼女は肩を預けた。


「じゃあ……ヨウちゃん、これからも、アタシを守ってね」


「当然よ。カオ姫を守るのが聖騎士ヨウの誓いでございます……なんてね」


そのとき、遠くから世話役の声が響いた。

「姫様、そろそろお戻りの時間です」


「……あ、ああ。承知しました!」

カオは慌てて立ち上がるが、ヨウがそっと手を差し出す。


「では、ご機嫌よう、ノア姫」

彼女は小さく笑って言い返す。


「違うよ……カオ姫だよ、ヨウちゃんの前ではね。アハハ!」

そう言って、ヨウに手を引かれながら夕陽の中を歩き出す。


片目を瞑るヨウの合図に、カオは笑って頷いた。


彼らの背後で、影がひとつ揺れた。

戦火の気配は、もうそこまで来ていた——。

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